NPO法人の施設は福島第一原発から約四十キロにあった。事故当時、避難ではなく屋内退避指示が出た。鈴木さんは「屋内退避だとヘルパーが介助に来られない。介助がないと障害者はトイレや食事もままならない。避難の必要があったが、行政にそうした考えはなかった」と振り返る。
自らも車いすの鈴木さんは、独居の重度障害者三人やヘルパーらとともに新潟県内の旅館に自主避難した。「障害者にとって初期避難が生死を左右する。体温調節ができず、トイレで用を足すのも困難といった特性を考えると、避難所では無理と判断した」という。
映画の上映後、午後二時四十五分から「障害者の3・11と未来」と題し、鈴木さんが講演する。入場無料。事前申し込みは不要で先着百人。問い合わせは、みはらしポンテ=電045(628)1343。
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原発事故直後の様子を涙ながらに語る鈴木絹江さん(ドキュメンタリー「逃げ遅れる人々」の一場面から)
東京新聞-2013年9月25日
自らも車いすの鈴木さんは、独居の重度障害者三人やヘルパーらとともに新潟県内の旅館に自主避難した。「障害者にとって初期避難が生死を左右する。体温調節ができず、トイレで用を足すのも困難といった特性を考えると、避難所では無理と判断した」という。
映画の上映後、午後二時四十五分から「障害者の3・11と未来」と題し、鈴木さんが講演する。入場無料。事前申し込みは不要で先着百人。問い合わせは、みはらしポンテ=電045(628)1343。

原発事故直後の様子を涙ながらに語る鈴木絹江さん(ドキュメンタリー「逃げ遅れる人々」の一場面から)
東京新聞-2013年9月25日