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Channel: ゴエモンのつぶやき
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あん人こん人:三菱商事太陽の新社長・山下達夫さん /大分

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 ◇師の思い、次代の障害者へ−−山下達夫さん(55)=別府市亀川

 社会福祉法人「太陽の家」と三菱商事の共同出資会社「三菱商事太陽」(別府市亀川)の社長に4月就任した。1983年発足の同社の5代目社長だが、障害者としても生え抜きの社員としても初の社長となる。

 1歳2カ月で、脊髄(せきずい)性小児まひのため死線をさまよった。船員だった父が外国製の高価なワクチンの連続投与を決断し、一命を取り留めた。

 だが全身まひで、寝床から自力で体を起こせない。養護学校への入学さえ断られ、母親が一日中つきそうことを条件に普通小学校への入学がかなった。

 母は毎日おんぶして片道20分の登下校を繰り返した。4年生までは母が隣に座り、教室で一緒に授業を聴いた。5年生になると、反抗期からその母を遠ざけた。午前中いっぱい排尿を我慢する習慣をつけ、学校の送り迎えと昼食時のトイレの世話の時だけ母を呼んだ。教室間の移動の時は、クラス仲間に支えてもらった。

 高校は養護学校で寮生活。卒業して「太陽の家」の訓練生になった。創設者の故・中村裕医師は、正規の訓練とは別にコンピューターの教育を毎夜ほどこした。両手が自由に動く車いすの障害者なら物作りの作業はできるが、やっと片手しか使えない重度障害者には手作業も無理だったからだ。山下さんの手を握りしめ「将来、パソコンの時代が必ず来る。頑張れ」と励ました。その真心に応えようと懸命に覚えた。創業と同時に入社した。

 現在は障害者54人を含む社員88人がシステム開発やホームページ作りを請け負っている。「手足のハンディはともかく、頭脳の分野でのハンディをなくす職域の開拓が僕の仕事。次の世代の障害者へと引き継ぐ仕事です」と決意を語る。

 社長室には、恩人である中村医師の「世に身心障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」という厳しくも温かい激励文を収めた額が掲げてある。

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 ◇メモ

 山口県下関市生まれで2人の姉の下の末っ子。保護から自立して家族を持つのが夢だった。その結果、娘2人、男の孫1人を授かった。父(88)、母(86)は下関に暮らす。

毎日新聞 2014年05月18日 地方版

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