2013年秋から、引き下げの検討が急ピッチで進められている住宅扶助。障害者の住宅扶助は、特別基準(通常の1.3倍)が適用されるため、現状でも特に「ゼイタクだ」と見られやすい。今回は、単身生活する重度障害者の生活を通じて、「健康で文化的な最低限度」の住生活を考える。
「重度障害者」といえども 暮らしぶりは人それぞれ
前回は、難病による重い運動障害のため、生活保護を利用して24時間全介助で生活する重度障害者・朝霧裕さん(35)の「住」・生活ぶり・制度への思いを紹介した。しかし、重度障害者もさまざまだ。障害や疾患が異なれば、生活ぶりは全く異なったものとなる。
須釜直美さん(本連載第33回参照)は、東京都多摩地域で、生活保護を利用して単身生活を送っている。生まれつきの骨形成不全症のため、全身の3ヵ所を骨折して生まれてきた須釜さんの骨は、その後も質・量とも十分に発育することはなかった。前回の朝霧さんと同様に、須釜さんもまた、歩行が可能だったことは一度もない。外出時は、須釜さんが利用できるように特別な配慮を行ってオーダーメイドされた電動車椅子を利用している。
しかし須釜さんは、平坦な屋内でならば、車椅子の手動運転を行うことができる。このため、屋内では手動車椅子を利用している。また、補助具を用いれば、ベッドから手動車椅子へ・手動車椅子から電動車椅子への移乗を自分で行うこともできる。失敗して転落し、身体のあちこちを骨折し、数ヵ月間、寝たきり生活を送ったこともあるけれども……。
もちろん、須釜さんの自力で行うことがまったく不可能なことも数多く存在する。その一つが入浴だ。
SNSなどで知る須釜さんの暮らしぶりには、いくつかの「謎」があった。たとえば須釜さんの入浴は、1回あたり3時間ほどが必要だそうだ。筆者自身も長風呂が大好きなのだが、3時間も入浴することは困難だ。何をすれば、入浴に3時間かけることが可能なのだろうか?
筆者は須釜さんのご好意で、入浴を見学させていただくことにした。
3時間もかかるのはなぜか? 入浴に至るまでのヘルパーの準備作業
2014年8月のある日、夕方6時過ぎ、須釜さんの住まいで、女性のヘルパーさんが入浴の準備を始めた。ヘルパーさんはまず、食器の洗いカゴなど雑多な日用品が置かれているワゴンを、浴室に隣接する台所の隅に寄せた。それから、ふだんは浴室の中に収納されているものを、次から次へと台所に出していく。
分別ゴミ箱、清掃用具、洗濯用品……。10分足らずの間に、台所は浴室から出されたものでいっぱいになる。しかし、「足の踏み場もない」という状態にはならない。須釜さんが車椅子で台所に入ってくるための動線・台所から浴室へと須釜さんを安全に移動させるための動線は確保されている。確保されている動線は、面積でいえば、1.5畳程度だろう。
ついでヘルパーさんは、浴槽脇に台を置いた。この台は、背もたれのないシャワーチェアのようなものだ。台の上にも脚部にも滑り止めがあり、台の上面が浴槽のへりと同じ高さになるよう調節されている。ちなみに浴槽の床面は、車椅子で入ることも可能なように「かさ上げ」が行われている。自力でシャワーくらいは浴びたかった須釜さんが、業者に依頼して公費で行った住宅改装だ。しかし設計に不備が多く、須釜さんの「一人のときにも、せめてシャワーくらいは自分で」という希望は達成されないまま現在に至っている。
そうこうするうちに、浴槽脇の台と浴槽の両端の上に、滑り止めのされた板が渡された。ここで筆者はやっと、どうやって入浴が行われるのかを推察することができた。きっと、浴室の床面にあるベビーバスが、この板の上に置かれるのだろう。
予想通り、ヘルパーさんはベビーバスを板の上に置いた。そして、バランス釜に付属しているシャワーからお湯を出し、ベビーバスを満たし、須釜さんに声をかけた。
「お風呂、準備できましたよ」
入浴準備から入浴開始まで 30分間から垣間見えるドラマ
須釜さんは、居室から手動車椅子で台所へと向かった。そして車椅子に乗ったまま、衣服を脱いだ。須釜さんがトップスを脱ぐと、筆者の見たことのない装具が現れた。背中と脚部をそれぞれ背後から支えるよう形作られているプラスチック製の板が、金属のジョイントでつながっている。須釜さんは「プロテクター」と呼んでいる。
骨が極めて脆く、抱き上げられただけで、あるいは椅子に座って下腿をぶらりと下げただけで骨折する須釜さんのために、歴代の主治医たちが試行錯誤しながら作り上げてきた装具の現在の姿だ。この試行錯誤は、須釜さん5歳のときから続けられている。
せめて「プロテクター」で背部や脚部が保護されていれば、介助者は骨折させる心配をせずに須釜さんを横抱えすることができる。また須釜さんも、骨折の心配をせずに、移乗などの日常動作を行うことができる。しかし入浴時は、プロテクターを外した状態で行うしかない。
ヘルパーさんが須釜さんの背後に回りこみ、「いいですか?」と声をかけた。緊張感が漂う。須釜さんは、やや丈夫な左手と脆い右手で、自分の下腿を支え、「いいよ」と答えた。2人は「せい、の!」と声を合わせた。次の瞬間、須釜さんは背後からヘルパーさんに抱え上げられて空中に浮かんでいた。須釜さんの脚は、本人の手によって、空中に伸ばされた状態となっていた。
ヘルパーさんは、須釜さんを抱えたまま浴室に向かい、ベビーバスのお湯の中に入れた。緊張が解けたヘルパーさんの顔に、笑みが浮かんだ。
さまざまな役割を担っている週2回の入浴
須釜さんは、居住する自治体から、週に3回の入浴を前提とした介護給付(ヘルパー派遣)を受けている。しかし、須釜さんを入浴させることの可能なヘルパーさんを確保するのは容易なことではない。現在、確保できているのは週あたり2回分だけだ。
夏場に週2回だけの入浴、しかも「シャワーで済ませる」という選択肢もない状況は、筆者にはとても耐えられそうにない。須釜さんもやはり、汗をかくほど暑い日に入浴できない状況が続くと「気持ち悪い」と感じる。
「夏、入浴できない日には、シーブリーズを染み込ませたコットンで、自分で全身を拭くんですよ。結構さっぱりします」(須釜さん)
シーブリーズで丹念に拭いても如何ともしがたいのは、頭部の皮膚だ。
ヘルパーさんは、須釜さんの頭を揺らさないように細心の注意を払って洗髪を行った。指先に力は入れず、しかし皮膚にこびりついたフケや汚れが落ちるように、シャンプーを塗った頭部の皮膚を丹念に指の腹でこすりつづけた。
指先に力を入れて頭部を揺らしてしまうと、頚椎に振動が伝わってしまう。須釜さんは痛みを感じることになる。その上、肋骨の骨折につながる可能性もある。頭の振動は、頚椎を通じて脊椎にも伝わる。須釜さんの脊椎の一部は、変形して右側の肩甲骨に入り込んでしまっているため、肋骨にも振動が伝わってしまう。すると、須釜さんの骨の中でも最も脆い肋骨にヒビが入ってしまうのだ。
この丁寧な洗髪を2回行い、さらにリンス。シャンプーとリンスを洗い流した後、ヘルパーさんはベビーバスの中の須釜さんの背中をこすった。ここまでで、約1時間が経過していた。
ついで須釜さんは、ベビーバスの中でさまざまなことを行った。まず、自分自身の洗身。手の届く範囲を軽くマッサージすること。それから、お湯を減らして熱めにしての腰湯。
「腰湯をして汗をかくことを習慣づけてから、冬に風邪を引きにくくなりました」(須釜さん)
風邪を引いて咳をしただけで肋骨が折れることもある須釜さんにとって、「風邪を引かない」の意味は非常に重大なのだ。
その間、ヘルパーさんは入浴後のための準備を行っていた。まず、ベッドの上にバスタオルを広げ、その上に先ほどの装具を置いた。さらに、ベッドのすぐ横に、須釜さんの手動車椅子をセットし、ブレーキをかけた。
仕事が一段落したヘルパーさんと、筆者は少し雑談をさせてもらった。介護の仕事についたきっかけ、須釜さんのケアで気をつけていることなどを聞かせてもらっているうちに、浴室の須釜さんから「上がりまーす」という声がした。ヘルパーさんは緊張した面持ちで浴室に向かった。
再び「せい、の!」という2人の掛け声が聞こえ、ヘルパーさんに抱えられた須釜さんが出現した。入浴時と同じように、空中に投げ出した自分の脚を自分の手で支え、その背中側からヘルパーさんが抱える格好だ。緊張した面持ちの2人は、周囲に厳重な注意を払いながらベッドサイドに到達した。そして須釜さんは、バスタオルと装具の上に横たわった。
須釜さんは慣れた手つきで髪と身体を拭き、下着を身につけ、その上から装具を装着した。ついで手動車椅子に移乗して、寝室のクローゼットに近づいた。さらにクローゼットを開け、装具の上からナイトウェアを身につけ、髪を梳いた。仕上げは、入浴後の化粧。
この間、ヘルパーさんは浴槽と浴室を清掃した。台所に出された物品の数々は、元通りに浴室洗い場へと「収納」された。時刻は夜の9時近くとなっていた。
須釜さんが現在受けられるヘルパー派遣は、1ヵ月あたり270時間までだ(24時間介護でヘルパー1人体制の場合の上限は744時間)。しかし、「フル活用」はしていない。
「ヘルパーさん、いればいるで気を使うし、その日の気分や体調で『今日は必要ないです』というわけにはいかないですし」(須釜さん)
そうなのだ。「ヘルパーさんがいる便利と安全と窮屈さ」を取るべきか、それとも「ヘルパーさんがいない不便と危険と気楽さ」を取るべきか。おそらく、ほとんどの障害者が、その兼ね合いに悩んでいる。
あくまで「居宅」援助なので、ヘルパーさんが来訪して洗濯物を干している間に、「ちょっと、すぐそこのコンビニへコーヒーを買いに」ということもできない。ここ数年、高齢猫の健康問題を抱えている筆者宅では、猫が体調を崩したとき、朝の時間帯にヘルパー派遣が予定されていると「かかりつけ動物病院の営業開始とともに連れて行く」ということができずにヤキモキすることにもなる。
2014年8月の須釜さんは、多い日には1日あたり12時間のヘルパー派遣を受けている。起きていられる時間のうち、会社員の通勤・勤務に相当する長い時間が「ちょっと散歩する」「ちょっと外出する」、あるいは考え事をしたり読書をしたりするといったことが全くままならない時間となる、ということでもある。
住宅扶助の範囲内では見つけにくい「障害者の住める住まい」
須釜さんが住んでいるのは、「木造モルタル」に分類される2階建てアパートの1階だ。アパート前の道路と敷地・土台の間に20cm程度、土台と玄関の間に40cm程度の段差がある。道路と敷地・土台の間の段差はコンクリートを打ちなおして丸められており、土台と玄関の間の段差は木製のスロープで対策されている。スロープの勾配はかなり大きく、車椅子によっては転倒のリスクもあるが、勾配をそれ以上小さくすると隣室住民の生活空間を圧迫してしまうことになる。
もともと神奈川県厚木市で、生活保護を利用して単身生活をしていた須釜さんは、1999年秋、現在の東京都多摩地域に転居してきた。転居のきっかけは?
「入浴は、5名のボランティアの方にお願いしていました。学生さんだったり、主婦だったり、知的障害者施設の職員さんだったり。でも、立て続けに学生さんが就職したり、独身だった方が結婚したりして、ボランティアの方が2名になってしまいました。その時も週に2回は入浴できていたんですけど、『ボランティアさんたちが全員無理になる前に』と思ったんです」(須釜さん)
それ以外にも、住まいにはさまざまな問題があった。当時の住まいは、戦後間もない時期に建てられたと思われる、壁も屋根もトタンの一軒家だった。最寄り駅からは、バスで20分程度。3畳・6畳の居室が「振り分け」になっており、廊下兼用の台所に玄関・トイレ・浴室が隣接している住まいでは、車椅子の動線を確保するのが容易でなかった。広さの面では申し分ないはずなのだが、「振り分け」が災いしてしまうのである。家賃は5万円だった。
須釜さんが現在の地域を選んだ理由の1つは、「介助者の確保が比較的容易そうだ」ということだった。当時、障害者に対するヘルパー派遣は、各自治体が「措置」として行っていた。その自治体ではヘルパー派遣の時間数が比較的多く、全国的に類例の少なかった24時間介護も行われていた。
「ここだったら、入浴介助を確保できるかもしれない、と思ったんです」(須釜さん)
現在も住んでいるアパートは「運がよくて、わりとすぐに見つかった」ということだ。間取りは、玄関に面して4.5畳程度の台所・4.5畳の居室・6畳の居室が縦に並んでいる形だ。台所には、トイレと浴室が面している。トイレには簡単な改装が施され、須釜さんが自力で利用できるようになっている。築年数は不明だが、おそらく昭和40年代、もしかすると昭和30年代後半かもしれない感じだ。
必要だった住宅改装は、前述のとおり公費で行ったが、「図面も見せてくれない業者」だったそうだ。結果として、「シャワーくらいは自分で浴びる」も実現できない浴室が出来上がり、踊り場も転落防止柵もないスロープが作られそうになった上、予算が7万円ほどオーバーした。交渉の結果、スロープには踊り場と「ないより少しはマシ」程度の脆弱な転落防止柵が設けられたが、オーバーした7万円は、須釜さんが貯金から支払った。
「ボッタクリだと思います」(須釜さん)
転居に必要な初期費用、敷金・礼金・転居費用も、貯金から支払った。合計40万円程度だったそうだ。ちなみに、家賃は7万円。東京都内での住宅扶助(特別基準)の上限額・6万9800円をわずかにオーバーしている。
現在の住まいに対して、須釜さんは大きな不満は抱いていなかった。しかし、深刻な結露には苦慮してきた。
「このアパート、壁紙をはがすと、すぐコンクリートで空洞なんです。断熱材は一枚も入っていません。だから結露がひどくて。冬は壁紙がぐっしょり濡れるほどです」(須釜さん)
生活上、不便なだけではない。健康上の問題も発生している。
「結露の後、必ず黒カビが生えるんです。このところ、側弯がひどくなって肺が圧迫されて、痰が溜まりやすくなって、朝方、咳き込むことが増えています。『咳をするだけで肋骨が折れるかもしれない身体なんだから』と、いろいろな方から引っ越しを勧められています」(須釜さん)
冷暖房の効率も悪い。
「冬の暖房はガスストーブ1個です。20℃に設定しておいても、17℃〜18℃以上になったことはないんです。すごく寒い時には、着替えるときだけエアコンとストーブを両方使っています」(須釜さん)
ちなみに、大雪と厳寒が日本を襲ったこの2014年1月・2月、須釜さん宅のガス代は1万1000〜2000円程度になった。須釜さんによれば「はじめて1万円を越えた」ということだ。エアコンも併用せざるを得ず、電気代も5000円〜6000円程度になったという。ちなみに東京都の単身者に対する冬季加算の金額は、3040円である。
家賃に対しても、水道光熱費に対しても、まったく「充分」とはいえないのが、現在の生活保護基準。
「『障害者は住宅扶助が高いから(筆者注:通常の1.3倍の特別基準が適用されるので)ゼイタク』という見方もされます。でも、今、私が住んでいるこのアパートのように、『2部屋・風呂トイレ別』だと、通常、多摩地域でも8万円は越えます。その程度の住宅扶助費は、必要だと思います。今でも、基準内で住める物件を見つけるのは大変です」(須釜さん)
ただ、水道光熱費に対しては「それは、みんな同じなんじゃないかなあと思ったりします」ということだ。
また、須釜さんは近々、再度の引っ越しを余儀なくされるかもしれない。
「スロープが傷んできたし、トイレの台も木材が腐ってきたんです。また作りなおす必要があるんですけど、引っ越しをしない限り、公費で全部を改造することはできないんですよね、制度上。都営住宅への引っ越しも考えているんですが、そもそも単身の障害者向けの部屋は少ないですから」(須釜さん)
それにしても、筆者は「ゼイタクだ」という反感を予想して身構えてしまう。
「そうですね。『公共にしてもらってるんだから、文句言うな』という反論、あるでしょうね。それに立ち向かえる、もっと確かな何かが欲しいです」(須釜さん)
実のところ、「生活保護費は高すぎる」「生活保護費を減らせば国民全体にメリットがある」という主張に、確かな根拠は何もないのだが、でも現在の社会で力ある主張となってしまっている。「生活保護費は低すぎる」「生活保護費を増やすことがメリットを産む」という主張には、若干の理があると筆者は思う。しかし「高すぎる」「減らせ」という多数派の主張を覆せるほどの力はない。
「日本の人は、もともと、税金についてまじめに考えるようなことはなかったと思います。なぜ、今になって『税金』『税金』と言い出すのだろうかという疑問を持っています。キャンペーンで動いて、乗せられているだけで、本物の国民感情ではないのではないでしょうか。乗っている人たちは、気づいていないでしょうけれど。だから、悔しいです」(須釜さん)
なぜ、乗せられてしまうのだろうか?
「被害者感情の強い人たち、周囲と比べて『自分が一番の被害者』と思う人が、たくさんいます。その感情を刺激したのが政府です。それが、とても嫌です」(須釜さん)
一時、感情を刺激されてしまい、感情のままに行動してしまうことくらいは仕方がないかもしれない。筆者自身、自分を顧みてそう思う。しかし落ち着いたら、その行動が引き起こしてしまったことがらを直視し、自省することくらいはしてもよいのではないだろうか?
みわよしこ [フリーランス・ライター] 【政策ウォッチ編・第72回】 2014年8月8日 ダイヤモンド・オンライン
「重度障害者」といえども 暮らしぶりは人それぞれ
前回は、難病による重い運動障害のため、生活保護を利用して24時間全介助で生活する重度障害者・朝霧裕さん(35)の「住」・生活ぶり・制度への思いを紹介した。しかし、重度障害者もさまざまだ。障害や疾患が異なれば、生活ぶりは全く異なったものとなる。
須釜直美さん(本連載第33回参照)は、東京都多摩地域で、生活保護を利用して単身生活を送っている。生まれつきの骨形成不全症のため、全身の3ヵ所を骨折して生まれてきた須釜さんの骨は、その後も質・量とも十分に発育することはなかった。前回の朝霧さんと同様に、須釜さんもまた、歩行が可能だったことは一度もない。外出時は、須釜さんが利用できるように特別な配慮を行ってオーダーメイドされた電動車椅子を利用している。
しかし須釜さんは、平坦な屋内でならば、車椅子の手動運転を行うことができる。このため、屋内では手動車椅子を利用している。また、補助具を用いれば、ベッドから手動車椅子へ・手動車椅子から電動車椅子への移乗を自分で行うこともできる。失敗して転落し、身体のあちこちを骨折し、数ヵ月間、寝たきり生活を送ったこともあるけれども……。
もちろん、須釜さんの自力で行うことがまったく不可能なことも数多く存在する。その一つが入浴だ。
SNSなどで知る須釜さんの暮らしぶりには、いくつかの「謎」があった。たとえば須釜さんの入浴は、1回あたり3時間ほどが必要だそうだ。筆者自身も長風呂が大好きなのだが、3時間も入浴することは困難だ。何をすれば、入浴に3時間かけることが可能なのだろうか?
筆者は須釜さんのご好意で、入浴を見学させていただくことにした。
3時間もかかるのはなぜか? 入浴に至るまでのヘルパーの準備作業
2014年8月のある日、夕方6時過ぎ、須釜さんの住まいで、女性のヘルパーさんが入浴の準備を始めた。ヘルパーさんはまず、食器の洗いカゴなど雑多な日用品が置かれているワゴンを、浴室に隣接する台所の隅に寄せた。それから、ふだんは浴室の中に収納されているものを、次から次へと台所に出していく。
分別ゴミ箱、清掃用具、洗濯用品……。10分足らずの間に、台所は浴室から出されたものでいっぱいになる。しかし、「足の踏み場もない」という状態にはならない。須釜さんが車椅子で台所に入ってくるための動線・台所から浴室へと須釜さんを安全に移動させるための動線は確保されている。確保されている動線は、面積でいえば、1.5畳程度だろう。
ついでヘルパーさんは、浴槽脇に台を置いた。この台は、背もたれのないシャワーチェアのようなものだ。台の上にも脚部にも滑り止めがあり、台の上面が浴槽のへりと同じ高さになるよう調節されている。ちなみに浴槽の床面は、車椅子で入ることも可能なように「かさ上げ」が行われている。自力でシャワーくらいは浴びたかった須釜さんが、業者に依頼して公費で行った住宅改装だ。しかし設計に不備が多く、須釜さんの「一人のときにも、せめてシャワーくらいは自分で」という希望は達成されないまま現在に至っている。
そうこうするうちに、浴槽脇の台と浴槽の両端の上に、滑り止めのされた板が渡された。ここで筆者はやっと、どうやって入浴が行われるのかを推察することができた。きっと、浴室の床面にあるベビーバスが、この板の上に置かれるのだろう。
予想通り、ヘルパーさんはベビーバスを板の上に置いた。そして、バランス釜に付属しているシャワーからお湯を出し、ベビーバスを満たし、須釜さんに声をかけた。
「お風呂、準備できましたよ」
入浴準備から入浴開始まで 30分間から垣間見えるドラマ
須釜さんは、居室から手動車椅子で台所へと向かった。そして車椅子に乗ったまま、衣服を脱いだ。須釜さんがトップスを脱ぐと、筆者の見たことのない装具が現れた。背中と脚部をそれぞれ背後から支えるよう形作られているプラスチック製の板が、金属のジョイントでつながっている。須釜さんは「プロテクター」と呼んでいる。
骨が極めて脆く、抱き上げられただけで、あるいは椅子に座って下腿をぶらりと下げただけで骨折する須釜さんのために、歴代の主治医たちが試行錯誤しながら作り上げてきた装具の現在の姿だ。この試行錯誤は、須釜さん5歳のときから続けられている。
せめて「プロテクター」で背部や脚部が保護されていれば、介助者は骨折させる心配をせずに須釜さんを横抱えすることができる。また須釜さんも、骨折の心配をせずに、移乗などの日常動作を行うことができる。しかし入浴時は、プロテクターを外した状態で行うしかない。
ヘルパーさんが須釜さんの背後に回りこみ、「いいですか?」と声をかけた。緊張感が漂う。須釜さんは、やや丈夫な左手と脆い右手で、自分の下腿を支え、「いいよ」と答えた。2人は「せい、の!」と声を合わせた。次の瞬間、須釜さんは背後からヘルパーさんに抱え上げられて空中に浮かんでいた。須釜さんの脚は、本人の手によって、空中に伸ばされた状態となっていた。
ヘルパーさんは、須釜さんを抱えたまま浴室に向かい、ベビーバスのお湯の中に入れた。緊張が解けたヘルパーさんの顔に、笑みが浮かんだ。
さまざまな役割を担っている週2回の入浴
須釜さんは、居住する自治体から、週に3回の入浴を前提とした介護給付(ヘルパー派遣)を受けている。しかし、須釜さんを入浴させることの可能なヘルパーさんを確保するのは容易なことではない。現在、確保できているのは週あたり2回分だけだ。
夏場に週2回だけの入浴、しかも「シャワーで済ませる」という選択肢もない状況は、筆者にはとても耐えられそうにない。須釜さんもやはり、汗をかくほど暑い日に入浴できない状況が続くと「気持ち悪い」と感じる。
「夏、入浴できない日には、シーブリーズを染み込ませたコットンで、自分で全身を拭くんですよ。結構さっぱりします」(須釜さん)
シーブリーズで丹念に拭いても如何ともしがたいのは、頭部の皮膚だ。
ヘルパーさんは、須釜さんの頭を揺らさないように細心の注意を払って洗髪を行った。指先に力は入れず、しかし皮膚にこびりついたフケや汚れが落ちるように、シャンプーを塗った頭部の皮膚を丹念に指の腹でこすりつづけた。
指先に力を入れて頭部を揺らしてしまうと、頚椎に振動が伝わってしまう。須釜さんは痛みを感じることになる。その上、肋骨の骨折につながる可能性もある。頭の振動は、頚椎を通じて脊椎にも伝わる。須釜さんの脊椎の一部は、変形して右側の肩甲骨に入り込んでしまっているため、肋骨にも振動が伝わってしまう。すると、須釜さんの骨の中でも最も脆い肋骨にヒビが入ってしまうのだ。
この丁寧な洗髪を2回行い、さらにリンス。シャンプーとリンスを洗い流した後、ヘルパーさんはベビーバスの中の須釜さんの背中をこすった。ここまでで、約1時間が経過していた。
ついで須釜さんは、ベビーバスの中でさまざまなことを行った。まず、自分自身の洗身。手の届く範囲を軽くマッサージすること。それから、お湯を減らして熱めにしての腰湯。
「腰湯をして汗をかくことを習慣づけてから、冬に風邪を引きにくくなりました」(須釜さん)
風邪を引いて咳をしただけで肋骨が折れることもある須釜さんにとって、「風邪を引かない」の意味は非常に重大なのだ。
その間、ヘルパーさんは入浴後のための準備を行っていた。まず、ベッドの上にバスタオルを広げ、その上に先ほどの装具を置いた。さらに、ベッドのすぐ横に、須釜さんの手動車椅子をセットし、ブレーキをかけた。
仕事が一段落したヘルパーさんと、筆者は少し雑談をさせてもらった。介護の仕事についたきっかけ、須釜さんのケアで気をつけていることなどを聞かせてもらっているうちに、浴室の須釜さんから「上がりまーす」という声がした。ヘルパーさんは緊張した面持ちで浴室に向かった。
再び「せい、の!」という2人の掛け声が聞こえ、ヘルパーさんに抱えられた須釜さんが出現した。入浴時と同じように、空中に投げ出した自分の脚を自分の手で支え、その背中側からヘルパーさんが抱える格好だ。緊張した面持ちの2人は、周囲に厳重な注意を払いながらベッドサイドに到達した。そして須釜さんは、バスタオルと装具の上に横たわった。
須釜さんは慣れた手つきで髪と身体を拭き、下着を身につけ、その上から装具を装着した。ついで手動車椅子に移乗して、寝室のクローゼットに近づいた。さらにクローゼットを開け、装具の上からナイトウェアを身につけ、髪を梳いた。仕上げは、入浴後の化粧。
この間、ヘルパーさんは浴槽と浴室を清掃した。台所に出された物品の数々は、元通りに浴室洗い場へと「収納」された。時刻は夜の9時近くとなっていた。
須釜さんが現在受けられるヘルパー派遣は、1ヵ月あたり270時間までだ(24時間介護でヘルパー1人体制の場合の上限は744時間)。しかし、「フル活用」はしていない。
「ヘルパーさん、いればいるで気を使うし、その日の気分や体調で『今日は必要ないです』というわけにはいかないですし」(須釜さん)
そうなのだ。「ヘルパーさんがいる便利と安全と窮屈さ」を取るべきか、それとも「ヘルパーさんがいない不便と危険と気楽さ」を取るべきか。おそらく、ほとんどの障害者が、その兼ね合いに悩んでいる。
あくまで「居宅」援助なので、ヘルパーさんが来訪して洗濯物を干している間に、「ちょっと、すぐそこのコンビニへコーヒーを買いに」ということもできない。ここ数年、高齢猫の健康問題を抱えている筆者宅では、猫が体調を崩したとき、朝の時間帯にヘルパー派遣が予定されていると「かかりつけ動物病院の営業開始とともに連れて行く」ということができずにヤキモキすることにもなる。
2014年8月の須釜さんは、多い日には1日あたり12時間のヘルパー派遣を受けている。起きていられる時間のうち、会社員の通勤・勤務に相当する長い時間が「ちょっと散歩する」「ちょっと外出する」、あるいは考え事をしたり読書をしたりするといったことが全くままならない時間となる、ということでもある。
住宅扶助の範囲内では見つけにくい「障害者の住める住まい」
須釜さんが住んでいるのは、「木造モルタル」に分類される2階建てアパートの1階だ。アパート前の道路と敷地・土台の間に20cm程度、土台と玄関の間に40cm程度の段差がある。道路と敷地・土台の間の段差はコンクリートを打ちなおして丸められており、土台と玄関の間の段差は木製のスロープで対策されている。スロープの勾配はかなり大きく、車椅子によっては転倒のリスクもあるが、勾配をそれ以上小さくすると隣室住民の生活空間を圧迫してしまうことになる。
もともと神奈川県厚木市で、生活保護を利用して単身生活をしていた須釜さんは、1999年秋、現在の東京都多摩地域に転居してきた。転居のきっかけは?
「入浴は、5名のボランティアの方にお願いしていました。学生さんだったり、主婦だったり、知的障害者施設の職員さんだったり。でも、立て続けに学生さんが就職したり、独身だった方が結婚したりして、ボランティアの方が2名になってしまいました。その時も週に2回は入浴できていたんですけど、『ボランティアさんたちが全員無理になる前に』と思ったんです」(須釜さん)
それ以外にも、住まいにはさまざまな問題があった。当時の住まいは、戦後間もない時期に建てられたと思われる、壁も屋根もトタンの一軒家だった。最寄り駅からは、バスで20分程度。3畳・6畳の居室が「振り分け」になっており、廊下兼用の台所に玄関・トイレ・浴室が隣接している住まいでは、車椅子の動線を確保するのが容易でなかった。広さの面では申し分ないはずなのだが、「振り分け」が災いしてしまうのである。家賃は5万円だった。
須釜さんが現在の地域を選んだ理由の1つは、「介助者の確保が比較的容易そうだ」ということだった。当時、障害者に対するヘルパー派遣は、各自治体が「措置」として行っていた。その自治体ではヘルパー派遣の時間数が比較的多く、全国的に類例の少なかった24時間介護も行われていた。
「ここだったら、入浴介助を確保できるかもしれない、と思ったんです」(須釜さん)
現在も住んでいるアパートは「運がよくて、わりとすぐに見つかった」ということだ。間取りは、玄関に面して4.5畳程度の台所・4.5畳の居室・6畳の居室が縦に並んでいる形だ。台所には、トイレと浴室が面している。トイレには簡単な改装が施され、須釜さんが自力で利用できるようになっている。築年数は不明だが、おそらく昭和40年代、もしかすると昭和30年代後半かもしれない感じだ。
必要だった住宅改装は、前述のとおり公費で行ったが、「図面も見せてくれない業者」だったそうだ。結果として、「シャワーくらいは自分で浴びる」も実現できない浴室が出来上がり、踊り場も転落防止柵もないスロープが作られそうになった上、予算が7万円ほどオーバーした。交渉の結果、スロープには踊り場と「ないより少しはマシ」程度の脆弱な転落防止柵が設けられたが、オーバーした7万円は、須釜さんが貯金から支払った。
「ボッタクリだと思います」(須釜さん)
転居に必要な初期費用、敷金・礼金・転居費用も、貯金から支払った。合計40万円程度だったそうだ。ちなみに、家賃は7万円。東京都内での住宅扶助(特別基準)の上限額・6万9800円をわずかにオーバーしている。
現在の住まいに対して、須釜さんは大きな不満は抱いていなかった。しかし、深刻な結露には苦慮してきた。
「このアパート、壁紙をはがすと、すぐコンクリートで空洞なんです。断熱材は一枚も入っていません。だから結露がひどくて。冬は壁紙がぐっしょり濡れるほどです」(須釜さん)
生活上、不便なだけではない。健康上の問題も発生している。
「結露の後、必ず黒カビが生えるんです。このところ、側弯がひどくなって肺が圧迫されて、痰が溜まりやすくなって、朝方、咳き込むことが増えています。『咳をするだけで肋骨が折れるかもしれない身体なんだから』と、いろいろな方から引っ越しを勧められています」(須釜さん)
冷暖房の効率も悪い。
「冬の暖房はガスストーブ1個です。20℃に設定しておいても、17℃〜18℃以上になったことはないんです。すごく寒い時には、着替えるときだけエアコンとストーブを両方使っています」(須釜さん)
ちなみに、大雪と厳寒が日本を襲ったこの2014年1月・2月、須釜さん宅のガス代は1万1000〜2000円程度になった。須釜さんによれば「はじめて1万円を越えた」ということだ。エアコンも併用せざるを得ず、電気代も5000円〜6000円程度になったという。ちなみに東京都の単身者に対する冬季加算の金額は、3040円である。
家賃に対しても、水道光熱費に対しても、まったく「充分」とはいえないのが、現在の生活保護基準。
「『障害者は住宅扶助が高いから(筆者注:通常の1.3倍の特別基準が適用されるので)ゼイタク』という見方もされます。でも、今、私が住んでいるこのアパートのように、『2部屋・風呂トイレ別』だと、通常、多摩地域でも8万円は越えます。その程度の住宅扶助費は、必要だと思います。今でも、基準内で住める物件を見つけるのは大変です」(須釜さん)
ただ、水道光熱費に対しては「それは、みんな同じなんじゃないかなあと思ったりします」ということだ。
また、須釜さんは近々、再度の引っ越しを余儀なくされるかもしれない。
「スロープが傷んできたし、トイレの台も木材が腐ってきたんです。また作りなおす必要があるんですけど、引っ越しをしない限り、公費で全部を改造することはできないんですよね、制度上。都営住宅への引っ越しも考えているんですが、そもそも単身の障害者向けの部屋は少ないですから」(須釜さん)
それにしても、筆者は「ゼイタクだ」という反感を予想して身構えてしまう。
「そうですね。『公共にしてもらってるんだから、文句言うな』という反論、あるでしょうね。それに立ち向かえる、もっと確かな何かが欲しいです」(須釜さん)
実のところ、「生活保護費は高すぎる」「生活保護費を減らせば国民全体にメリットがある」という主張に、確かな根拠は何もないのだが、でも現在の社会で力ある主張となってしまっている。「生活保護費は低すぎる」「生活保護費を増やすことがメリットを産む」という主張には、若干の理があると筆者は思う。しかし「高すぎる」「減らせ」という多数派の主張を覆せるほどの力はない。
「日本の人は、もともと、税金についてまじめに考えるようなことはなかったと思います。なぜ、今になって『税金』『税金』と言い出すのだろうかという疑問を持っています。キャンペーンで動いて、乗せられているだけで、本物の国民感情ではないのではないでしょうか。乗っている人たちは、気づいていないでしょうけれど。だから、悔しいです」(須釜さん)
なぜ、乗せられてしまうのだろうか?
「被害者感情の強い人たち、周囲と比べて『自分が一番の被害者』と思う人が、たくさんいます。その感情を刺激したのが政府です。それが、とても嫌です」(須釜さん)
一時、感情を刺激されてしまい、感情のままに行動してしまうことくらいは仕方がないかもしれない。筆者自身、自分を顧みてそう思う。しかし落ち着いたら、その行動が引き起こしてしまったことがらを直視し、自省することくらいはしてもよいのではないだろうか?
みわよしこ [フリーランス・ライター] 【政策ウォッチ編・第72回】 2014年8月8日 ダイヤモンド・オンライン