東京都板橋区にある支援団体の協力で二〇〇七〜一一年、東京で鍼灸(しんきゅう)やマッサージを学んだ全盲のベトナム人、ファン・バン・ソンさん(36)。このほど再来日し、今月から広島大大学院の研究生として勉強を始めた。「ベトナムに、視覚障害者が小学校から高校まで通え、鍼灸やマッサージも学べる学校をつくりたい」と将来の夢を語る。 (村松権主麿、写真も)
日本留学で視覚障害者の教育環境の違いを実感した。「ベトナムでは『目の見えない人が勉強しても仕方ない』という考えが強く、改善の必要がある」
ハノイ郊外の村出身。生まれつき弱視で、中学生の時、光は感じるが物を識別できなくなった。高校卒業後、医学部を志したが、入試に失敗。漢方とベトナムの伝統医学を専門学校で学び、友人らと治療院を開業。そこで妻と知り合った。六歳女児と一歳男児の父でもある。
日本との出会いは〇四年、半年のマッサージ訓練を沖縄県で受けたこと。「教え方が上手で、点字の本など設備も充実して勉強しやすい」と実感。〇六年に茨城県つくば市で開かれたマッサージセミナーで、目の不自由なアジアの学生を支援する「国際視覚障害者援護協会(IAVI)」(東京都板橋区)の前理事長と知り合い、日本留学を薦められた。
IAVIは一九七一年の設立以降、十七カ国・地域の視覚障害者七十六人を受け入れ、特別支援学校での勉強を支えてきた。ソンさんは〇七年に来日。翌年から筑波大付属視覚特別支援学校高等部(東京都文京区)で鍼灸やマッサージを学び、全国盲学校弁論大会で優勝した。
卒業の一一年三月、東日本大震災が起き、母国の家族の心配もあり帰国したが、ソンさん自身は引き続き日本での勉強を熱望。IAVIの石渡博明理事長(65)の支援で進学先の選定や手続きを進め、再来日した。「両親や妻は応援してくれる」と感謝する。
目の不自由な留学生の受け入れは初めてという広島大で、ソンさんは教育学部の授業を一年間受け、大学院の試験に合格後、アジア各国の障害者の現状や支援制度などを研究する。今月九日、授業が始まった。「よく理解できる。みんなも親切」。滑り出しは上々だ。
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再来日したソンさん(右)を励ます国際視覚障害者援護協会の石渡博明理事長=東京都板橋区で
東京新聞-2013年4月30日 夕刊
日本留学で視覚障害者の教育環境の違いを実感した。「ベトナムでは『目の見えない人が勉強しても仕方ない』という考えが強く、改善の必要がある」
ハノイ郊外の村出身。生まれつき弱視で、中学生の時、光は感じるが物を識別できなくなった。高校卒業後、医学部を志したが、入試に失敗。漢方とベトナムの伝統医学を専門学校で学び、友人らと治療院を開業。そこで妻と知り合った。六歳女児と一歳男児の父でもある。
日本との出会いは〇四年、半年のマッサージ訓練を沖縄県で受けたこと。「教え方が上手で、点字の本など設備も充実して勉強しやすい」と実感。〇六年に茨城県つくば市で開かれたマッサージセミナーで、目の不自由なアジアの学生を支援する「国際視覚障害者援護協会(IAVI)」(東京都板橋区)の前理事長と知り合い、日本留学を薦められた。
IAVIは一九七一年の設立以降、十七カ国・地域の視覚障害者七十六人を受け入れ、特別支援学校での勉強を支えてきた。ソンさんは〇七年に来日。翌年から筑波大付属視覚特別支援学校高等部(東京都文京区)で鍼灸やマッサージを学び、全国盲学校弁論大会で優勝した。
卒業の一一年三月、東日本大震災が起き、母国の家族の心配もあり帰国したが、ソンさん自身は引き続き日本での勉強を熱望。IAVIの石渡博明理事長(65)の支援で進学先の選定や手続きを進め、再来日した。「両親や妻は応援してくれる」と感謝する。
目の不自由な留学生の受け入れは初めてという広島大で、ソンさんは教育学部の授業を一年間受け、大学院の試験に合格後、アジア各国の障害者の現状や支援制度などを研究する。今月九日、授業が始まった。「よく理解できる。みんなも親切」。滑り出しは上々だ。

再来日したソンさん(右)を励ます国際視覚障害者援護協会の石渡博明理事長=東京都板橋区で
東京新聞-2013年4月30日 夕刊