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Channel: ゴエモンのつぶやき
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障害というリスク

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今週も、個人的な話題から。

遅ればせながら、僕もとうとうSuicaデビューを果たしました! ショートステイなどでひとりで買い物に出かける機会が増えたということで、電子マネーの利用に踏みきったわけですが、思った以上に便利ですね。店員さんに小銭をそろえてもらう手間もいらないし、使った金額が数字ではっきり確認できますから、よけいな買い物をしてしまう心配もなし。

ただ、JRや私鉄各社は障害者用のSuica(PASMOも含む)を発行していないので、僕は電車に乗る時は今まで通り、障害者割引の切符を買っています。もともと電車にスイスイ乗るためのICカードなのに買い物にしか使えないというのも、何だか変ですよね。障害者用Suicaが早くできるといいのですが……。

Suicaのおかげで、ひとりで外に出かけるのがよりいっそう楽しくなりました。けれども、介助者なしでの外出はやはりそれなりに心配事も多く、リスクも伴うものです。それは、介助者が同行した外出でも同じです。

外出時の危険で真っ先に思い浮かぶのは、踏切ですね。以前、樋口彩夏さんも踏切を渡るのはこわいとコラムで書いていましたが、僕もまったく同感です。僕はよく近所の図書館で本を借りるのですが、そこへ行くには必ずJR南武線の踏切を渡らなければならず、これが悩みのタネでした。

それほど頻繁に電車が通るわけではないのですが、できることなら確実に警報機の鳴らない、安全なタイミングで通過したい。そこで僕が編み出したのは、(踏切が閉まる時間を徹底的に調べる!)という作戦でした。

踏切をはさんだふたつの駅の時刻表を調べれば、その区間を電車が通過するタイミングが割り出せます。そのデータを書き込んだ表を外出時にはつねに携帯しておき、踏切を渡る直前には必ず介助者に確認してもらうのです。

実際の時刻と照らし合わせ、電車通過まで2分以上の余裕があればセーフ。安心して踏切を渡ることができます。あと1分以内で電車がきそうな場合は迷わずその場でストップし、電車が通過してから渡るようにしています。

この方式を導入してから、踏切を渡るのがかなり楽になりました。ただ、これは普段よく通る踏切だからできることで、土地勘のまったくない場所では通用しません。定期的に行われるダイヤ改正に合わせてその都度データをあつめ直さなければいけないという問題があります。いつかのコラムで提案した(遮断機が下りるまでの分数が表示される踏切)が全国的に広まれば、こうした悩みも一気に解決するのですが……。

外出にかぎらず、障害者が新しいことにチャレンジしようとするとき、リスクという3文字はつねにつきまといます。地域の小学校に入学希望を出した時も、すんなりと受け入れは決まらず、ぎりぎりまで学校側との話し合いを続けました。その時は子どもだったのでよくわかりませんでしたが、いま思えば、学校としては障害児を受け入れるリスクについて冷静に計算していたのかもしれません。

障害児と健常の子どもではどこがどう違い、どのような配慮が必要なのか。障害によるリスクを学校側が引き受けられるのか。そうしたことをふまえ、本当に大丈夫だと判断できないかぎり、障害児を受け入れるという結論にはならない。これが、20年前の教育現場です。

学校選びだけではありません。障害がリスクとして見なされる傾向は、一般就労でも同じです。就職面接での苦労は以前も書いたので繰り返しませんが、障害者が社会に出て働くのはまだまだハードルが高いと言わざるを得ません。最終的な成果を求める分、学校よりも一般企業のほうがリスクに対する感覚はシビアなのかもしれません。

学校でも企業でも、障害をリスクととらえがちな傾向は共通しています。(何かあったらどうするんだ)という不安が先に立ってしまい、どうすれば問題なく受け入れられるかという方向には、なかなか発想が向かない。

確かに、障害を抱えているとどうしても周囲の配慮が必要になりますから、受け入れる側が及び腰になるのも一方的に非難することはできません。ただ、障害によるリスクだけを強調し、それを理由に受け入れを拒むのは消極的すぎるのではと思うのです。

実際、学校や企業が挙げるリスク要因の多くは、ちょっとした工夫やまわりの協力次第で何とかなるのではと思えるものだったりします。言いかえればそれだけ障害者への知識が不足しているということで、こちらが根気強く説明を続けていけば扉がじわじわと開かれていくケースも少なくありません。

障害のリスクを過剰に気にするのは、突き詰めればその本人を一人前として認めていないということなんですよね。表向きは当人のことを心配しているようでも、結局は(あなたは自分ひとりで責任を取れないんでしょ)と言っているようなものですから、かたちを変えた差別行為なわけです。

就職面接で必ず出るのが通勤に関する質問ですが、これもひとつの象徴ですよね。通勤中に何かあっても、あくまで本人の自己責任。それは障害者でも健常者でも変わりません。にもかかわらず、同じようなことを面接の度に質問される。

さらに困るのは、それを言っている本人がその言葉の本当の意味に気づいていないこと。当の面接官はあくまでも冷静に、目の前の障害者の能力を評価していると思っている。このギャップは、意外に大きいものです。

障害によるリスクは、その本人だけに降りかかるものではありません。たとえば、出生前診断。障害児を産むことをリスクととらえる母親がいることは事実です。だからこそ出生前診断を受ける妊婦があとを絶たないのであり、その中の一定数が中絶という選択をしている。

僕は今のところ、出生前診断について否定も肯定もできずにいます。あえて言えば中立的立場、ということになるでしょうか。もちろん、中絶を無条件に推奨することはできないけれど、(産めばどうにかなる)式の精神論で母親の不安が解消するとも思えない。

出生前診断についてこれまで一度も取り上げなかったのは、そういう迷いがあったからです。この問題についてはいつか正面切って取り上げなければと思っています。おこがましい言い方かもしれませんが、その時までお待ちください。

リスク・ヘッジという言葉があります。リスク・マネージメントという風にも言いかえられますが、要するに(起こり得るリスクとどう向き合うか)という考え方です。

ヘルパー事業所は「ヒヤリハット報告」というシステムをつくり、実際のサポートであわや、と感じる出来事が起こった場合はそれを文書にまとめて責任者に提出するのだそうです。文書化することで問題点の共有に役立ち、なおかつ将来の大事故予防にもつながる。ヘルパーさんの努力があるからこそ、安心して介護が受けられるのですね。

(ハインリッヒの法則)は、リスク予見の大切さを教えてくれます。一件の大事故の前には、数えきれないほどのちいさなミスが起こっている。逆に言うと、ちいさなミスの芽を見過ごさなければ大事故は防げる、ということです。リスク・ヘッジのモデルとしては他に、スイスチーズ・モデルなどがあります。

人生にリスクはつきものです。けれど、リスクが大きいから、危険が大きいからと本当にやりたいことをあきらめてしまうのは、やっぱりすごくもったいない。

障害について自分自身で深く理解し、どこまでの配慮が必要なのかをまわりに伝えることができれば、リスクは自然に軽減されます。リスクから逃げるのではなく、リスクと向き合う生き方へ。過剰な心配ではなく必要な配慮を積み重ねていくことが、本当の意味でのリスク・ヘッジと言えるのではないでしょうか。

立石芳樹 (たていし・よしき)

1988年、神奈川県生まれ。生まれてすぐに脳性マヒ(CP)と診断される。中学校の頃から本格的に創作活動を始める。専門はショートショート。趣味は読書と将棋。ツイッター(@dupan216)も始めました。座右の銘は「一日一笑」。

 ・ より良い世界へ希望を込めて アピタルコラムの筆者、立石芳樹さん. 2014年8月18日

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