昨年末、私の住む東京都渋谷区内の区民プールでアップルウオッチの持ち込みを認めてくれるように長谷部健区長宛てに要望を出した。
ジョギング時に消費カロリーや走った距離、心拍数などを計測できる腕時計型の活動量計が注目されている中、昨年秋に発売されたアップル社のスマートウオッチ「アップルウオッチ・シリーズ2」は、泳ぎながらでも使える耐水機能に加えて泳ぎのストローク数や泳いだ距離なども記録できる。そして画面の見えない私たち全盲者にとって一番重要なことは、アップル製品に標準搭載されている読み上げ機能「ボイスオーバー」が、表示された情報を音声で読み上げてくれることだ。 読み上げ機能に一律禁止の壁毎週末、自宅から歩いて10分で行ける代官山スポーツプラザの屋内プールで泳いでいる。50歳を超え、2年前の春に老化防止に目覚めて、子供の頃に得意だった水泳を始めることにした。プールには障害者にも使いやすいサブ更衣室があり、館内は段差のないバリアフリー構造。初めのうちはガイドヘルパーを頼んで同行してもらったが、仕事帰りなど時間が空いたときに1人で利用したくなった。
都内の障害者専用プールには、北区の東京都障害者総合スポーツセンターと、国立市の東京都多摩障害者スポーツセンターがある。しかし、どちらも我が家から鉄道を使って小一時間かかる。代官山のプールでは当初、他の遊泳者との接触など私が利用することに不安があったようだが、券売機の利用を除けば(高齢者・障害者は無料だが発券は必要)、着替えもシャワーもすべて自力でできることが分かると、監視員たちはプールサイドからの誘導など協力的になった。プールサイドに「視覚障害者遊泳中」と書かれた看板も立ててくれた。
だが、最大の悩みはプールの中で時間が分からないことだった。利用開始時には必ず監視員が「何時まで泳ぎますか?」などと確認して、終了時刻になると知らせてくれるのだが、練習の途中で自分が何往復したのか、時間はどのくらいかかっているのかなどが気になり始めた。
そこで水の中でも時刻を読み上げる上に、泳ぎ方まで判別してストロークの回数まで記録できるスイムワークアウト機能が使えるこのアップルウオッチに飛びついた。ところが、時計をはめて、いざプールに入ろうとしたら突然、監視員から「腕時計は外してください」と言われた。初めて知ったのだが、日本の公共プールでは「腕時計・ピアス・ネックレス等のアクセサリー類の着用は禁止」というのが通例なのだそうだ。
渋谷区スポーツ振興課に禁止の理由を聞くと、最大の問題は安全性の確保。もしも他の遊泳者に接触してけがをさせたり、プールサイドなどにぶつけて水中に割れたガラスを飛散させたりするような事態を懸念していた。
同じ渋谷区内でも東京都スポーツ文化事業団が運営する東京体育館のプールでは、カメラ機能を内蔵した端末による盗撮防止の意味からも、一律に持ち込みを禁止しているということだった。
権利の訴えに区の対応変化そこで、再度私が訴えたのは「活動量の計測はともかく、利用者が現在時刻を確認できるのは基本的な権利」ということ。その結果、先月、以下のような回答を区長からいただいた。
「岩下様が代官山スポーツプラザにお持ちになった『アップルウオッチ』は、盤面が露出しており、接触時にけがや破損の可能性があるということで、使用しないようお願いしたところです。しかし、昨今は水泳用の活動量計も多く市販されるようになってきており、これらの使用はトレーニング効果の判断に有効と考えられます。
当区のプールでも、盤面にシリコーンやポリカーボネート類のカバーを付ける、また、活動量計を凹凸のないリストバンドで完全に覆う、など、事故のおそれがないと認められるものについては、試行的に使用可能としていくことで調整いたしましたので、施設にご相談くださいますようお願いいたします」
その後、プール担当者から、アップルウオッチがすっぽり入る市販のウレタン製カバーを紹介してもらい、プール内での使用が許された。
欧米ではリスクに対する自己責任という意識が強く、プールでの時計着用で規制されるケースは聞かない。日本では、万が一事故が起きれば施設管理者の責任が問われることが多い。しかし、GPS(全地球測位システム)を使って目的地まで誘導してくれるナビアプリとか、過疎地域に暮らす外出の難しい障害者や高齢者に必要な物を届けてくれるドローン(小型無人機)など、使い方によって弱者支援につながる先端技術も少なくない。イノベーションを喚起する意味からも技術の活用に目を向けてほしい。
自治体として全国で初めてLGBTなど性的少数者の結婚を認めるなど、ダイバーシティー(多様性)の尊重を実践してきた渋谷区。今回の英断に敬意を表しつつ、全国への波及につながるよう期待したい。
ウレタン製カバーを装着したアップルウオッチ。まくり上げた部分を降ろすと、文字盤を覆うことができる
毎日新聞 2017年5月4日