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Channel: ゴエモンのつぶやき
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気仙沼市幸町の白幡さん家族/最後まで5人一緒に

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 車で避難する最中の悲劇だった。気仙沼市幸町で、一家5人が乗った車が渋滞で動けなくなり、東日本大震災の津波で犠牲になった。車いす生活の障害者や乳幼児らが乗っていた。
 美容室を営んでいた白幡南津子さん=は地震後、次女久美さん=同の車で生家のある内陸部へ向かおうとした。半身不随の長男健治さん=同(36)=と、久美さんの長男天芯ちゃん=同(2)=、次男藍丸ちゃん=同(4カ月)=も一緒だった。
 しかし、信号は点灯せず、道路は避難する車で混雑。自宅前からほとんど進めずにいたときに津波に襲われた。
 5人は昨年3月末、自宅近くで、がれきに埋もれた車の中から見つかった。「誰かを見捨てることなく、最後まで5人一緒だった。家族の強い絆があったからかな」。バイクで避難し無事だった南津子さんの夫守さん(68)が振り返る。

<ママへ花の贈り物>
 天芯ちゃん、藍丸ちゃん兄弟との散歩は守さんの日課だった。近くの川沿いの土手をゆっくり歩いた。茂みでは四つ葉のクローバーを探した。
 「このお花をママにあげよう」。道端に咲く花を見つけると天芯ちゃんが駆け寄った。久美さんは笑顔で花を受け取り、一輪挿しに生けて店先に飾った。
 久美さんの夫竜次さん(41)は仕事の都合で、単身で名取市に暮らす。あの日の翌日も気仙沼に出向くはずだった。
 「震災がなければ次の日に会えるはずだったのに。もう抱きしめることもできない」。悲しみは今も深いままだ。
 健治さんは10年ほど前、スノーボードで転倒し下半身まひに。それでも趣味のドライブや釣りに出掛け、陸上の投てき競技にも打ち込んだ。
 2010年の全国障害者スポーツ大会では宮城県選手団の主将を務め、ソフトボール投げ競技で優勝した。
 「世話好きで、障害者というハンディキャップを表に出さず何にでも前向きに取り組んでいた」。旧知のガソリンスタンド店員三浦直也さん(37)はそう思い返す。
 健治さんと同じ型の車が給油に来ると、ふと運転席に目が向くという。

<「母と美容室再開」>
 南津子さんと美容室を切り盛りしていた長女小山美和さん(40)は昨年12月、気仙沼市南町の仮設商店街で店を再開させた。店名は「ナツ美容室」。南津子さんが三十数年前に始めた時の名前だ。
 「母と一緒に再出発したかった」と美和さん。泥はかぶったが流出を免れたシャンプー台も、きれいにして使っている。シャンプー台の隣に立つたび「絶対に忘れないからね」と母への思いが募る。


全国障害者スポーツ大会の選手団結団式で宣誓する白幡健治さん=2010年10月21日

河北新報- 2012年11月04日日曜日

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