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島への愛、手話で表現/手話サークルひまわり会

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オリジナル劇7年ぶり復活/子供たちの感性躍動

 昨年11月に開催された宮古島聴覚障害者の会の「手話祭in宮古島」。会場の市中央公民館の舞台では、手話サークルひまわり会が7年ぶりに復活させたオリジナル手話劇「島人の宝」が上演され、会場から盛大な拍手を受けた。この成功を受けて自信を持った子供たちは、新たな発表の場を求めている。

 ひまわり会は、下地地区だけでなく平良や上野地区の4歳~中学校3年生までの18人で構成。毎週木曜日の午後8時から下地老人福祉センターで活動を行っている。

 ひまわり会の宮国尚美会長は「今の子供たちが4~5歳くらいの時に、お姉さんやお兄さんたちがこのオリジナル劇を演じた。その時の感動をみんな覚えていて、やりたいと思っていたと思う。今年ようやく、今のメンバーたちが立ち上がり、7年ぶりに復活できてとてもうれしい」と話した。

 「島人の宝」は、宮古に転校してきた生徒が島の海の美しさに魅了される中、開発が進む島の現状を知る島で暮らす子供たちは「以前はもっときれいだった」と話し、失われつつある島の美しい自然や景色を守るためにどうするかをみんなで考える物語。

 お互いの友情を育みながら、自分たちで自分の住む島を少しでも美しくしようと、清掃活動などできることから動き出す子供たちの様子を、手話劇で表現力豊かに演じた。

 復活の舞台に出演した子供たちは舞台いっぱいに笑顔で躍動し、体全体の動きと手話による繊細な表現方法を駆使しながら、健常者から耳の不自由な人たちにも分かりやすく物語が持つメッセージを送った。

 上演後は、耳の不自由な人たちからも十分に手話が通じたことや、表情も豊かで、楽しい芝居だったことが報告され、子供たちも大喜びした。

 こうした子供たちの姿を見て、宮国会長は「最初は本当に人前に出せるレベルではなかった。自分たちの芝居をどう伝えるかについて子供たちが自ら考え動き出したことがうれしかった。今回の成功で子供たちはすごく自信を持っているし、新たな発表の場所を探している。今後も、手話とオリジナルの手話劇はしっかり継承して多くの場所で披露していきたい」と笑顔で話した。

 昨年11月に開催された宮古島聴覚障害者の会の「手話祭in宮古島」。会場の市中央公民館の舞台では、手話サークルひまわり会が7年ぶりに復活させたオリジナル手話劇「島人の宝」が上演され、会場から盛大な拍手を受けた。この成功を受けて自信を持った子供たちは、新たな発表の場を求めている。

手話サークルひまわり会の皆さん。左側の大人は手話で「明けまして」、右側の子供たちは「おめでとうございます」を表している。

2016年1月1日    宮古毎日新聞


携帯スロープ、街と人結べ 盛岡のデザイナー・松嶺貴幸さん /岩手

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 木材加工品、鉄器、ジーンズ−−。東北には地域に根ざし、人々に愛されている「もの」がある。実用性にあふれる機能や、洗練されたデザイン。生産者の技や努力の結晶は2016年も進化し、私たちの生活の一端を照らしてくれるだろう。情熱を傾けて、ものづくりに励む東北人の「ものがたり」を伝えたい。ー

県産材使い、車椅子移動快適に バリアフリーへ「ランプ」 盛岡のデザイナー・松嶺貴幸さん(30)

 電子ペンを口にくわえ首を上下に動かし、デジタルスクリーンをなぞる。輪郭が少しずつ浮かび上がり、5分ほどで女性の全身のシルエットになった。盛岡市のデザイナー、松嶺貴幸さん(30)。車椅子の利用者が段差を乗り越えられるよう、木製の持ち運び可能な携帯型スロープ「ランプ」をデザインする。

 2002年、高校2年の時だった。地元スキー場で、宙返りをして頭から地面に転落。意識不明の重体から一命を取り留めたが、脊髄(せきずい)の一部、頸髄(けいずい)を損傷し、首から下が動かなくなった。

 「前向きに生きよう」「このまま体が動かないのかも」。気持ちが揺れ動く。高校は中退したが、2年間の入院生活を経て、車椅子で生活できるまでに回復した。

 「障害者だから何もできないという固定概念を壊したかった」。04年に1人暮らしを始め、口に棒をくわえてキーボードを操作し、ホームページをプログラミングする仕事で生計を立てた。

 仕事は舞い込んだが、大学生活への思いを捨てきれなかった。米国への憧れもあり、猛勉強の末に高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格。10年1月、国際ビジネスを学ぶため、米カリフォルニア州のサンタモニカ大に留学した。

 在学中、自身と同じ脊髄損傷で両手足が不自由となった女性が描いた風景画に出合い、衝撃を受けた。「これほど繊細な絵が描けるのか」。細かなタッチは、すべて口で描かれていた。「これなら自分が健常者と同じステージで勝負できる」と直感した。

 その日、下宿先に帰ると、すぐにペンを口にくわえ大学ノートと向き合った。力を入れても、ミミズのように波打った線しか引けない。ノートに何万回も繰り返し線を描いた。その後も、独学で技術を磨いた。

 1年間の留学を終えて、11年に帰国すると、直後に東日本大震災が起きた。「自分は何もできていない」。車椅子で被災地支援に行くことができず、無力感を感じていた。

 それでも被災地と何か関わりを持ちたくて、手軽に入手できる木材を活用して、バリアフリーに貢献できるスロープを思いついた。津波で大きな被害を受けた陸前高田市の木材加工会社に作製を依頼することで、復興につながる。

 「ランプ」と名付けたスロープを広げようと、12年10月に一般社団法人「ランプアップいわて」を設立した。「ランプ」は、高速道路などで高さが違う道路を結ぶ坂道を指す。

 木材は岩手産を使う。縦90センチ、横80センチ、重さは10キロだが、折りたたんで持ち運びができる。表面には、松嶺さんが描いた流線型の粋なイラストを特殊印刷したタイプもある。「障害者用だから暗い、かっこよくないというマイナスの印象を覆したかった」。一目見ただけでは、福祉用具には見えない。

 標準型は1万5900円、イラスト付きは4万1580円。賛同企業の協力もあり、盛岡市内の商店街などで使われている。これまでに100個以上を寄贈、販売した。デザインの仕事などで各地を回ると、「『ランプ』が欲しい」という声を聞く。「バリアフリーへの理解は確実に広まっている」

 昨年10月、さらに活動の輪を全国に広げようと、一般社団法人「ランプアップJAPAN」を設立した。今後、ご当地産の木材を利用し、全国規模での普及を目指す。

 「ランプ」が各地で木材と街、人を結ぶ。松嶺さんは手応えを感じている。

  自らデザインした木製のスロープ「ランプ」を、車椅子で上る松嶺貴幸さん(左)。近所の子どもたちも自宅に遊びに来る人気者だ。     松嶺貴幸さんは口にペンをくわえると、スムーズにデザインを始めた=盛岡市月が丘3の自宅兼作業場で   毎日新聞   2016年1月1日 地方版

「自立/自律」が自信になる

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藤沢の障害者の未来のために

 獺郷に本部を置き、市内外で障害を持つ人々を対象とした14拠点を運営する、藤沢最大級の社会福祉法人「光友会」。全国に先駆けて障害者向けデイサービスや通所介護を始めるなど、利用者のニーズを重視した独自の事業を行っている。

 77歳の喜寿を迎えた五十嵐紀子理事長は、「いつも考えてきたのは、障害者が地域で質の良い生活を送るための手段」と振り返る。利用者が行政に寄り掛かることなく、可能な限り自分たちの力で生活できるよう職業訓練や就労支援、そして収益性のある事業を心掛けてきた。「自立と自律、そして自活が生きる自信につながる」と力強く語る。

 さらに今後の障害者福祉のあり方のキーワードとして、「在宅福祉」を挙げる。大型施設に入所して社会と隔絶してしまう方式ではなく、各地域に核となる小規模な拠点を点在させ、障害者が望む場所で暮らしながら福祉サービスを受けられる仕組みが理想だ。市が進める「地域の縁側」事業はコンセプトが近く、発展へ向け協力していきたいと話す。「まだまだこの先、より良い福祉事業が形になるところを見たい。私は『好奇心人間』だから」とバイタリティ溢れる笑顔で結んだ。

社会福祉法人 光友会・ 獺郷1008-1・TEL:0466-48-1500*http://www.lfa.jp/

2016年1月1日    タウンニュース


避難支援計画16市町未完成 静岡県内自治体苦慮

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 東日本大震災を教訓とした災害対策基本法の改正で必要になった、高齢者や障害者らの避難支援対策をまとめた計画について、静岡県内35市町のうち16市町で策定を終えていないことが、31日までの県と各市町への取材で分かった。このうち法的に義務付けられた要支援者名簿も3市町が未作成で、各自治体が災害弱者対策に苦慮する姿が浮かび上がった。
 東日本大震災では高齢者や障害者らへの避難支援が遅れ、多数の犠牲者が出た。このため改正災対法は各市町村に、要支援者対策の計画をまとめるとともに、任意だった名簿の作成を義務付け、本人同意を得て平時から消防や民生委員らに提供するよう求める。
 県内では下田市と南伊豆町、西伊豆町が計画も名簿も未作成。いずれも想定される南海トラフ巨大地震で甚大な津波被害の恐れがあり、西伊豆町の担当者は「住民全体の避難計画作りに追われ、要支援者まで手が回らない」と明かす。
 ただ、計画や名簿ができれば対策が一気に進むというわけでもない。

 浜松市は計画も名簿も作り終えたが、地域に名簿を配布していない。要介護度や障害の度合いなども記載され、管理方法や共有範囲に慎重な対応が必要になるからだ。危機管理課の担当者は「平時は厳重な管理が求められ、災害時にはすぐ取り出せないと意味がない。自治会は頻繁に役員が替わり、どこまで知らせるかラインを引くのも難しい」と運用面に悩む。
 本県では以前から、全市町がそれぞれの基準で名簿を作っていたが、法改正で要件が厳しくなり、あらためて同意取得を強いられた。民生委員を通じた“一応の同意”に基づく名簿があった御前崎市では、平時の情報提供同意者が半数以下に減った。福祉課の担当者は「災害対応だけ考えると、法改正前より後退した。毎年の更新時に理解を呼び掛けたい」と話す。
 県は本年度中に県内5カ所で意見交換会を開く。健康福祉部の担当者は「災害弱者の避難支援は特に事前の備えが重要。市町に課題を聞きながら、意識を喚起していきたい」とする。

 <メモ> 2011年に起きた東日本大震災では死者全体のうち65歳以上が約6割を占め、障害者の死亡率は被災者全体の約2倍だった。要支援者名簿があっても、個人情報保護の観点で活用できなかった事例があり、被害が拡大したとされる。要支援者対策を進めるため、国は13年の災対法改正で自治体に実効性の高い避難支援計画づくりを求め、統一的な名簿作成を義務付けた。計画は避難支援者の確保や避難場所、避難路などを定める。

2016/1/1    @S[アットエス] by 静岡新聞

全盲の外間さんケアマネ合格 介護患者、家族に光

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 全盲の外間久生(ひさお)さん(61)がこのほど、介護支援専門員(ケアマネジャー)実務研修受講試験に合格した。合格率1割の難関に2度目の挑戦で合格。2、3月に実務研修を受けて資格取得、登録となる。県内で登録されているケアマネのうち、視覚障がい者は1人。資格を取得すれば視覚障がい者では2人目になる。はり・灸(きゅう)、マッサージの治療院を営む外間さんは「患者さんに介護保険の知識を伝え、介護生活を楽にしてあげたい」と話す。

 外間さんの治療院に通う患者の中には家族を介護していて腰や肩を痛めた人が少なくない。こもりきりになっていて体が動かなくなった高齢者もいる。そのような患者や家族の多くが介護保険にはどんなサービスがあるのか知らないことに外間さんは気付き、介護保険についてアドバイスできるようになりたいと2013年秋から勉強を始めた。
 勉強法は過去問を聞いて何度も解くこと。視覚障がい者用のデジタル録音図書化された最新の過去問を、家の中はもちろん、仕事の合間も解いた。夏からは週3回、県視覚障害者福祉協会の対面音訳ボランティアに試験問題を読んでもらい、勉強に励んだ。「音訳ボランティアの方が目の前で読んでくれるので、1人で勉強するより集中できた。そのおかげで合格できた」と感謝する。
 試験は晴眼者が2時間に対し全盲の外間さんは3時間。ほかの受験者とは別室で試験官と回答を書き取る人が付いての受験だった。「3時間集中するのは大変だった。指も痛くなった」と苦笑いする。
 2月から始まる研修は晴眼者と一緒に受講する。現在はそれに向け、テキストの内容を予習している。「人の3倍はやらないとね」と意気込む。「障がいがあるから何もできないと閉じこもっていては駄目だ。挑戦することで生きていくことは楽しくなる」と声を弾ませた。

介護支援専門員(ケアマネジャー)実務研修試験に合格した外間久生さん

2016年1月1日   琉球新報

闘争心 世界一に挑戦…車いすラグビー池崎選手

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◆リオ・パラリンピックで

 今年9月に開かれるリオデジャネイロ・パラリンピックへの出場権を獲得した車いすラグビーの日本代表で、札幌市在住の池崎大輔選手(37)(アディダス・ジャパン)が不動のエースとして活躍している。「北海道から世界一になれると証明し、障害者スポーツの環境整備も訴えたい」との決意を胸に、練習を積んでいる。

 リオデジャネイロ・パラリンピックの予選を兼ねたアジア・オセアニア選手権は10、11月に千葉市内で開かれ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、韓国の4か国が参加。日本代表の池崎選手は10月30日の豪州戦で、全56得点中39得点と大暴れ。総当たり戦の上位2チームによる11月1日の決勝でも、世界選手権覇者の豪州を破る原動力となり、パラリンピックの4大会連続出場に貢献した。アジア・オセアニア選手権で日本は初優勝。世界ランクは3位となった。

 池崎選手は函館市出身。6歳で手足の筋肉が徐々に萎縮する難病「シャルコー・マリー・トゥース病」と診断された。岩見沢高等養護学校在学中に車いすバスケットボールを始めたが、握力が弱く、車いすを急停止させる操作などに苦しんでいた。そんな時に車いすが激しくぶつかり合うラグビーを知り、持ち前の闘争心に火がついて「自分に合う。これで世界に挑む」と2009年に転向した。バスケで培った車いすの操作技術を生かし、翌年から日本代表に選ばれている。

 所属は、道内で唯一のチーム「北海道ビッグディッパーズ」。ただ、道内の環境は厳しく、「床に傷が付く」などの理由で車いすラグビーなどの障害者スポーツは本州に比べて体育館の予約が取りにくいという。冬は外で練習が出来ない。関東圏での代表合宿などへの移動にも時間と労力が必要だ。それでも「生まれ育った北海道が好き。家族もいて、食事もおいしい。『やればできる』という姿をみせたい」と言い切る。

 金メダリストになり、車いすラグビーや障害者スポーツへの理解や関心を高めてもらい、道内の競技環境を改善していくという青写真を描く。「環境が良くなれば競技力も高まり、障害者スポーツで世界を目指せる人も増える。世界一になれば、言葉の重みも出て、世の中を変えられるはず」。秘めた決意を力強く語った。

アジア・オセアニア選手権の豪州戦で、ロングパスをキャッチする池崎選手(左)

アジア・オセアニア選手権の豪州戦で、ロングパスをキャッチする池崎選手(左)

2016年01月01日   読売新聞

障害者への理解促したい ブラジル・パラリンピック委員会会長、アンドリュー・パーソンズ氏

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障害者への理解促したい アンドリュー・パーソンズ氏(38)

 五輪に引き続き9月に開催されるリオデジャネイロ・パラリンピック。障害者スポーツの祭典にとっても夏冬通じて南米で初開催となり、普及と理解促進が期待される。ブラジルのパラリンピック委員会会長で、国際パラリンピック委員会副会長のアンドリュー・パーソンズ氏(38)がリオデジャネイロ市内で取材に応じ、大会の理念、抱負を語った。【構成・藤野智成】

  リオ大会のテーマは「変化」だ。パラリンピック、障害者への見方、理解に対しての変化を目指しており、選手らへのリスペクト(敬意)を持ってもらうことを意識している。大会を終着点ではなく、人々の変化の通過点にしていきたい。

 2012年ロンドン大会には過去最多の164カ国・地域から選手4237人が出場した。リオ大会では、それを上回る170カ国・地域以上からの選手の出場を目指している。ロンドン大会は入場券も過去最多の270万枚を完売したが、リオ大会では300万枚のチケット販売を目標としており、達成には自信を持っている。

 ブラジルはリオ大会での国・地域別金メダル数で5位を目標にしている。00年シドニー大会では24位(6個)だった。その後、宝くじの売り上げを財源とした強化支援も始まり、長期的な選手育成にも取り組み、04年アテネ大会で14位(14個)、08年北京大会で9位(16個)、ロンドン大会では、過去最高の7位(21個)となった。

 ブラジル国内では、「変化」と名付けた障害者スポーツ普及のプログラムが展開されている。リオ市内の学校を中心に、競技を紹介する資料を配ったり、実際に子供を競技会場に招いたり、理解を促している。幼いころから、義足などへの知識を持つことが大事だ。

 パラリンピックの自国開催が決まったことで、サンパウロ市内の障害者専用のナショナルトレーニングセンターの整備も進んだ。リオ大会を通じて、競技の知名度が上がり、もっと民間企業からの支援を増やしたい。

 リオ大会が終われば、次は東京が舞台となる。私は東京五輪の準備状況を確認する国際オリンピック委員会の調整委員会のメンバーにも入っている。日本を訪れるたびに感じるのは、日本の関係者が、常に五輪と共にパラリンピックの成功を強調すること。非常に印象的だ。日本には車いすテニスの国枝慎吾さん、陸上の佐藤真海さんら、すばらしい選手がたくさんいる。20年東京パラリンピックは史上最高の大会となると、今から確信している。

毎日新聞  2016年1月1日 東京朝刊

「ピープル・ツリー」のアクセサリーで発展途上国の子どもらに笑顔

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タラ・プロジェクトが運営する教育センターを訪ねた「ピープル・ツリー」を運営するフェアトレードカンパニーのサフィア・ミニー代表(前列中央)

 人や地球に優しいファッションや食品などを提案する「ピープル・ツリー(PEOPLE TREE)」のアクセサリーのほとんどは、ケニアのボンボルル・ワークショップ(以下、ボンボルル)とインドのタラ・プロジェクト(以下、タラ)で作られている。また、同ブランドは団体に属する人々の仕事の機会を与えるだけでなく、これらのアクセサリーの売り上げの一部をそれらの団体に寄付している。

 ボンボルルは障害者が自立するためのリハビリセンターで、約150人がアクセサリーの制作を行っている。「ピープル・ツリー」はボンボルルのために障害を持つ子どもたちへ送る車椅子キャンペーンを開催中。同団体が制作したアクセサリーの売り上げ300個につき、車椅子1つをプレゼントしている。それらの車椅子もボンボルルの職人によるものだ。

 タラは貧困層の人々の生活向上を支援する団体だ。40年以上にわたり、インド北部の手工芸生産グループの製品作りや販売をサポートしており、約500人の職人がアクセサリー制作などを通じて収入を得ている。インドでは500万人以上の子どもらが、学校に行けず働いている。タラでは児童労働に従事する子どもらに教育の機会を作るため、5カ所教育センターを運営。「ピープル・ツリー」はタラによるアクセサリーの売り上げ100点ごとに30ドルを教育センターへ送付し、それらはテキスト代や食事代に充てられている。

 「ピープル・ツリー」のアクセサリーは、つける人を輝かせるのみならず、ケニアやインドの子どもらの笑顔を輝かせている。

FRI, JAN 01, 2016     WWD Japan.com

手話で朝が始まる消防署 全署で全員練習

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職員がそろって手話を練習 

福知山市の消防職員は朝礼(朝の申し送り)で、手話であいさつの練習をしている。「おはようございます」「いらっしゃいませ」-。市消防本部全体(福知山消防署、東分署、北分署)で、5、6年ほど前から続く。これは「手話の必要性を感じてほしい」と、山崎真治さん(55)=北分署分署長補佐兼警備第一係長=の提案で始まった。

■問い掛けに応じない傷病者■

 「お名前は?」「どうされましたか?」-。1981年に市消防本部に採用されたばかりで駆け出しだったころ、山崎さんは救急出動した現場で、意識がある傷病者に何度も問い掛けた。

 ところが、その傷病者は一切応じなかった。それでも質問を繰り返すと、「耳が聞こえない」というジェスチャーをしたという。そこで初めて聴覚障害者だと分かり、「応じない」のではなく、「応じられない」ケースがあることを知った。同時に手話の必要性を強く感じたという。

 一刻を争う救急現場で、傷病者のもとにいち早く駆け付ける救急隊員は、傷病者の症状を少しでも早く把握し、速やかに搬送先の医療現場へ伝えることが求められる。

 筆談ができるよう、メモを取るものはそろっているが、手話ができればよりスムーズな意思疎通ができる。

 しかし、若手職員だった山崎さんにとっては消防や救急に関して学ぶことがたくさんあり、どうしても手話にまで手が回らなかった。「手話のことはずっと気掛かりでした」

 勉強をスタートさせたのは2006年。仕事面では一通りのことを覚え、気持ちにゆとりを持てるようになっていた。手話奉仕団体「福知山手話サークルこづち」の存在を知り、講座を通して基礎から学ぶことにした。年齢は40代半ばだった。ろう者にも教えてもらいながら、少しずつ上達していった。

 そのかいあって、今では手話で日常会話ができるようになっている。そのことが生かされたことがある。
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 市北部の国道でのバイクツーリング中の交通事故。そのグループは全員がろう者だった。1台のバイクが転倒し、後続のバイクも倒れ、2人がけがをした。グループのリーダーらしき人らと手話でやり取りし、状況やけがの程度などが分かり、スムーズに搬送できた。「その手話の相手は(手話ができることに)驚いた顔をされていました」

 また、救急隊から要請され、ろう者の傷病者がいたことから病院へ向かったこともある。

 ただ、「日常会話は分かるぐらいですが、早い手の動きや、出会ったことがない人の手話は読み取りが難しい」と言い、こづちの学習会には、勤務がなければできるだけ参加している。習い始める年齢はいろいろで、定年になった人も学んでいる。

■積極的に学ぶ職員も■

 山崎さんは他の職員にも手話を覚えてほしいと、2008年、当時勤務していた東分署の分署長に掛け合い、朝の申し送りのときに全員で手話の練習をすることにした。その後、本署、北分署と消防署全体に広まり、市消防本部全体でするように。

 朝礼では、「おはようございます」「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」など決まった言葉を全員が手話でする。これに加え、「どこが痛いですか」「お名前は」など別の言葉でも練習している。

 継続してきた結果、手話の講習会に参加したり、独学で学んだりする職員もいて、現在は合計5人が日常会話程度ならできるように成長したという。

 福知山消防署の塩見雅邦署長は「毎朝実施することで意識付けになります。職員のレベルはそれぞれ違い、全員ができるわけではありませんが、できる職員を一人ずつ増やしていくことができれば」と話している。


写真上=朝礼で職員がそろって手話を練習している(東羽合の市消防防災センターで)
写真下=40代から手話を始め、日常会話はできるようになっている山崎さん(牧の福知山消防署北分署で)

 両丹日日新聞     2016年1月 2日

競泳・小野智華子 2度目の大舞台見据え「メダル欲しい」

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 障害者競泳女子で活躍する全盲のスイマー、小野智華子(筑波大付属視覚特別支援学校)は、2度目の大舞台へ向けて静かに闘志を燃やしている。専門は100メートル背泳ぎ(視覚障害S11)。「絶対にメダルが欲しい」と、リオ・パラリンピックに照準を定める。

 体重874グラムの超未熟児で生まれ、両目の視力を失った。母の薫さんとお風呂で遊んでいるうちに水が大好きになった。小学1年で水泳を始めると頭角を表し、中学生になるころには海外遠征に参加するまでになった。

 「観客の大歓声に足が震えた」という初出場のロンドン大会では1分27秒55で8位。昨年7月の世界選手権は4位と表彰台は近づきつつある。

 2月にあん摩マッサージ指圧師の国家試験が控えており、現在はプールに入れるのは週1回程度。21歳は勉強の合間に腹筋、背筋、腕立て伏せを行うのが日課だ。

 リオの代表選考会は3月。「まずは資格を取って、その後に思い切り泳ぎ込みたい。自己ベストを出せれば世界のメダルに手が届く」と力を込める。

競泳女子で2大会連続出場を目指す小野

競泳女子で2大会連続出場を目指す小野

2016.1.1   産経ニュース

みんなの「一歩」を支えたい

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ひまわり園保護者が立ち上げ

 障害児を抱えて、どこで何を相談できるの? サービスの受け方は? 周囲との関わりあい方や日常生活の不安―。横須賀市療育相談センター・通園部門「ひまわり園」の保護者が今年4月、WEBサイト「SUKASUKA(すか)-IPPO(いっぽ)」を開設する。「当事者だから分かる”気付き”を共有し、発信したい」―。そんな思いを込める。

 「私たちは障害児を育てる普通のママ」。そう話すのは、五本木愛さん(鴨居在住)。現在、同園保護者会の会長を務め、市の教育分科会などに参加して気付いたことがあった。「市内の活動団体や制度の仕組みを知る機会が少ない」と。そこで、分科会などでの情報をまとめた通信を発行。しかし、この作業を役員が続けていくのは大変なこと。それならば、私たちが「知りたい」と思うことをWEBで発信しよう―。これに、保護者会の役員も賛同。子どもが抱える障害は違えど、同志のようなつながりがある。

 サイトは「横須賀のバリアフリー子育て情報局」として、療育のしくみや支援機関、施設や民間事業者の紹介など多種多様。遊び場やバリアフリーの店舗など、実体験をもとにした記事も用意している。さらに、悩みや心配事をざっくばらんに語れる「しゃべり場」も企画していくという。

 愛娘・麗(うらら)ちゃんの「成長の遅さ」を感じ、病院に駆け込んだのが1歳の頃。あらゆる診療科で検査し、1年がかりで分かったのは「アンジェルマン症候群」という、聞き慣れない疾患だった。不安だらけの4人目の子育て。情報を集めるとともに、発信することで、周囲に理解を求めていった。

 わが子が障害をもっていたら―。「親自身が受け入れきれず、こもりがちになるケースも多い」と五本木さんは話す。だが、早い時期に療育や支援機関とつながることで、子どもだけでなく、親の生活環境も変わるはず。「その”一歩”を後押しすることができたら」と話す。

 五本木さんには忘れられない言葉がある。「この先、両親が亡くなったら、ぼくはどのように生活するのだろうか」と障害者作業所に通う成人が発した一言だ。将来に不安を感じる声と、自分たちの子どもの将来を重ね合わせた。この活動から資金を捻出し、法人化することも考えている。地域に根差して、閉鎖的な環境を開き、「親と子の未来を描く支えになりたい」と話し、笑顔を見せた。

今月5歳になる麗ちゃんと五本木さん

2016年1月1日    タウンニュース

地下鉄新車両が運行開始 従来より明るく近代的仕様に?

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 新車両は平壌の工場で製造され、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が昨年11月に試乗していた。車内が明るくなり、高齢者や障害者らの専用席も設置。2路線ある平壌地下鉄のうち、赤い星駅と復興駅をつなぐ千里馬線で運行している。

 一方、朝鮮中央通信によると、金第1書記は新年を迎えた1日午前0時(日本時間同0時半)、金日成(イルソン)主席と金正日(ジョンイル)総書記の遺体が安置されている平壌の錦繍山太陽宮殿を訪問した。

運行を開始した平壌の地下鉄の新車両=1日(共同)

運行を開始した平壌の地下鉄の新車両=1日(共同)

2016.1.1     産経ニュース

モンてキーた人出迎え 徳島・東祖谷中生、巨大幕制作

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 新年のえとにちなんで、三好市東祖谷の東祖谷中学校の全校生徒22人が制作したサルの絵の幕(縦7メートル、横5メートル)が、同市東祖谷京上の国道439号沿いにお目見えした。1月末まで飾られる。

 幕にはサル5匹が、カラフルなペンキでバランス良く描かれており、「モンてキーたかえ」(帰ってきたか)との歓迎のメッセージも添えられている。

 3年の河井望歌さん(15)は「みんなで一生懸命作った。一人でも多くの人に見てもらい、明るい新年を迎えてほしい」と話した。

 えとの絵幕は、帰省者を温かく出迎えようと住民団体「活彩祖谷村」が中心となって、1997年から毎年設置している。

【写真説明】帰省者を出迎えるサルの巨大絵幕=三好市東祖谷京上     2016/1/1    徳島新聞

マイナンバー運用開始「個人番号カード」交付へ

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 マイナンバー(共通番号)制度の運用が1日、スタートした。

 税、社会保障などの手続きで使われる。1月から順次、公的な身分証明書となる「個人番号カード」の交付が、自治体の窓口で始まる。

 個人番号カードは、本人の顔写真とマイナンバーが記載され、パスポートなどを受け取る時の本人確認書類になるなど公的身分証明書として利用できる。カードは無料、作るかどうかは自由で、希望すればいつでも作れる。マイナンバーが記された通知カードと一緒に届いた申請書を郵送すると、「個人番号カード交付通知書」が届き、そこに交付場所が記されている。スマートフォンやパソコンでも申請できる。

 受け取りには、通知カードと交付通知書、本人確認書類が必要だ。本人確認は運転免許証やパスポート、身体障害者手帳など1点を提示する。もしくは、健康保険証や年金手帳、社員証、学生証、預金通帳などの中から2点を用意する。

2016年01月01日 18時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


東北初 知事会見に手話通訳

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 山形県は吉村美栄子知事が原則、週1回開く定例記者会見に手話通訳を導入する方針を決めた。4日の年頭記者会見から始める。知事会見の手話通訳は東北で初めて。
 県広報室によると、当面は冒頭、吉村知事が発表事項などを説明する部分に限り、手話通訳する。運用状況を見ながら、記者との質疑応答にも広げる。
 手話通訳は県保健福祉部の嘱託職員のほか、県聴覚障害者協会が派遣する通訳士が行う。吉村知事の隣に立ちインターネット中継のカメラに向けて通訳する。
 知事記者会見では、鳥取県が既に手話通訳を導入しているという。安倍晋三首相の記者会見でも行われている。山形県は本年度内に、障がい者の差別解消や共生社会を実現する条例の制定を目指す。県広報室の担当者は「率先垂範の意味で導入を決めた」と説明した。

2016年01月01日   河北新報


2016年のWebアクセシビリティ

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あけましておめでとうございます。株式会社ミツエーリンクスの黒澤剛志です。本稿では,昨年に引き続いて,2016年のWebアクセシビリティの短期的な予測を寄稿させていただきます。

WCAG 2.0の今後

2015年はWeb Content Accessibility Guidelines 2.0(WCAG 2.0)の今後について動きがありました。2016年もWCAG 2.0をめぐる動きがいくつか出てくるでしょう。

WCAG 2.0は2008年にW3C勧告となって以来,これまで変更されていません。これはWCAG 2.0が特定の技術に依存しないガイドラインになっているためですが,その間にWebへのアクセス方法が急激に変わったことも事実です。また,W3Cによると認知障害および学習障害者から彼らのニーズをより良く満たすための提案がWCAG 2.0に対して行われてきたとのことです。

そこで,WCAG 2.0やサポート文書(UnderstandingTechniques)のメンテナンスを行っているW3CのWeb Content Accessibility Guidelines Working Group(WCAG WG)は,追加の達成基準を拡張仕様(Extension)として定義する枠組みをつくり始めています。拡張仕様が利用できるようになると,それぞれの組織やコミュニティがWCAG 2.0と拡張仕様を組み合わせて,自分たちのニーズを含んだガイドラインを定められるようになります。

現時点では,拡張仕様に必要な要件の検討やいくつかの拡張仕様の検討が進んでいます。具体的な拡張仕様の検討では,モバイルデバイス向け拡張仕様と認知障害や学習障害者向け拡張仕様の動きが活発です。

モバイルデバイス向けの拡張仕様は,まだ最初の草案(First Public Working Draft)も出ていませんが,GitHubで作業中のEditor's Draftが公開されています。その中ではタッチ操作に関する要件や,操作できる部分が他の部分と視覚的に区別できる(ボタンがボタンであると分かる)要件が検討されています。

認知障害および学習障害に関するアクセシビリティでは,近年,W3CのCognitive and Learning Disabilities Accessibility Task Force(Cognitive A11Y TF)が活発に活動しています。2015年には障害の種類や影響をまとめたCognitive Accessibility User Researchの草案が公開されました(この文書はW3C勧告ではなくNoteになることを目指しています)。現在はUser Researchの結果と現実とのギャップ分析(Gap Analysis)が進んでおり,GitHubで課題の取りまとめのEditor's Draftギャップを埋める方法のEditor's Draftが公開されています。現在検討されている内容は,オンライン決済のありかたから文章の書き方まで多岐にわたっています。これらの内容をWCAG 2.0の拡張仕様として整理したり,足りない技術を仕様として標準化していったりするには更なる時間が必要だと感じていますが,今年も作業が進められることは間違いなく,要注目です。

Accessible Rich Internet Applications(WAI-ARIA)

2015年はWAI-ARIAの今後についても動きがありました。2016年も引き続き動きがあるでしょう。

現在W3Cで標準化されているWAI-ARIA関連の仕様は大きく,WAI-ARIA 1.0の後継となる仕様群と特定の分野やコンテンツで使われることを意図したモジュール仕様群にわかれます。このうち,WAI-ARIA 1.0の後継となる仕様は大きく3つあります。

セマンティクスを定義する仕様(Accessible Rich Internet Applications 1.1) ブラウザーなどが支援技術にどのようにセマンティクスを提供すべきかを定義する仕様(Core Accessibility API Mappings 1.1) 名前と説明を定義する仕様(Accessible Name and Description 1.1

Accessible Rich Internet Applications 1.1(WAI-ARIA 1.1)では,WAI-ARIA 1.0から存在するセマンティクスの調整と新たなセマンティクスの追加が行われています。既存セマンティクスの調整では,ランドマークに分類されるロールの変更など,後方互換性のないものもあります。本稿執筆段階におけるWAI-ARIA 1.1草案のランドマークの定義は,スクリーンリーダーのJAWSが持っているジャンプ機能(Region)に近いものになっています。一方,この変更によって,HTMLではsection要素もランドマークのセマンティクス(regionロール)を持つようになります。コンテンツの意味と関係なくsection要素を使う(div要素の感覚でsection要素を使う)ことの問題はこれまでも論じられてきましたが,今後は一層の注意が必要でしょう。

WAI-ARIAのモジュール仕様では,2015年に電子出版向けモジュールとグラフィックス向けモジュールの最初の草案が公開されました。

電子出版向けモジュールであるDigital Publishing WAI-ARIA Module 1.0では,出版物などで使われているセマンティクスが数多く検討されています。分かりやすいところでは概要,導入部,章,注記,脚注,Q&A,例などのセマンティクスなどがあります。

グラフィックス向けモジュールのWAI-ARIA Graphics Module 1.0は図版のパーツを表すセマンティクスが検討されています。ただし,支援技術のサポート状況があまり良くないことから,当初検討されていたセマンティクスの大部分は2.0に先送りされ,1.0の草案には,線や点といった図形の集まりを,家の図や電球の図といったまとまりとして扱うためのセマンティクスのみが含まれています。2.0ではまとまりの具体的なセマンティクス(グラフのX軸やY軸,寸法線など)が検討されています。

電子出版やグラフィックスのセマンティクスに関しても,ブラウザーなどが支援技術に対してどのようにセマンティクスを伝えるべきかを定義した仕様が検討されています。これらの仕様を見るとあることに気がつきます。それは,HTMLやWAI-ARIAの主要なセマンティクスは支援技術側にも対応するセマンティクスがあるのに対して,電子出版やグラフィックスはそうではないという点です。

例えば,リンクや表は支援技術側にもリンクや表のセマンティクスがあり,ブラウザーなどはHTMLやWAI-ARIAのリンクや表を,支援技術側のセマンティクスに変換して支援技術に伝えています。しかし,電子出版やグラフィックスのセマンティクスでは,支援技術側に対応するセマンティクスがないため,ブラウザーなどはWAI-ARIAのセマンティクスをそのまま伝えるという形を取っています(注1)。このことは,Web技術が支援技術の取り扱えるセマンティクスを拡げていっていると言えるのではないでしょうか。2016年にはこの拡がりの実が結び始めることを期待しています。

注1例えば,Digital Publishing Accessibility API Mappings(電子出版向けモジュールにおける,ブラウザーなどが支援技術に対してどのようにセマンティクスを伝えるべきかを定義した仕様)は,ほぼすべてのロールについて,role属性に指定された値をそのまま支援技術へ伝えることをブラウザーなどに求めています。Windowsの支援技術が使っているアクセシビリティAPIについてみた場合,IAccessible2(Mozilla FirefoxやGoogle Chromeなどが使用しているAPI)ではxml-rolesプロパティ,User Interface Automation(UIA;Microsoft Edgeなどが使用しているAPI)ではAriaRoleプロパティを経由して,role属性に指定された値がそのまま支援技術に伝わる場合がほとんどです。 画像の長い代替コンテンツ

2015年は(も)画像の長い代替コンテンツの指定方法をめぐる議論がありましたが,今年もしばらくは議論が続くでしょう。

HTMLで,画像の長い代替コンテンツを指定するlongdesc属性は2015年2月にW3C勧告になりました。WAI-ARIA 1.1の草案にも長らく,longdesc属性に対応するaria-describedatプロパティが含まれていました。しかしながら,現時点で最新のWAI-ARIA 1.1の草案には,aria-describedatはWAI-ARIA 1.1仕様から削除される方向であることが記載されています。

これはaria-describedatで代替コンテンツを指定しても,支援技術の利用者しか代替コンテンツにアクセスできず,支援技術を使っていないユーザーがアクセスできないのではないか,といった議論が行われたためです。そこで,HTMLのdetails要素とsummary要素を使ってマークアップしてはどうか,といった提案が挙がっています。ブラウザーがdetails要素とsummary要素を適切に実装していれば,支援技術の有無やデバイスに関係なく,ユーザーは長い代替コンテンツにアクセスできます。現時点では,Mozilla FirefoxとEdgeはdetails要素とsummary要素を実装していませんが,Mozilla Firefoxでは実装が進んでいます(Bug 591737)。一方で,WAI-ARIAで指定したセマンティクスをもっとブラウザーが活用し,支援技術を使っていないユーザーに機能を提供しても良いのではないか,という意見も出ています。

いずれにせよ,Webアクセシビリティを担保するための仕組みを,特定のユーザーや特定の状況向けの技術によって実現するのではなく,より多くのユーザーや状況をカバーできる技術によって実現したいという思いは一致しているように感じます。今年もWebのメインストリーム技術でより多くのコンテンツがアクセシブルになることを期待しています。

2016年1月2日    Gihyo Jp

パラリンピック 金メダルの倍増目指す

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リオデジャネイロパラリンピックは、ことし9月に開幕します。日本は前回大会から倍増となる金メダル10個という高い目標を目指すとともに、4年後の東京大会を見据えて、若手の底上げなどにも力を入れていくことにしています。 リオデジャネイロパラリンピックは、オリンピックに続いて9月7日に開幕し、12日間の日程で22の競技が行われます。日本は、前回のロンドン大会は金メダル5個で国・地域別で24位にとどまり、メダルの総数は過去最多だった2004年のアテネ大会の3分の1以下となりました。世界との差が広がる中、JPC=日本パラリンピック委員会は、2020年の東京大会で金メダル数7位という目標を掲げ、そのための重要なステップとなるリオデジャネイロ大会では、金メダル10個、順位は10位以内を目指します。
個人競技では、車いすテニスの国枝慎吾選手が男子シングルスで3連覇をねらいます。競泳では、去年の世界選手権の目に障害があるクラスで2種目を制した木村敬一選手が初の金メダル獲得に挑みます。
団体競技では、車いすバスケットボールの男子とゴールボール女子、それに車いすラグビーがすでに出場を決めていて、このうちゴールボール女子には2大会連続の金メダルの期待がかかります。
日本は今後、JPCが中心となって障害者スポーツの練習環境の整備や資金面での援助など、選手を支える態勢をオリンピック競技並みに近づける努力を行う一方、4年後の東京大会を見据えて、若手の底上げや即戦力となる選手の発掘などにも、より一層力を入れていくことにしています。     2016年(平成28年)1月3日    NHK

16歳の日本代表「すげえなと思わせたい」

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 ◇緑豊かな島から頂点狙う鳥海連志

 コートを切り裂いてしまうような速さで、一直線にゴールまで駆け抜ける。細身の少年が常に受けるのは、どよめきにも似た歓声だ。車いすバスケットボール日本代表・鳥海連志(ちょうかい・れんし)、16歳。「世界を驚かせたい」。海に囲まれ緑豊かな島で育った少年は天才の名をほしいままに、ひたすら純粋に頂点を目指す。

 長崎県西南部に位置する西海(さいかい)市。長崎市、佐世保市のほぼ中間にあり、広大な海には島々が浮かぶ。鳥海が住む西海市大島町にある寺島は、その島しょ部だ。造船会社に勤める父隆一さん(38)が単身赴任していた地に、母由理江さん(39)に伴われ長崎市から転居したのは小学6年の3学期だった。「街灯はないし、コンビニは少ない。すっごい田舎だな」。やや冷めた目で見渡した街で、のちの鳥海は車いすバスケットの存在を知るようになる。

 生まれた時からすねの骨がなく、両足が内側を向いた状態だった。「どう育てよう……」。由理江さんの心配をよそに、家の中をよく動き回る子どもだった。最初は、はいはい。それからは膝を使って歩く。暑くなり、服を脱ぎだしてしまうこともあった。

 手術をして足を残すか、切断するか。手術をすれば、長い入院生活を強いられる可能性もある。「『こんなに動く子を縛り付けたら、きっと楽しくないだろうな』と思ったんです」と由理江さん。鳥海は3歳で両足を切断し、義足での生活を始めた。初めての義足は、鉄の棒に板を付けたもの。運動神経の良さはここでも発揮され、逆立ち歩きで器用に階段を上った。さほど練習もせずに歩き始めると、病院内でいきなり義足でサッカーをして、怒られもした。

 右手は4本、左手2本と、指にも障害がある。「お母さんは連志とは体が違うけん、できることとできないことが分からない。やってみて判断しなさい。できなかったら、他の方法を考えてごらん」。由理江さんは、そう諭したという。母の思いやりに応えるように、鳥海は自らの選択肢を広げていった。

 今も義足での生活が中心の鳥海が車いすバスケットの存在を知ったのは、市立大島中(当時)1年の時だ。1歳上の兄大樹(たいじゅ)さんがのめり込んでいたこともあり、バスケットには並々ならぬ興味を持っていた。テニス部に所属していた鳥海に女子バスケット部の監督が声をかけ、佐世保市にある車いすバスケットのクラブチームを紹介された。「運命の出会い」をした中学校の体育館は現在、統廃合の影響で市民用の体育施設に。妹の芭奈(はな)ちゃん(7)も交えながら、鳥海が個人練習に励む場所になっている。

 高校1年で日本代表に選出されると、昨秋のリオデジャネイロ・パラリンピック予選で11大会連続の本大会出場に貢献した。そんな逸材が普通の高校生の顔を見せたのは、予選前のことだ。自宅から車で約10分の県立大崎高に通う鳥海が、担任の村田清久教諭(50)に相談したのは予選後に控えていた合唱大会についてだった。「練習もあまり参加できていないのに一緒に歌ってもいいのかな」。悩む鳥海を見て、村田教諭は「仲間思いというか……。逆にうれしくなってしまったんですよね」と穏やかな笑みを浮かべた。

 家族や友人に囲まれて過ごす鳥海だが、「2020年東京パラリンピックのホープ」と注目を浴びても、姿勢は変わらない。「この体でずっと生活しているし、できないことがあれば周りが手を貸してくれる。障害と向き合うとか、そんなに深い話もできない」。考えているのは「この選手、すげえな」と思われることだけだ。連志は「高い志を持ち続けるように」との願いを込めて命名された。リオ、さらにその先へと強い思いはつながっていく。

所属するクラブチームの連取で懸命にボールを追いかける鳥海

 毎日新聞    1月2日

所得、雇用、学歴…激売れ本でわかった東京23区の仰天格差

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 港区904万円、足立区323万円。区民1人あたりの所得水準までをも記した本が激売れ中だ。所得、雇用、学歴‥‥。あらゆる方向から23区を解剖した結果、浮かび上がる仰天の格差とは──。

 同じ東京23区内にもかかわらず、3倍にも及ぶ所得格差が隠れている。知られざる格差に焦点を当てた「23区格差」(中央公論新社)の著者である池田利道氏がその要因を語る。

「23区全てが日本の平均所得水準を大幅に上回っています。それだけ生活にお金が必要な証拠ですが、中でも港区は地価が高く、生活費も高い。しかし、港区民は経済的価値よりも都心に暮らすという生活価値を重要視して、そこに住んでいる。都心ライフとも呼ばれる新たな生活様式を体現した結果です」

 23区平均の約2倍となる「交通事故遭遇危険性」を誇る渋谷区、同様に2倍の「刑法犯罪遭遇危険性」がある新宿区。「災害時の死者発生危険度」の高さで、墨田区、台東区、荒川区が拮抗するなど、多岐にわたる調査項目で23区を比較した結果が掲載されている。

 特筆すべきは、数値が高くとも内情は区により大幅に異なること。その代表として「高齢化率」があげられる。高齢化率24.0%で23区内1位の北区と23.6%で同2位の台東区。両区ともに高齢者だらけだが、2区における高齢者の生活形態は大幅に異なる。

「台東区は『高齢者の就業率』が23区内で2番目に高いんです。一方で、北区は最下位。高齢者就業率の高さは所得水準が低いからではないかと指摘されますが、同項目で1位の千代田区は港区の次に高所得な区。これはもう区の個性なんです。生業の町である台東区は高齢者が現役で働いている。それに触発され、退職したサラリーマンも『まだまだ働かないと』という気持ちになる。しかし、すんなりリタイアする人が多い区に住むと、労働への意欲が減退してしまうのです」

 老後の生き方の選択は個々人に委ねられる。悠々自適な生活を送りたければ老人クラブが盛んな下町地域を選ぶべきだと、池田氏は続ける。

「一番は自分に合った区を選ぶべきです。下町のような家族ぐるみの人間関係に耐えられるのか。逆に見栄やプライドに目を奪われ妙な呪縛にかかってもいけません。若いうちから自分の老後を考えるのは今後重要なテーマになるでしょう」

 千差万別の様相を見せる23区。定住文化が根強い日本人にとって居住地選択は、その後の人生を左右すると言っても過言ではない。本書はその一助となるべく23区全ての特徴を通信簿としてまとめている。「ロックの高円寺」「ジャズの阿佐ヶ谷」を有し、「文化のまち」と称される杉並区は細街路が多く、親と同居する25〜44歳の未婚男性が多い。加えて、同区内の浜田山から永福の一帯は「日本でポルシェが一番よく売れる街」と呼ばれていることから杉並区を〈パラサイト男子が狭い道路をポルシェでかけぬける〉と評し、まるで“すねかじり天国”と言わんばかりだ。

 14年5月に日本創成会議が「全国1750市区町村のうち半分以上が消滅する」と発表した。その中に23区で唯一リストアップされてしまった豊島区について、〈23区最大の男余り社会〉とし、結婚適齢期の男女比で男性が著しく多いというデータを紹介している。当然それが、「まち」の消滅に直結するわけではない。だが、「まちづくり」に従事し続けた池田氏ならではの視点からは、区の新たな格差が浮かび上がる。

「こういった格差を浮かび上がらすことに批判はあります。ですが、格差に『まち』の動きが加われば個性に変えることができるのです。それができているからこそ、自分なりの幸せや充実をつかめる区が見つかる。その懐の深さこそ、今も未来も東京が勝ち残っていける要因なのです」

 地方創生を成功に導く秘訣は首都東京にある。

アサ芸プラス   1月2日

片腕の退役軍人、卓球でメダル40個以上を獲得

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 ベトナム戦争で利き腕の右腕を失いながら、その後卓球に夢中になり、国内外の障害者スポーツ大会でメダルを40個以上獲得した男性がいる。ブー・バン・ソアンさんだ。

 ソアンさんは紅河デルタ地方ハイズオン省の村で生まれ育った。1971年に軍に入隊し、1972年の北中部クアンチ省での激戦で、右腕の肩から先を失い、左手と右足にも重傷を負った。1973年に109病院に入院した際には、全身の47か所に傷を負い、体重は29kgしかないほどやせ細っていた。しかし4年間の治療とリハビリで徐々に健康を取り戻し、左手を使うことにも慣れていった。1981年には故郷に帰り、戦争中は民兵だったという女性教員と結婚した。

 卓球との出会いは偶然だった。1996年末に村の政府機関が移転することになり、所有していた卓球台をソアンさんの自宅近くの場所に預けていった。ソアンさんは、村人達が卓球を楽しんでいるのを見ているうちに、このスポーツに引かれていった。

 ただ、子供の頃から一度も卓球をしたことがないソアンさんには、練習さえままならなかった。へたくその練習相手になるのを嫌がる人が多く、毎日の練習時間は5~10分程度しかなかった。程なくして卓球台は元の政府機関に引き取られていった。

 それでもソアンさんの卓球熱は冷めなかった。自分で卓球台を購入したばかりか、友人らから借金して卓球場を建設した。彼は遊びに来る人を歓迎したが、必ず自分の練習相手になるよう求めた。

 強い意志力と絶え間ない努力の結果、ソアンさんは徐々に腕を上げ、ハイズオン省の障害者卓球チームの選手に選ばれるまでになった。2002年に行われた全国障害者スポーツ大会で金メダルを獲得。2003年にベトナムで開催されたASEANパラゲームズでは、開幕式で選手宣誓の大役を担った。その後は数々の大会でメダルを獲得した。

 2013年に体調を崩してから、ソアンさんの健康状態は不安定になった。古傷が痛み、時に出血することもあるため、以前と同じように試合をすることはできなくなった。それでも運命に降参するつもりはないという。70歳近くになった今も、地元の人々を相手に無料で卓球教室を開いて指導を続けている。

 ソアンさんは「健康状態が許す限り、卓球と共に生きたい。卓球は喜びであり、苦痛を乗り越える原動力でもある。卓球がなかったら、今こうして歩いたり普通に生活することはできなかっただろう」と語った。

ベトナム戦争で利き腕の右腕を失いながら、その後卓球に夢中になり、国内外の障害者スポーツ大会でメダルを40個以上獲得した男性がいる。

ブー・バン・ソアンさんだ。

2016/01/03    日刊ベトナムニュース

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