「インクルーシブ(包み込み)雇用」という言葉をご存じだろうか。障害や病気などを理由に就労の道を閉ざさず、誰もが「働く権利」を保障され、共に働けること。どうすれば実現できるのか。現状と課題を探った。
●最低賃金をクリア
滋賀県にある琵琶湖から東へ約2キロ。田畑が広がる中にクッキー工場を構える社会福祉法人「共生シンフォニー」(大津市大将軍)は、障害者や引きこもり経験者、子どもがまだ幼い一人親をはじめ、就職で苦戦を強いられる人を長年雇用している。事務所内には、脳性まひなどで車椅子を使うスタッフたちの姿。「(会計の)数字が合わない」「月末締めだから、今が一番忙しい」。苦労話を打ち明ける表情は一様に明るい。
「『働く』とは、当然、最低賃金以上の対価をもらうことじゃないでしょうか」
常務理事の中崎ひとみさん(53)は、そう言う。法人の前身は1986年設立の障害者小規模作業所「今日も一日がんばった本舗」。自らも重い脳性まひだった故・門脇謙治さんが先導役を務めた経緯から、「障害者にも労働の権利を保障すべきだ」という考えは当初から一貫している。95年には、作業所に通う障害者全員と雇用契約を結び、最低賃金を保障した。労働界で当たり前のことでも、障害者の世界では先駆的だった。
●得意な作業を分担
現在、年間約1億3000万円を売り上げるクッキー工場の社員や法人のスタッフら約150人の障害者が働く。全員が滋賀県の最低賃金(時給813円)をクリアし、時給1000円に届く人もいる。丁寧な仕事ぶりを買われて材料の計量を担う知的障害者、誰よりも早くクッキー生地を切る自閉症の男性、焼き上がったクッキーを座ったまま検品する身体障害者--。「各自が得意な作業を分担し、生産性を上げています」。そう話すのは製造担当職員の高田真由美さん(47)。自身も、幼い双子を抱えたシングルマザーだった20年前に職探しで苦労した末、ここに職を得た。
「障害があっても働きやすい職場は、全ての社員にとっても働きやすい職場づくりにつながる」と中崎さん。「誰もが一緒に働ける企業が増えれば、ウチのような法人は要らない。そんな社会になるのが夢」と笑う。
●福祉枠は工賃低く
障害者の就労は二つに大別される。共生シンフォニーのような社会福祉法人などが運営する事業所に通う「福祉的就労」と、企業・団体に就職する「一般雇用」だ。一般的には、障害が重いほど前者を選ぶケースが多い。
障害者総合支援法に基づく福祉的就労の場合、労働基準法が適用されるのはごく一部だ。「労働者の権利」よりも「障害福祉」の視点に立つため、事業者の多くは最低賃金を守る法的義務はない。種類にもよるが、障害者に払う工賃は多くの事業所が「月1万円程度」というのが現状だ。
一方、一般雇用にも課題は多い。例えば、自力での外出・移動が難しい人にヘルパーやガイドが同行する福祉サービス「移動支援」の利用は、通勤では原則、対象外。働く意欲や能力があっても自力で通勤できない障害者は職に就けなくなる。60年の障害者雇用促進法施行で一般雇用の障害者は徐々に増えてきた。しかし、厚生労働省による障害者雇用実態調査(2013年度)によると、非正規雇用率は身体障害者で44%、精神障害者で59%、知的障害者では81%に上った。一方、総務省の労働力調査(16年)では、障害のない人の非正規雇用率は38%だった。異なる調査のため単純な比較はできないが、一般雇用とはいえ、障害の有無で処遇に大きな格差があることがうかがえる。
日本障害者協議会(東京都新宿区)の藤井克徳代表は、こう指摘する。「日本の障害者雇用は労働行政と福祉行政が連携できておらず、『雇用か福祉か』になっている。『雇用も福祉も』という観点での制度設計が必要です」【夫彰子】
根強い「非経済的」との偏見
国会では2月、インクルーシブ雇用実現に向けた法整備を目指す超党派議員連盟(会長・川崎二郎元厚労相)が発足した。障害者組織や引きこもり支援団体、連合や中小企業家同友会など計12団体が参加している。
こうした動きの背景にあるのが、日本が14年に批准した国連の「障害者権利条約」だ。27条では、「障害者が他の者との平等を基礎として労働についての権利を有する」ことができるよう、インクルーシブ雇用に必要な法令整備などを締約国に義務付けた。国内では、障害のある人とない人の雇用形態や収入を同じ時期・条件で調査した統計データ自体がなく、現状が「平等」からどの程度隔たっているかを正確に検証することができない。議連は、法令整備にはデータが不可欠として現行の調査を22年度に見直し、必要経費を19年度予算の概算要求に盛り込むよう厚労省などに求めている。
障害者雇用の問題に詳しい松井亮輔・法政大名誉教授によると、インクルーシブ雇用の取り組みは特に欧州が先行している。ドイツでは1月、就職している障害者が必要な福祉サービスを使えるようにするなど、労働と福祉の壁を超え、個別事情や希望に沿ったサポートができる仕組みを整えたという。
松井さんは「『労働か福祉か』という行政の縦割りを超えるのが立法府(国会)の役割」と、議連の活動に期待を寄せる。そのうえで、「『障害者雇用は非経済的』という偏見は、企業や一般の人に根強い。一方、福祉関係者は障害者雇用を福祉の枠内だけで考えがちです。行政だけでなく、私たち一人一人が意識転換できるかどうかが問われています」と話している。
社会福祉法人「共生シンフォニー」で働くスタッフたち。手前の男性はパソコンで会計事務を処理していた。
毎日新聞 2018年5月21日