ノルディックスキー距離男子スプリント(1キロ)のフリー立位で岐阜・飛騨神岡高3年の岩本啓吾が初出場。障害を意識せずに育ち、2年前に日本代表監督にスカウトされて障害者スキーの世界と出合った。35人中32位で予選落ちとなったが、初の大舞台を終えてすがすがしい笑顔を見せた。
高校1年の冬、岐阜県スキー連盟の合宿で訪れていた北海道音威子府村。足を引きずって歩いていると、突然車から男性が出てきて話しかけられた。「君、足に障害あるの。パラリンピックって知ってるかな」
声をかけたのは、この村を訪れていた日本代表の荒井秀樹監督(59)。連絡先を交換したが、どこか半信半疑だった。脳性まひで生まれつき両足が不自由だったが、本人にはずっと障害者という自覚がなく、障害者手帳さえ持っていなかった。
それは、母智恵子さん(43)の教育方針があったからだ。双子の弟悠吾さんと岩本は未熟児として生まれ、医者から「(障害などの)影響が残るかもしれない」と言われた。弟に障害はなかったが、岩本はつかまり立ちも遅かった。しかし、母は「障害を認めたらこの子は伸びない。できる、できないは別」と考え、弟と同じように育てた。
小学生になって授業でスキーを始めると、高校でも弟と一緒に、健常者と同じ部活で距離スキーに取り組んだ。「疑うこともなく、みんなと同じだと思っていた」。スカウトされたことを智恵子さんに報告した後、病院で診断を受け、障害者手帳も取った。その後は海外遠征の日本代表にも選ばれ、そしてパラリンピック出場が決まった。
岩本は今、ソチに送り出してくれた母に感謝する。次は大会最終日の16日、距離の男子10キロフリーに出場。その後、胸を張って帰るつもりだ。
◇ロシア勢に脱帽
○…不本意な結果にもさばさばとした表情で新田は完敗を認めた。予選通過の12人中12位で臨んだ準決勝。上りで前の選手についていこうというプランだったが離され、準決勝1組で最下位の6位に終わった。「ロシア勢の強さが、ワールドカップとは別物。どうやったら勝てるのか、教えてもらいたいぐらい」と脱帽していた。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
力走する岩本啓吾選手=ロシア・ソチのラウラ・センターで2014年3月12日
毎日新聞 2014年03月13日 東京朝刊
高校1年の冬、岐阜県スキー連盟の合宿で訪れていた北海道音威子府村。足を引きずって歩いていると、突然車から男性が出てきて話しかけられた。「君、足に障害あるの。パラリンピックって知ってるかな」
声をかけたのは、この村を訪れていた日本代表の荒井秀樹監督(59)。連絡先を交換したが、どこか半信半疑だった。脳性まひで生まれつき両足が不自由だったが、本人にはずっと障害者という自覚がなく、障害者手帳さえ持っていなかった。
それは、母智恵子さん(43)の教育方針があったからだ。双子の弟悠吾さんと岩本は未熟児として生まれ、医者から「(障害などの)影響が残るかもしれない」と言われた。弟に障害はなかったが、岩本はつかまり立ちも遅かった。しかし、母は「障害を認めたらこの子は伸びない。できる、できないは別」と考え、弟と同じように育てた。
小学生になって授業でスキーを始めると、高校でも弟と一緒に、健常者と同じ部活で距離スキーに取り組んだ。「疑うこともなく、みんなと同じだと思っていた」。スカウトされたことを智恵子さんに報告した後、病院で診断を受け、障害者手帳も取った。その後は海外遠征の日本代表にも選ばれ、そしてパラリンピック出場が決まった。
岩本は今、ソチに送り出してくれた母に感謝する。次は大会最終日の16日、距離の男子10キロフリーに出場。その後、胸を張って帰るつもりだ。
◇ロシア勢に脱帽
○…不本意な結果にもさばさばとした表情で新田は完敗を認めた。予選通過の12人中12位で臨んだ準決勝。上りで前の選手についていこうというプランだったが離され、準決勝1組で最下位の6位に終わった。「ロシア勢の強さが、ワールドカップとは別物。どうやったら勝てるのか、教えてもらいたいぐらい」と脱帽していた。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

力走する岩本啓吾選手=ロシア・ソチのラウラ・センターで2014年3月12日
毎日新聞 2014年03月13日 東京朝刊