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キリマンジャロを“這って登った”両手両足のない男カイル! 超過酷ミッションに挑んだ切なすぎる理由とは?

 この連休には山の景色を楽しもうという向きも多いのではないだろうか。レジャーとしての登山が楽しまれる一方、登山家は全身をフルに使って頂上を目指すが、かつて手足のない人物がキリマンジャロの登頂に成功している。いったい彼は、どのようにしてアフリカ大陸最高峰を制することができたのか? そして山頂を目指す意志の原動力とは——?


■先天性四肢切断の身体で挑む「ミッション・キリマンジャロ」

 生まれつきヒジから先の腕がなく、ヒザから下の脚がない「先天性四肢欠損」という症状を抱える米国人、カイル・メイナード氏。「何でもできるんだ!(Everything is possible!)」をモットーとする彼は、2012年にキリマンジャロの登頂に成功した。

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カイル・メイナード氏 画像は「Great Big Story」より

 かねてよりレスリングや柔道、ウェイトリフティングなどの競技に精通し、身体的ハンディキャップに真っ向から挑む勇敢な人物としてメディアで多く取り上げられ、各地で講演を行いベストセラーの著書も持つメイナード氏。そんな忙しい日々の中で孤独と疲れを感じていたある夜、空港で2人組の男性が自分のことを見ていることに気づいたという。

 彼らの顔や身体には酷い傷跡があった。近づいて話を聞いてみると、2人はイラクからの帰還兵であることがわかった。戦地で軍用車両に乗車中、ロケット弾の攻撃を受けて負傷し、帰還を命じられた兵士たちだったのだ。身体の傷に加えて精神面でのダメージが極めて深刻で、医師からは1年間の集中的なリハビリが必要であると告げられていた。

 2人は一緒に自殺することも考えたというが、偶然テレビでメイナード氏のドキュメンタリー番組を見て考えを改めたという。ハンディキャップに立ち向かうメイナード氏の姿に心を打たれ、彼らは自分の人生を取り戻す闘いをはじめる決意を固めたのだ。

 負傷兵を勇気づけることができ、感激を覚えたメイナード氏。ところが気になって調べてみれば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が原因で毎日18人の帰還兵が自殺しているという驚くべきデータを知ることになる。年間を通して、なんと6,570人もの帰還兵が自ら命を絶っているのだ。

 これらPTSDを抱えた帰還兵たちを助けることはできないかと考えたメイナード氏は、「何でもできるんだ!」ということを証明してみせることが必要だと思い立った。そこで企画されたのが、キリマンジャロの登頂を目指す「ミッション・キリマンジャロ」なのだ。

■登山のために最高の装備を入手する

 日常的に身体をじゅうぶんに鍛えていたメイナード氏にとって、体力面での不安はなかった。しかし、それでもゴツゴツした溶岩石が敷き詰められたキリマンジャロのデコボコ斜面を這って登るためには、特殊な装備を考案する必要があった。

 手足の先端を完全に保護し、なおかつ斜面を登りやすい“靴”を開発するため、メイナード氏はタオルや鍋つかみ用の手袋、溶接用腕カバーなどの既製品にあれこれ工夫を加えてみたものの、あまりしっくりとくるものはできなかったという。ついにはカヌーのコクピット部分だけを使って台車タイプの車椅子を作れないかとも考えたが、その試みもうまくはいかなかった。

 結局のところ、義肢の専門家の助力を仰ぐことになったが、さすがはプロということで、取り外し可能なスパイクによって氷の斜面にも対応できるカーボンファイバー製の義肢を開発してくれた。しかも、このミッションに賛同して費用も負担してくれたのである。

「彼らは奇跡の職人だよ!」とメイナード氏は感激の言葉をあらわしている。こうして最高の装備を入手したメイナード氏は、自身を含め9人から成る登山チームを結成して、タンザニア北東部にそびえるキリマンジャロへと向かったのだ。

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■登山チームにいた“10番目のメンバー”

 キリマンジャロ登山において、低地ではモンスーン気候の湿った山道を登り、森林限界高度に達してからは月面のような荒涼たる岩石の中を進んでいくことになる。高度4200mに達したところで、メイナード氏のチームはルートの分岐点にさしかかったが、たとえ距離は伸びても安全第一のルートを選択して着実に山を登っていった。

 登山計画では、1日に900m分の高度をクリアする必要がある。チームは毎朝3時に出発し、午後の4時まで休むことなく登り続けた。

 そして、この登山チームに実はもう1名の“メンバー”がいた。アフガニスタン戦争で命を落とした元陸軍上等兵、コリー・ジョンソンさんの遺灰である。それは紐のついた小さなポーチに入れられ、メンバーの1人が首から下げていたのだ。

 戦地での任務中に現地の子どもを見かけると、いつもポケット一杯に入っていたキャンディーをあげていたというジョンソンさんは、カンダハールで武装勢力に襲撃されて戦死を遂げる。28歳であった。当時、故郷では妊娠中の妻と2人の子どもが待つ身でもあった。

 メイナード氏は以前、偶然にもジムでジョンソンさんの母親と知り合いになり、彼女から「死んだ息子は旅行好きで、かつて『キリマンジャロを見たい』と言っていた」と明かされたのだった。実はこの「ミッション・キリマンジャロ」は、今は亡きコリー・ジョンソンさんの夢を叶える旅でもあったというわけだ。

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 画像は「Great Big Story」より

 登山開始から9日目、ジョンソンさんの遺灰はメイナード氏に託されることになった。登山最終日、メイナード氏は紐を首にかけてポーチをジャケットの奥に仕舞い込んでから山頂に挑んだ。

「山頂を目指す中で、彼から大きなエネルギーをもらいました」とメイナード氏は語る。朝4時に出発して3時間後となる7時15分、ついにキリマンジャロの頂きに到達した。

 吸い込まれそうな青い空、近くに感じられる太陽の輝き——山頂からの壮観に一行は立ちすくむ。振りまかれたジョンソンさんの遺灰は風に乗って消えていった。

 前代未聞の偉業を成し遂げたメイナード氏は、「彼(ジョンソンさんの遺灰)はチームの10番目のメンバーでした」と振り返るとともに、改めて「何でもできるんだ!」と力強く訴える。特にPTSDで苦しむ帰還兵に声が届くことを望んでいるが、そのメッセージはより多くの人の心を動かしている。どんなに高い山であれ、登り続けていればいつか夢が叶うことをその身で示したメイナード氏の偉業に感銘を受けるとともに、アメリカ社会の深刻なPTSD問題に対する認識を新たにする話題でもあるだろう。

TOCANA (風刺記事) (プレスリリース)


キリマンジャロを“這って登った”両手両足のない男カイル! 超過酷ミッションに挑んだ切なすぎる理由とは?

 この連休には山の景色を楽しもうという向きも多いのではないだろうか。レジャーとしての登山が楽しまれる一方、登山家は全身をフルに使って頂上を目指すが、かつて手足のない人物がキリマンジャロの登頂に成功している。いったい彼は、どのようにしてアフリカ大陸最高峰を制することができたのか? そして山頂を目指す意志の原動力とは——?


■先天性四肢切断の身体で挑む「ミッション・キリマンジャロ」

 生まれつきヒジから先の腕がなく、ヒザから下の脚がない「先天性四肢欠損」という症状を抱える米国人、カイル・メイナード氏。「何でもできるんだ!(Everything is possible!)」をモットーとする彼は、2012年にキリマンジャロの登頂に成功した。

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カイル・メイナード氏 画像は「Great Big Story」より

 かねてよりレスリングや柔道、ウェイトリフティングなどの競技に精通し、身体的ハンディキャップに真っ向から挑む勇敢な人物としてメディアで多く取り上げられ、各地で講演を行いベストセラーの著書も持つメイナード氏。そんな忙しい日々の中で孤独と疲れを感じていたある夜、空港で2人組の男性が自分のことを見ていることに気づいたという。

 彼らの顔や身体には酷い傷跡があった。近づいて話を聞いてみると、2人はイラクからの帰還兵であることがわかった。戦地で軍用車両に乗車中、ロケット弾の攻撃を受けて負傷し、帰還を命じられた兵士たちだったのだ。身体の傷に加えて精神面でのダメージが極めて深刻で、医師からは1年間の集中的なリハビリが必要であると告げられていた。

 2人は一緒に自殺することも考えたというが、偶然テレビでメイナード氏のドキュメンタリー番組を見て考えを改めたという。ハンディキャップに立ち向かうメイナード氏の姿に心を打たれ、彼らは自分の人生を取り戻す闘いをはじめる決意を固めたのだ。

 負傷兵を勇気づけることができ、感激を覚えたメイナード氏。ところが気になって調べてみれば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が原因で毎日18人の帰還兵が自殺しているという驚くべきデータを知ることになる。年間を通して、なんと6,570人もの帰還兵が自ら命を絶っているのだ。

 これらPTSDを抱えた帰還兵たちを助けることはできないかと考えたメイナード氏は、「何でもできるんだ!」ということを証明してみせることが必要だと思い立った。そこで企画されたのが、キリマンジャロの登頂を目指す「ミッション・キリマンジャロ」なのだ。

■登山のために最高の装備を入手する

 日常的に身体をじゅうぶんに鍛えていたメイナード氏にとって、体力面での不安はなかった。しかし、それでもゴツゴツした溶岩石が敷き詰められたキリマンジャロのデコボコ斜面を這って登るためには、特殊な装備を考案する必要があった。

 手足の先端を完全に保護し、なおかつ斜面を登りやすい“靴”を開発するため、メイナード氏はタオルや鍋つかみ用の手袋、溶接用腕カバーなどの既製品にあれこれ工夫を加えてみたものの、あまりしっくりとくるものはできなかったという。ついにはカヌーのコクピット部分だけを使って台車タイプの車椅子を作れないかとも考えたが、その試みもうまくはいかなかった。

 結局のところ、義肢の専門家の助力を仰ぐことになったが、さすがはプロということで、取り外し可能なスパイクによって氷の斜面にも対応できるカーボンファイバー製の義肢を開発してくれた。しかも、このミッションに賛同して費用も負担してくれたのである。

「彼らは奇跡の職人だよ!」とメイナード氏は感激の言葉をあらわしている。こうして最高の装備を入手したメイナード氏は、自身を含め9人から成る登山チームを結成して、タンザニア北東部にそびえるキリマンジャロへと向かったのだ。

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■登山チームにいた“10番目のメンバー”

 キリマンジャロ登山において、低地ではモンスーン気候の湿った山道を登り、森林限界高度に達してからは月面のような荒涼たる岩石の中を進んでいくことになる。高度4200mに達したところで、メイナード氏のチームはルートの分岐点にさしかかったが、たとえ距離は伸びても安全第一のルートを選択して着実に山を登っていった。

 登山計画では、1日に900m分の高度をクリアする必要がある。チームは毎朝3時に出発し、午後の4時まで休むことなく登り続けた。

 そして、この登山チームに実はもう1名の“メンバー”がいた。アフガニスタン戦争で命を落とした元陸軍上等兵、コリー・ジョンソンさんの遺灰である。それは紐のついた小さなポーチに入れられ、メンバーの1人が首から下げていたのだ。

 戦地での任務中に現地の子どもを見かけると、いつもポケット一杯に入っていたキャンディーをあげていたというジョンソンさんは、カンダハールで武装勢力に襲撃されて戦死を遂げる。28歳であった。当時、故郷では妊娠中の妻と2人の子どもが待つ身でもあった。

 メイナード氏は以前、偶然にもジムでジョンソンさんの母親と知り合いになり、彼女から「死んだ息子は旅行好きで、かつて『キリマンジャロを見たい』と言っていた」と明かされたのだった。実はこの「ミッション・キリマンジャロ」は、今は亡きコリー・ジョンソンさんの夢を叶える旅でもあったというわけだ。

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 画像は「Great Big Story」より

 登山開始から9日目、ジョンソンさんの遺灰はメイナード氏に託されることになった。登山最終日、メイナード氏は紐を首にかけてポーチをジャケットの奥に仕舞い込んでから山頂に挑んだ。

「山頂を目指す中で、彼から大きなエネルギーをもらいました」とメイナード氏は語る。朝4時に出発して3時間後となる7時15分、ついにキリマンジャロの頂きに到達した。

 吸い込まれそうな青い空、近くに感じられる太陽の輝き——山頂からの壮観に一行は立ちすくむ。振りまかれたジョンソンさんの遺灰は風に乗って消えていった。

 前代未聞の偉業を成し遂げたメイナード氏は、「彼(ジョンソンさんの遺灰)はチームの10番目のメンバーでした」と振り返るとともに、改めて「何でもできるんだ!」と力強く訴える。特にPTSDで苦しむ帰還兵に声が届くことを望んでいるが、そのメッセージはより多くの人の心を動かしている。どんなに高い山であれ、登り続けていればいつか夢が叶うことをその身で示したメイナード氏の偉業に感銘を受けるとともに、アメリカ社会の深刻なPTSD問題に対する認識を新たにする話題でもあるだろう。

TOCANA (風刺記事) (プレスリリース)

リニューアル ヒロシマ、感じて 犠牲者一人一人の物語を

 広島市の原爆資料館東館が改装を終え、4月26日に再オープンした。コンピューターグラフィックス(CG)で作った原爆投下時の映像を市街地模型に投影した「ホワイトパノラマ」や、手で触れられる被爆前後の原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)の模型など、被爆の実相が分かりやすく伝わるよう、従来より感覚に訴える展示となった。改修のため閉館した本館も含め、全面リニューアルオープンするのは来年7月の予定。東館の見どころを紹介する。

 路面電車が走り、馬が荷車を引き、子供たちが学校のプールに飛び込む--。資料館の入り口からエスカレーターで3階まで上がると、高さ2・7メートル、長さ25メートルの壁一面に原爆投下前の広島の写真が張られている。タイムスリップしたような臨場感があり、人々の笑い声が聞こえてくるようだ。

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  しかし「1945年8月6日」と書かれた壁を境に、原爆投下後の風景に一転。壁一面に展示されているのは45年秋に米軍が爆心地から撮影したパノラマ写真で、34メートルに引き伸ばされた。建物は原爆ドームなどわずかで、人もほとんど見あたらない。

 しかし「1945年8月6日」と書かれた壁を境に、原爆投下後の風景に一転。壁一面に展示されているのは45年秋に米軍が爆心地から撮影したパノラマ写真で、34メートルに引き伸ばされた。建物は原爆ドームなどわずかで、人もほとんど見あたらない。

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  (1)原爆投下の瞬間を動画で再現した「ホワイトパノラマ」。よく晴れた朝の被爆直前の街 Image may be NSFW.
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  (2)原爆の通称「リトル・ボーイ」が広島の街に落ちていく

 手前にある直径5メートルの「ホワイトパノラマ」は、航空写真を基に原爆投下前後の街並みを動画で再現したもので、平穏な日常が一瞬で失われる様子を約1分半で表現した。志賀賢治館長は「本当に見てほしいのは本館の被爆資料」といい、ここまでを「きのこ雲の下の惨状」に関心を持ってもらう導入と位置づけている。

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  (3)投下後、街は爆風とオレンジ色の炎に包まれていく

 本来はここから本館に入り、8月6日の惨状を追体験して東館へ戻り、歴史などの学びを深めてもらう計画だが、本館の改修が終わるまでは東館の残りの展示を見てもらう。

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  (5)広島に投下された原爆の8分の1模型を触る中学生たち=山田尚弘撮影

 視覚障害者に配慮した触れる展示では、被爆前後の原爆ドームの模型を実際に目を閉じて比べてみた。被爆前の模型はロの字形に建ち、屋根の一部がヨーロッパの城のような円すい形になっている。一方、被爆後の模型の前では手を上下に動かしても建物に手が当たらない。骨組みだけになったドームの天井に触れ、ほとんど破壊されたことが分かる。熱線で表面がぼこぼこになった瓦や変形した瓶と、被爆前のものとを比較することもできる。

 多様な情報を検索できるタッチパネルを備えた「メディアテーブル」がある2階では、ダライ・ラマら広島を訪れたノーベル平和賞受賞者のメッセージが壁に映し出される。資料館で外国人に案内をしている通訳の下岡憲子さん(62)は、「さまざまな国の人たちからの『皆で平和を築こう』というメッセージは、来館者の心に残るだろう」と話す。

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  (6)当時3歳11カ月だった鉄谷伸一ちゃん(写真右)のほぼ等身大の遺影と遺品の三輪車(左奥)=山田尚弘撮影 Image may be NSFW.
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  原爆資料館(広島市中区)

 1階に下りると本館の仮設展示がある。焼け焦げた三輪車は、鉄谷伸一ちゃん(当時3歳11カ月)の遺品。伸一ちゃんは自宅前で三輪車で遊んでいて熱線に焼かれ、その夜に死亡した。父信男さんは「たった3歳の子を一人でお墓に入れてもさみしいだろう」と、亡きがらと三輪車を自宅の裏庭に埋葬。40年後に遺骨を掘り出して墓に納め、三輪車を資料館に寄贈した。

 三輪車は来館者の心に残る遺品として知られるが、新たに伸一ちゃんの等身大サイズの写真も隣に置かれた。原爆で亡くなった姉の路子ちゃん(同7歳)と、あどけない表情で並んでいる。亡くなった一人一人の物語が浮かび上がる展示に、涙を流す人も多い。

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(4)「ホワイトパノラマ」につながる通路には、原爆投下時刻を指す時計が描かれている

 

600本のバラ、咲き誇る

相模台クリニックデイケア

 精神障害者のデイケア施設としてリハビリテーションを行う医療法人聖医会相模台クリニックは5月20日(土)、栗原にある同院のバラ園でこの時季恒例の『バラ祭〜600本のバラが迎えるフェスティバル〜』を開催する。時間は午前10時から午後2時半まで。

 同院では精神科リハビリの一環としてバラの栽培を行っており、毎年5月に一般開放している。園内には利用者が丁寧に育てた色とりどりのバラ約600本が咲くという。

 当日、相模台クリニック(相模が丘6の29の14)では切りバラやバラの鉢植えのほか、バラ関連手作り作品を販売する。また、座間近代乗馬クラブ(栗原1070)近くにあるバラ園では、バラの育て方教室も開催する(午前11時からと、午後1時半からの2回)。祭当日のみクリニックとバラ園間の送迎あり。

 また、バラ園一般開放も22日(月)から26日(金)まで行う。時間は午前が9時半〜11時、午後は13時半〜14時半。期間中はバスの送迎なし、直接現地へ。駐車スペースが無いため、同クリニックは公共交通機関での来場を呼びかけている。問合せは同クリニック【電話】046・256・3300(9時〜17時)。

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珍しい品種のバラも楽しめる=昨年

2017年5月5日   タウンニュース

交通事故被害者に偽造文書 保険会社の担当、手続き怠る

 交通事故の後遺障害を訴えた被害者に、東京海上日動火災保険東京都千代田区)の佐賀損害サービス課(佐賀市)の担当者が「該当しない」とする文書を偽造して渡していた。同社は偽造だと認め「担当者が手続きを怠っていたため」と説明している。他にも同じような事案があるとして、同社が調べている。

 同社によると、佐賀県神埼市で2014年9月26日、鳥栖市の男性の乗っていた車に、対向車線にはみ出した車が衝突した。男性は治療を受けたが首や腰の痛み、両手のしびれが残った。

 男性は15年8月、後遺障害診断書を医師に書いてもらい、弁護士を通じ、相手の任意保険会社、東京海上日動に後遺障害の手続きを頼んだ。4カ月ほど経っても決定が出ず、担当者は「調査に時間がかかっている」と回答。16年4月になって「(外部の調査機関により)後遺障害としては非該当と判断された」との文書が届いた。

 疑問に思った男性が問い合わせを続けたところ、今年4月になって、後遺障害の認定手続きをしていなかったことがわかった。同社によると、担当者が、病院から取り寄せてもいない画像について所見を詳しく述べるなど、うその判断理由をA4判1枚半にわたって記載し、偽造していた。

 男性は、後遺障害に該当しないことを不服として異議申立書も出したが、この担当者は、申立書や後遺障害診断書を持ち帰り、ゴミと一緒に捨てていた。同社の調べに「整理した時、誤って捨てた」と話し、後遺障害については「忙しくて手続きを忘れていた」と説明したという。

 調査したところ、他にも同じような事案があり、詳しく調べている。同社広報部は「お客様にご迷惑をおかけし、おわび申し上げます。適切に対応してまいります」としている。

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写真・図版

東京海上日動の担当者が偽造した文書。病院から取り寄せていない画像の所見などを並べ「後遺障害には該当しない」と結論づけていた

2017年5月4日   朝日新聞

初めての給与計算入門|#6新人労務担当者が知っておくべき所得税の計算方法

目次 [hide]

1 所得税とは 2 所得税を納める2つの方法 3 源泉徴収事務の流れ 4 源泉徴収税額の具体的な計算 5 毎月の源泉徴収が年末調整につながる 所得税とは

そもそも所得税とはどういうものなのかについて説明していきたいと思います。所得税は、個人の所得に対してかかる税金で、1年間、つまり1月1日から12月31日までの間に発生した全ての所得から所得控除を差し引いた残りの課税所得に税率を適用し税額を計算しています。所得の多い人からは多くの税金を徴収する仕組みなので、累進課税制度と言われています。

 ちなみに今回は給与に関する所得、すなわち給与所得について説明をしていきますが、日本では課税される対象の所得は10種類あります。なので、人によっては給与所得の税金を収めるだけではなく、他の種類の所得に関する税金を収めている人もいるのです。

 【10種類の所得】
1 利子所得
2 配当所得
3 不動産所得
4 事業所得
5 給与所得
6 退職所得
7 山林所得
8 譲渡所得
9 一時所得
10 雑所得

 所得税を納める2つの方法

日本では、1年間に稼いだ所得額を自分で計算して税務署に申告することで、自己申告の所得に対する税金を納付する方法が原則です。これを確定申告と言います。しかし、会社に雇用されている方は確定申告を行っていないという方がほとんどだと思います。

 なぜなら会社が従業員に支払っている給与の一部から所得税額を預かって、従業員の代わりに国に納付をしてくれているからです。このように、会社が従業員が納付すべき給与所得に対する税金を預かって、代わりに納付することを源泉徴収と言います。

 注意すべきなのは、源泉徴収で会社に納付してもらえるのは給与所得だけです。その他の所得を稼いでいる人は、ご自身で確定申告をする必要があります。そのため、労務の担当者はこの源泉徴収の手続きを毎月こなしていくことが必要となります。その手続きに必要な知識をさらに見ていきましょう。

 源泉徴収事務の流れ

給与計算の担当者は、従業員に支払う毎月の給与から、適切な所得税額を計算して、給与から差し引いておくという作業が必要になります。そうして、預かった税額を毎月納付していきます。

 重要なのは、適正な所得税額を確実に収めるということですね。そのプロセスを順を追って見ていきましょう。

 STEP1.給与所得者の扶養控除等(異動)申告書の回収

給与計算を行うためには、まず「給与所得者の扶養控除等申告書」、通称「マルフ」を役員・従業員から回収することから始まります。マルフを回収すべき役員・従業員というのは、自社のみで仕事をしている方や、掛け持ちなどで複数社で仕事をしている場合であっても、メインで働いている会社が自社であるという方です。

 この書類の内容については下記記事から詳細をご確認いただけますので、興味のある方は先にご確認ください。

【参考】給与所得者の扶養控除等申告書の書き方。記入すべきは、現住所か住民票か?

 ちなみに複数の会社で働いているような方で、自社以外の会社をメインに働いている場合には、税区分が「乙」という扱いになります。この乙の場合には、マルフは回収しなくて大丈夫です。乙の方の所得税額計算では、マルフの情報を使わないからです。

 STEP2.源泉徴収税額の計算

源泉徴収税額の計算では、まず会社として原則的な方法を用いるか、電子計算機特例という方法を用いるのかを決めます。決められた方法に従って税額を計算します。計算の方法についてはこの後詳細に解説していきますが、まずは全体の流れを大まかに確認したいと思います。

 STEP3.給与振込

所得税額を含めて、計算した給与データを元に振込をおこないます。

 STEP4.所得税の納付

源泉徴収税額の納付期限は、支払日を元に考えることになっていて、原則として所得を支払った月の翌月10日までに納付しなければならないことになっています。なお、この納付期限の日が日曜日、祝日などの休日や土曜日に当たる場合には、その休日明けの日が納 付期限となります。この納付期限までに納付されない場合には、原則として源泉徴収義務者は延滞税や不納付加算税などを 負担しなければならないことになります。

 例外規定として、給与等の支給人員が常時10人未満である源泉徴収義務者については、「源泉所得税の納期の特例の承認 に関する申請書」を提出してその承認を受けることにより、給与等や退職手当等、税理士等の報酬・料金 について源泉徴収をした所得税及び復興特別所得税を次のように年2回にまとめて納付する、納期の特例の制度が設けられていますので、該当する企業であれば意識しておきたいところです。

 源泉徴収税額の具体的な計算

源泉徴収税額の計算では、まず会社として原則的な方法を用いるか、電子計算機特例という方法を用いるのかを決めます。まず原則的な方法を見ていきましょう。原則的な方法というのは源泉徴収税額表という表を見ながら税額を算出する方法のことです。下記のリンクから月給の方の税額表が見れるので、ご確認ください。

【参考】給与所得の源泉徴収税額表(平成29年分)

 表の使い方としては、その月の課税対象の給与総額から社会保険料などを控除した金額が、表の中で、どの行に該当するのかを見るだけです。

 例えば下記のような給与の方がいた場合をシミュレーションしていきましょう。

支給項目 基本給 300,000円 通勤手当(非課税) 15,000円 控除項目 健康保険料 15,856円 厚生年金保険料 29,091円 雇用保険料 945円

 上記で注意すべきは通勤手当は一定の金額までは、所得税の課税対象から外れるということです。課税の対象となる金額は下記のように計算できます。

 課税対象額=総支給額-非課税支給額-社会保険料(健保・厚年・雇保・介保等)

 先ほどの例だと、総支給額は基本給と通勤手当を合計した「315,000円」ですね。そして非課税支給額は通勤手当の「15,000円」。社会保険料は、3項目を合計して「45,892円」です。式に当てはめた結果、課税対象額は「254,108円」となります。

 ここで月額表に戻ります。表を見ると「254,108 円」は「254,000円以上257,000円以下」の行に該当します。

 そして最初のステップで扶養控除等申告書を回収している場合には「甲」の列を見ていくことになります。もし扶養控除等申告書を回収していない「乙」であれば、乙の列を見ていくことになります。今回は「甲」の場合を想定して考えていきましょう。

「甲」の列には「扶養親族等の数」と書かれていて、その下に人数ごとの列が並んでいますね。ここでもマルフをみれば扶養親族等の数がわかるので、2人であれば「2人」の列を見ます。

 「254,000円以上257,000円以下」の行で、「甲の扶養親族等の数2人」の列を見ると、金額として「3,510円」と書かれています。こうしてその月の給与から控除すべき所得税額を算出することができました。

 なお、注意点として下記のようなことが挙げられます。

 ・扶養控除等申告書により申告された扶養親族等の数が₇人を超える場合には、扶養親族等の数が₇人であるものとして求めた税額から、扶養親族等の数が₇人を超える1人ごとに1,610 円を控除した金額を求めます

 ・扶養控除等申告書にその人が障害者(特別障害者を含みます。)、寡婦(特別の寡婦を 含みます。)、寡夫又は勤労学生に該当する旨の記載があるときは、扶養親族等の数にこれらの一に該当するごとに 1人を加算した数を扶養親族等の数とします。

 ・扶養控除等申告書にその人の控除対象配偶者又は扶養親族のうちに障害者(特別障害者を含みます。)又は同居特別障害者(障害者(特別障害者を含みます。)又は同居特別障害者が国外居住親族である場合には、親族に該当する旨を証する書類が扶養控除等申告書に添付され、又は当該書類が扶養控除等申告書の提出の際に提示された障害者(特別障害者を含みます。)又は同居特別障害者に限ります。)に該当する人がいる旨の記載があるときは、扶養親族等の数にこれらの一に該当するごとに1人を加算した数を扶養親族等の数とします。

 次に例外的な計算方法である、電子計算機特例という方法を簡単に紹介しておきます。

 給与所得に対する源泉所得税及び復興特別所得税の額は、「給与所得の源泉徴収税額表」によっ て求めることができますが、その給与等の支払額に関する計算を電子計算機などの事務機械によって処理しているときは、月額表の甲欄を適用する給与等については、別の表を用いて、所得税額を計算することができます。

 その表が下記リンクから確認できます。

【参考】源泉徴収税額の電算機計算の特例

 どちらの方法で計算するかは会社の判断ですので、採用している方式によって計算を行ってください。

 毎月の源泉徴収が年末調整につながる

所得税というのは、所得に応じて公平に課税を行うための仕組みです。そのために、先ほど説明した通り、扶養している親族の数や、障害・寡婦などの状態に応じて税額を変動させています。

 しかし、本当に公平な課税を行うなら他にももっと検討するべき項目はあるはずです。ただ、毎月行う業務の負担を大きくしすぎると、そもそも源泉徴収を行うことすら難しくなります。そこで、毎月の源泉徴収業務は大まかに、そして詳細な計算を年に1回行うことになっています。

 そして、その年1回の手続きを年末調整と言います。

 毎月大まかに計算した所得税額を再度、いろいろな情報をプラスして計算し直して、徴収した税額の過不足を算定します。つまり、毎月の所得税を計算していた源泉徴収は、年末調整によって公平な金額となって、無事ゴールを迎えるということです。

 年末調整の詳しい手続き・やり方については下記リンク先にいくつか記事がありますので、ご興味ある方はそちらもご参照ください。

以上が給与計算に関する所得税の基礎知識です。正確な計算をしておかなければ、税金の未払いという状態にもなりかねません。タフな業務ですが、頑張っていきましょう!

 『バックオフィスの基礎知識』編集部 | 公開日:2017/5/4

南米の施設で子どもに性的虐待容疑 日本人修道女を逮捕

南米アルゼンチンのカトリック系の障害者施設で、子どもたちに対して性的虐待をしたとして、聖職者ら5人が相次いで逮捕・起訴され、4日までに、日本人の修道女が新たに逮捕されました。修道女は容疑を否認しているということです。

アルゼンチンのメディアなどによりますと、西部の都市メンドーサにあるカトリック系の障害者施設で、子どもたちへの性的虐待が繰り返されていると告発があり、施設は、ことし2月地元当局により閉鎖されました。

この施設では、10年以上前から性的虐待が行われていたと見られ、これまでに聖職者の男ら5人が逮捕・起訴されているということです。

一連の捜査で、4日までに新たに42歳の日本人の修道女が警察に逮捕されました。この修道女は、ことし3月に指名手配され、今月2日、首都ブエノスアイレスの司法当局に出頭したということで、容疑について「虐待のことは知らない」と述べ、否認しているということです。

5月5日   NHK

47歳難病男性が「障害者手帳」を熱望する事情

難病が原因で転職のたびに条件が悪化した

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

長年、再生不良性貧血を患っていると聞いていた。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、背が高く、がっちりとした体つきの男性だった。東京都内の学習塾に勤めるマモルさん(47歳、仮名)はこう言って苦笑いする。

「昔、柔道や水泳をやっていたからでしょうか。周りからは病人に見えないみたいで……。実際は、平らな道でもすぐに息切れしますし、地下鉄を乗り換えるだけで貧血で倒れそうになります。いったん出血したら止まらなくなるので、医者からはどんなに小さなケガも絶対にするなと言われています」

いつ脳出血を起こしてもおかしくない

病気がわかったのは20年ほど前。この分野の医療技術が今ほど進んでいなかった当時は、「5年後の生存率は5割」と告げられた。現在は技術が進歩したとはいえ、病状はじわじわと悪化している。最近の血液検査では、赤血球とヘモグロビンが基準範囲を大きく下回ったうえ、血液を固めて出血を止める働きをする血小板は「1万5000/マイクロリットル」と、基準範囲の10分の1に届かなった。医師からはいつ脳出血を起こしてもおかしくないと警告されている。

妻と2人の子どもがいる。主たる家計の担い手として何としても働き続けなければならないマモルさんが、今、のどから手が出るほど欲しいのは「身体障害者手帳」だという。

「ハローワークで仕事を探すとき、手帳があれば専門の相談窓口で条件のよい仕事を紹介してもらえます。でも、血液疾患の場合、手帳はエイズ(患者)にしか交付されません。一般窓口でも求人はありますが、病気のことがわかるとほとんどの会社は採ってくれない。残るのは、誰も行きたがらないブラック企業ばかりです」

障害者の雇用をめぐっては、障害者雇用促進法で企業に対し、労働者の2%に当たる障害者を雇用することが義務づけられている。法定雇用率を達成している割合は大企業のほうが高く、ハローワークのある相談員は「一般窓口に比べ、障害者などを対象にした窓口“専門援助部門”のほうがいわゆる有名企業の求人が集まりやすく、賃金や福利厚生面で条件のよい仕事を紹介しやすいのは確かです」と言う。

長時間労働や低賃金に、体力的・家計的に耐え兼ねて転職するものの、その先にあるのはさらにろくでもない会社ばかり――。「ブラックからブラックへと流され、落とされていく感じ」と嘆くマモルさんはこの20年間、そんな悪循環から逃れられずにいる。

印刷会社の営業社員だったときは、顧客の都合に合わせ、商談や打ち合わせは夕方から深夜にかけて集中したが、月収は約25万円。「残業代も深夜割増手当もほとんどつきませんでした」。塾講師として働いていたときも残業代はゼロ。社会保険への加入義務のある法人だったが、厚生年金や健康保険などは未加入だった。

外資系保険会社では社員と変わらない働かされ方なのに、雇用形態は個人事業主。完全歩合制で、辞める直前の月収は6万円だった。ある検索大手企業の関連会社でもノルマが厳しく、暴言、暴力こそなかったが連日、「もっと単価を上げてください」「できないのは君の能力のせいでしょう」と言われ、真綿で首を絞められるように退職へと追い込まれた。

ある同族経営の会社では、社長がエレベーターから降りてくるたびに社員が拍手で出迎えるという意味不明の習慣があった。お辞儀する社員らの間を歩いていく社長を見送りながら、「ここは北朝鮮かと思いました」と言う。この会社には社員はエレベーターを使ってはいけないとの「規則」まであり、体力的にもたなかった。

現在、勤めている学習塾も、パソコン関係の親会社が税金対策の一環として新たに発足させた一部門だという。正社員とはいえ、学習塾部門が廃止されれば解雇される可能性が高い。何としても採算を上げなければと、休日返上で営業のためのビラ配りに奔走している。

マモルさんが目の当たりにしてきた労働現場は、無法地帯そのものだ。政府は、残業上限「月100時間」をめぐって賛否もある「働き方改革」を進めているが、彼にしてみれば、そんなことより「今そこにある不正」を正してくれと、叫び出したい気持ちである。

最終面接通過後の健康診断で「不合格」

マモルさんが絶望したのは、ある会社を、最終面接を通過した後の健康診断で落とされたときだ。面接官たちの反応はよかったから、原因は健診結果にあったとしか思えないという。「僕にはハンデがあるんだと痛感しました。(就職活動において)対等な競争ができないのです。それなのに、制度も法律も助けてはくれない」。

身体障害者手帳の交付基準について東京都福祉保健局は「具体的な障害の程度や、生活への支障を見て判断している」とし、再生不良性貧血だからといって除外はしていないという。が、実際に窓口で交付業務に就いているある担当者は「再生不良性貧血の方には原則、手帳は交付していない」と打ち明けるので、マモルさんの思い込みとは言えないようだ。

また、厚生労働省障害者雇用対策課は「手帳の有無に関係なく、再生不良性貧血のような難病の方もハローワークの専門援助部門を利用することはできる」とするが、マモルさんは「求人票に“身体障害者手帳〇級以上”と書いてあるんです。相談員からも“この求人は手帳のない人には紹介できません”と言われました。これでは利用できないのと同じこと」と憤る。

マモルさんは現在、障害年金を受給しているが、支給が決まるまでの経緯も一筋縄ではいかなかった。

「初めて社会保険事務所(当時)に行ったとき、担当者から“あなた、自分の足でここまで来たんですよね。それだけお元気な方に年金をお支払いするわけにはいきません”と門前払いされました。診断書や保険関係の書類も持参しましたが、専門用語をまくしたてられ、とりつく島がありませんでした。その後、あちこち調べたところ、社会保険労務士を通して申請すると認められやすいという話を聞いたので、なんとか依頼料を工面してもう一度申請したんです。そうしたら、あっけないほど簡単に支給が認められました」

行政担当者の話を聞くかぎり、病気や障害のある人は、手厚く、公平に保護されているようにも見える。しかし、現実には、マモルさんは身体障害者手帳を持つことはかなわず、ハローワークの障害者向けサービスを利用することもできない。障害年金の支給をめぐっては危うく泣き寝入りを強いられるところだった。

「生活への支障というなら、(身体障害者手帳が交付される)発症前のエイズの人に比べ、階段の昇り降りにも苦労する僕のほうが、支障が少ないとは思えないんです。不公平だと感じます」。マモルさんは理想と現実のギャップを前に途方に暮れる。

結婚して1年足らずで病気が発覚

再生不良性貧血と診断されたのは、結婚して1年足らずの頃だったという。新婚の妻は「なっちゃったものは仕方ない」とさらりと言っただけで、その後は何ひとつ変わることなく接してくれた。子どもができたときも、どこかで調べてきたのか「(再生不良性貧血は)遺伝はしないんだって。何とかなるよ」と背中を押してくれた。専業主婦になることを望んでいたが、病気がわかってからは共働きで家計を支えている。

当時、親戚や知人が彼女に離婚するよう勧めていたことを知ったのも、ずいぶん後になってからだったという。「彼女にはっきりと言ったことはありませんが、“不良品”をつかませちゃったなという気持ちはあります。(彼女には)感謝――、それしかないですね」。

現在、一家の収入はマモルさんの月収20万円余りや障害年金、妻のパート収入などを合わせても40万円を超える程度。病気がわかる前に購入したマンションのローン月9万円や家族4人分の光熱水費、食費、通信費、各種保険を払うと、生活はカツカツで貯金はできない。最後に家族で旅行したのは6年前の東京ディズニーランド。「東日本大震災の前日だったので、よく覚えています」と言う。

子どもたちは何とか大学に進ませてやりたい。「できればそこそこいい学校に。できれば国立大学に」と希望はするものの、塾に通わせる余裕はない。長女は、地元自治体が貧困世帯などを対象に行っている無料の学習支援を受けることができたこともあり、今春、何とか希望どおりの公立高校に進学した。

2人の子どもたちがいずれも、遠征費や備品代などの負担が少なくて済む文化系のクラブに入っているのは、「おカネのことで気を使ってくれているのかな」とも思う。

刻一刻と体調が悪化していることは、自分がいちばん、よくわかっている。今は通院と投薬で済んでいるが、輸血が必要になる日まで、そう長くはかからないだろう。

「せめて死ぬときはポックリと逝きたい」

マモルさんは「死ぬときはひと思いに逝かなくてはなりません」と言う。団体信用生命保険に加入しており、死亡時にはマンションのローンが全額弁済されるからだ。「今よりも血液の状態が悪くなったり、脳出血を起こしたりして働けなくなってからも生き続けてしまうと、家族に迷惑をかけてしまいます」。

現在のように問題のある企業でしか働けない以上、長患いする余裕はない。せめて死ぬときはポックリと逝かなければ、というのだ。

マモルさんは駅前の待ち合わせ場所まで自転車でやってきた。自宅からは距離があり、体力的にはスクーターのほうが便利なのだが、ケガが怖くて最近は乗っていないという。帰り際、彼が自転車にまたがると、体格がいいので車両が小さく見えた。かすり傷も致命傷になりかねないので、転倒はもちろん、壁や人にぶつかってもいけない。慎重に、ゆっくりと――。駅前の商店街の人波の中へ、肩幅の広い大きな背中が吸い込まれていった。

2017年05月05日   東洋経済オンライン


47歳難病男性が「障害者手帳」を熱望する事情

難病が原因で転職のたびに条件が悪化した

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

長年、再生不良性貧血を患っていると聞いていた。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、背が高く、がっちりとした体つきの男性だった。東京都内の学習塾に勤めるマモルさん(47歳、仮名)はこう言って苦笑いする。

「昔、柔道や水泳をやっていたからでしょうか。周りからは病人に見えないみたいで……。実際は、平らな道でもすぐに息切れしますし、地下鉄を乗り換えるだけで貧血で倒れそうになります。いったん出血したら止まらなくなるので、医者からはどんなに小さなケガも絶対にするなと言われています」

いつ脳出血を起こしてもおかしくない

病気がわかったのは20年ほど前。この分野の医療技術が今ほど進んでいなかった当時は、「5年後の生存率は5割」と告げられた。現在は技術が進歩したとはいえ、病状はじわじわと悪化している。最近の血液検査では、赤血球とヘモグロビンが基準範囲を大きく下回ったうえ、血液を固めて出血を止める働きをする血小板は「1万5000/マイクロリットル」と、基準範囲の10分の1に届かなった。医師からはいつ脳出血を起こしてもおかしくないと警告されている。

妻と2人の子どもがいる。主たる家計の担い手として何としても働き続けなければならないマモルさんが、今、のどから手が出るほど欲しいのは「身体障害者手帳」だという。

「ハローワークで仕事を探すとき、手帳があれば専門の相談窓口で条件のよい仕事を紹介してもらえます。でも、血液疾患の場合、手帳はエイズ(患者)にしか交付されません。一般窓口でも求人はありますが、病気のことがわかるとほとんどの会社は採ってくれない。残るのは、誰も行きたがらないブラック企業ばかりです」

障害者の雇用をめぐっては、障害者雇用促進法で企業に対し、労働者の2%に当たる障害者を雇用することが義務づけられている。法定雇用率を達成している割合は大企業のほうが高く、ハローワークのある相談員は「一般窓口に比べ、障害者などを対象にした窓口“専門援助部門”のほうがいわゆる有名企業の求人が集まりやすく、賃金や福利厚生面で条件のよい仕事を紹介しやすいのは確かです」と言う。

長時間労働や低賃金に、体力的・家計的に耐え兼ねて転職するものの、その先にあるのはさらにろくでもない会社ばかり――。「ブラックからブラックへと流され、落とされていく感じ」と嘆くマモルさんはこの20年間、そんな悪循環から逃れられずにいる。

印刷会社の営業社員だったときは、顧客の都合に合わせ、商談や打ち合わせは夕方から深夜にかけて集中したが、月収は約25万円。「残業代も深夜割増手当もほとんどつきませんでした」。塾講師として働いていたときも残業代はゼロ。社会保険への加入義務のある法人だったが、厚生年金や健康保険などは未加入だった。

外資系保険会社では社員と変わらない働かされ方なのに、雇用形態は個人事業主。完全歩合制で、辞める直前の月収は6万円だった。ある検索大手企業の関連会社でもノルマが厳しく、暴言、暴力こそなかったが連日、「もっと単価を上げてください」「できないのは君の能力のせいでしょう」と言われ、真綿で首を絞められるように退職へと追い込まれた。

ある同族経営の会社では、社長がエレベーターから降りてくるたびに社員が拍手で出迎えるという意味不明の習慣があった。お辞儀する社員らの間を歩いていく社長を見送りながら、「ここは北朝鮮かと思いました」と言う。この会社には社員はエレベーターを使ってはいけないとの「規則」まであり、体力的にもたなかった。

現在、勤めている学習塾も、パソコン関係の親会社が税金対策の一環として新たに発足させた一部門だという。正社員とはいえ、学習塾部門が廃止されれば解雇される可能性が高い。何としても採算を上げなければと、休日返上で営業のためのビラ配りに奔走している。

マモルさんが目の当たりにしてきた労働現場は、無法地帯そのものだ。政府は、残業上限「月100時間」をめぐって賛否もある「働き方改革」を進めているが、彼にしてみれば、そんなことより「今そこにある不正」を正してくれと、叫び出したい気持ちである。

最終面接通過後の健康診断で「不合格」

マモルさんが絶望したのは、ある会社を、最終面接を通過した後の健康診断で落とされたときだ。面接官たちの反応はよかったから、原因は健診結果にあったとしか思えないという。「僕にはハンデがあるんだと痛感しました。(就職活動において)対等な競争ができないのです。それなのに、制度も法律も助けてはくれない」。

身体障害者手帳の交付基準について東京都福祉保健局は「具体的な障害の程度や、生活への支障を見て判断している」とし、再生不良性貧血だからといって除外はしていないという。が、実際に窓口で交付業務に就いているある担当者は「再生不良性貧血の方には原則、手帳は交付していない」と打ち明けるので、マモルさんの思い込みとは言えないようだ。

また、厚生労働省障害者雇用対策課は「手帳の有無に関係なく、再生不良性貧血のような難病の方もハローワークの専門援助部門を利用することはできる」とするが、マモルさんは「求人票に“身体障害者手帳〇級以上”と書いてあるんです。相談員からも“この求人は手帳のない人には紹介できません”と言われました。これでは利用できないのと同じこと」と憤る。

マモルさんは現在、障害年金を受給しているが、支給が決まるまでの経緯も一筋縄ではいかなかった。

「初めて社会保険事務所(当時)に行ったとき、担当者から“あなた、自分の足でここまで来たんですよね。それだけお元気な方に年金をお支払いするわけにはいきません”と門前払いされました。診断書や保険関係の書類も持参しましたが、専門用語をまくしたてられ、とりつく島がありませんでした。その後、あちこち調べたところ、社会保険労務士を通して申請すると認められやすいという話を聞いたので、なんとか依頼料を工面してもう一度申請したんです。そうしたら、あっけないほど簡単に支給が認められました」

行政担当者の話を聞くかぎり、病気や障害のある人は、手厚く、公平に保護されているようにも見える。しかし、現実には、マモルさんは身体障害者手帳を持つことはかなわず、ハローワークの障害者向けサービスを利用することもできない。障害年金の支給をめぐっては危うく泣き寝入りを強いられるところだった。

「生活への支障というなら、(身体障害者手帳が交付される)発症前のエイズの人に比べ、階段の昇り降りにも苦労する僕のほうが、支障が少ないとは思えないんです。不公平だと感じます」。マモルさんは理想と現実のギャップを前に途方に暮れる。

結婚して1年足らずで病気が発覚

再生不良性貧血と診断されたのは、結婚して1年足らずの頃だったという。新婚の妻は「なっちゃったものは仕方ない」とさらりと言っただけで、その後は何ひとつ変わることなく接してくれた。子どもができたときも、どこかで調べてきたのか「(再生不良性貧血は)遺伝はしないんだって。何とかなるよ」と背中を押してくれた。専業主婦になることを望んでいたが、病気がわかってからは共働きで家計を支えている。

当時、親戚や知人が彼女に離婚するよう勧めていたことを知ったのも、ずいぶん後になってからだったという。「彼女にはっきりと言ったことはありませんが、“不良品”をつかませちゃったなという気持ちはあります。(彼女には)感謝――、それしかないですね」。

現在、一家の収入はマモルさんの月収20万円余りや障害年金、妻のパート収入などを合わせても40万円を超える程度。病気がわかる前に購入したマンションのローン月9万円や家族4人分の光熱水費、食費、通信費、各種保険を払うと、生活はカツカツで貯金はできない。最後に家族で旅行したのは6年前の東京ディズニーランド。「東日本大震災の前日だったので、よく覚えています」と言う。

子どもたちは何とか大学に進ませてやりたい。「できればそこそこいい学校に。できれば国立大学に」と希望はするものの、塾に通わせる余裕はない。長女は、地元自治体が貧困世帯などを対象に行っている無料の学習支援を受けることができたこともあり、今春、何とか希望どおりの公立高校に進学した。

2人の子どもたちがいずれも、遠征費や備品代などの負担が少なくて済む文化系のクラブに入っているのは、「おカネのことで気を使ってくれているのかな」とも思う。

刻一刻と体調が悪化していることは、自分がいちばん、よくわかっている。今は通院と投薬で済んでいるが、輸血が必要になる日まで、そう長くはかからないだろう。

「せめて死ぬときはポックリと逝きたい」

マモルさんは「死ぬときはひと思いに逝かなくてはなりません」と言う。団体信用生命保険に加入しており、死亡時にはマンションのローンが全額弁済されるからだ。「今よりも血液の状態が悪くなったり、脳出血を起こしたりして働けなくなってからも生き続けてしまうと、家族に迷惑をかけてしまいます」。

現在のように問題のある企業でしか働けない以上、長患いする余裕はない。せめて死ぬときはポックリと逝かなければ、というのだ。

マモルさんは駅前の待ち合わせ場所まで自転車でやってきた。自宅からは距離があり、体力的にはスクーターのほうが便利なのだが、ケガが怖くて最近は乗っていないという。帰り際、彼が自転車にまたがると、体格がいいので車両が小さく見えた。かすり傷も致命傷になりかねないので、転倒はもちろん、壁や人にぶつかってもいけない。慎重に、ゆっくりと――。駅前の商店街の人波の中へ、肩幅の広い大きな背中が吸い込まれていった。

2017年05月05日   東洋経済オンライン

障害者施設に寄付金

 湘南芸能協会〜翔(はばたく)〜(石渡季美恵会長)は4月17日、秦野市役所市長応接室で市内の福祉施設へ寄付金57000円を古谷善幸市長に手渡した。 

 この寄付は、障害者施設のために役立ててもらう目的で今回初めて行われた。4月16日に秦野市文化会館で「第1回湘南芸能協会〜翔〜チャリティー舞踊祭」を開催。当日の来場者と、演技を披露した出演者約450人から集められた募金を寄付した。

 石渡会長は「地域貢献したいと寄付を行おうと思った。当日は予想以上に多くのお客様にご来場いただき開催することができた。来年は今年以上にバージョンアップしたチャリティー舞踊祭を開催したい」などと話した。

 同協会は2016年2月に発足。現在は7団体が在籍している。

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寄付金を渡す石渡会長ら   2017年5月5日   タウンニュース  

「おたがいさまネットおかもと」の会長を務める

実務型の宴会部長

 ○…介護保険制度などの公的制度では対応しづらい、草むしりやゴミ出し、囲碁の相手など日常生活の”ちょっとした”困りごとや「あったらいいな」を手助けする岡本地区の住民組織の初代会長となった。高齢者だけではなく、若い世代への支援も視野に入れ、住民が住み慣れた地域で長く安心して暮らしてもらいたいと考えている。地域での取り組みを「制度から漏れた人を拾う地域のセーフティネット」と解説する。

 ○…終戦の前年、1944年に満州で生まれた。両親が生まれ育った和田河原で育ち、子どもの頃から「お調子者、ひょうきん者で通っていた」。平塚の工業高校に進学し化学工場に入社したが、横浜市役所に転職し、定年まで勤めた。生活保護のケースワーカー、障がい者の生活指導や職業訓練施設で所長を務めるなど、在職期間の半分以上を福祉畑で奉職した。再任用制度を活用して退職後は障害者に仕事の橋渡しをする団体の嘱託職員として5年間、働いた。

 ○…地域に戻り、通学路の見守りや障害児、認知症家族のサポートなど、1週間のスケジュールはほぼボランティア活動でぎっしり。「充実していますよ」と話す大きな声が充実ぶりを物語っている。休みの楽しみは一緒に暮らす9歳と5歳の孫とのキャッチボール。近所の店で自治会の仲間と酌み交わすことも心安らぐひと時。「焼酎と焼き鳥」が好物という。

 ○…「どうも荒井注です」「斉藤さんだぞ」―。怒涛のギャグ連発。周囲の噂に違わぬ人柄。「生きるなら、楽しい方が良いでしょ」。その笑顔には人懐っこさもある。公務員時代は「宴会部長。化粧までして踊りまくっちゃう」と大笑い。この笑いがまとまりの秘訣とも思える。「どう思いますか」―。時折、そんな言葉で記者に水を向ける。立ち上げたばかりの「おたがいさまネット」の運営には余念がない。目指すのは、顔の見えるご近所付き合い。

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南足柄市駒形新宿在住 長山 誠一さん 72歳

2017年5月6日     タウンニュース

盲導犬導入促進を 協会が募金活動

 大分盲導犬協会(湯沢純一会長)は大分市中心部で盲導犬を導入するための募金活動をした。会員や富士見が丘幼稚園児ら約40人と盲導犬7匹が参加し、協力を呼び掛けた。
 協会によると、県内では現在、盲導犬13匹が活躍。盲導犬を待っている視覚障害者が数人いる。ただ、盲導犬を導入する際は、利用者との共同訓練などの費用で約200万円必要なため、同協会は年2回、街頭活動をしている。
 湯沢会長は「盲導犬がいると、障害者も好きな時間に行きたい場所へ出掛けることができる。活動を通して、盲導犬への理解を深めてもらい、導入を進めていきたい」と話していた。 ※この記事は、5月5日大分合同新聞夕刊11ページに掲載されています。

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募金を呼び掛ける園児ら

募金を呼び掛ける園児ら

※この記事は、5月5日大分合同新聞夕刊11ページに掲載されています。

少数者への差別解消考える 7日・北区 /岡山

 岡山弁護士会は障害者や在日外国人など少数者への差別解消を考える集会「マイノリティって誰のこと?-差別の解消に向けて-」を7日午後1時から、北区柳町2のさん太ホールで開く。参加無料。

  首都大学東京の木村草太教授が「憲法的視点から見たマイノリティ問題」と題して講演した後、いずれも自身に障害があり障害者の当事者研究に携わる東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授と綾屋紗月研究員が対談。最後に難病患者である兵庫県明石市職員の青木志帆弁護士も加わり、差別解消の方策についてパネル討論する。問い合わせは086・223・4401へ。   毎日新聞   2017年5月5日

区役所・支所の子育て支援窓口を一元化 京都市、周知遅れ批判も印刷用画面を開く

 京都市の組織改編に伴い、各区役所・支所で福祉事務所と保健センターを合わせた「保健福祉センター」が8日に発足する。センターには、子育て関連の窓口を一元化した「子どもはぐくみ室」も新設する。市民の利便性を高める狙いだが、窓口の場所が移るケースもあり、市民への周知が課題となっている。

 子どもはぐくみ室は、福祉事務所で受け付けていた児童手当、保健センターの業務だった乳幼児検診などに対応し、相談機能も強化する。このほか保健福祉センターの健康福祉部には、障害と難病に関する業務を担う障害保健福祉課をはじめ4課を置く。

 市は8日から7月末まで、各センターに1~2人、来庁者を案内するスタッフを配置する。福祉事務所と保健センターの庁舎が離れている西京区役所は、新センター発足後も子どもはぐくみ室が別庁舎となるため、庁内の掲示や地域の回覧板などで窓口変更を知らせている。

 ただ、課の名称や電話番号が決まったのは3月末をすぎてからで、周知は遅れ気味だ。

 視覚障害者で、左京区身体障害者団体連合会副会長の辻川覚さん(63)は、2011年に同区総合庁舎が完成した際、団体との協議で障害者福祉の窓口が2階になったとした上で「今回は事前に相談もなく、4月の半ばすぎに区役所に行き、窓口が3階に変わると初めて聞いた。周知期間もほとんどない。障害者のことをどう思っているのか、納得できない」と憤る。

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保健福祉センター発足後も庁舎が分かれる西京区役所では、掲示と持ち帰り用のチラシで新たな窓口の場所を知らせている(京都市西京区)

保健福祉センター発足後も庁舎が分かれる西京区役所では、掲示と持ち帰り用のチラシで新たな窓口の場所を知らせている

2017年05月06日   京都新聞

福祉避難所急増、医師や看護師の確保重要 識者「24時間ケアの態勢を」

 東日本大震災などの経験を踏まえ、災害時に配慮が必要な高齢者や障害者ら(要配慮者)を受け入れる福祉避難所の指定件数は増えているが、昨年4月に起きた熊本地震では多くの要配慮者が福祉避難所に入れず、一般の避難所で過酷な生活を余儀なくされた。専門家は「高齢者をケアする医師や看護師などの人手をどう確保するかが重要だ」と指摘する。

 「通所施設や地域福祉センターは災害が起きて福祉避難所になると、24時間対応が必要になり、圧倒的に人手が不足する」。同志社大の立木茂雄教授(福祉防災学)はこう指摘する。

 福祉避難所には医師、看護師のほか、栄養士、リハビリの専門家、ソーシャルワーカーなど多くのスタッフが不可欠だ。熊本地震では多くの施設が被災した上、人手不足も重なり開設できない福祉避難所が多かった。立木教授は「場所が指定されてもスタッフがいなければ機能しない。東日本大震災で仙台市などの福祉避難所の運営が比較的うまくいったのは、全国からスタッフが集まってきたからだ」と話す。

 立木教授は熊本地震の発生直後から現地入りし、調査した。福祉避難所に一般の被災者が押し寄せて要配慮者が入れず、要配慮者に周辺自治体にある旅館やホテルに避難を促しても地元を離れたがらない人が多かった。一方、一般の避難所でも要配慮者のスペースを設けた所もあった。

 立木教授は「一般の指定避難所で専門のスタッフを確保し、要配慮者をケアする方が現実的だということが熊本地震の教訓ではないか。国や自治体は昨年4月施行の障害者差別解消法で障害者らへの合理的な配慮が義務付けられていることを意識して対策に取り組む必要がある」と指摘した。

2017年05月06日   西日本新聞


障害者と家族を閉園後の動物園に招待「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」 

 多摩動物公園(東京都日野市程久保7-1-1)では6月3日(土)に、「ドリームナイト・アット・ザ・ズー in Tama」を開催する。

 1996年にオランダのロッテルダム動物園で始まった「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」は、閉園後の動物園に障がいのある子供とその家族を招待し、楽しいひとときを過ごしてもらう国際的な活動だ。

 都立動物園・水族はその趣旨に賛同し、多摩動物公園は、この日の午後5時半から7時半までを「ドリームナイト・アット・ザ・ズー in Tama」とする。入園受付は、午後6時半まで。イベント内容は「飼育係とお話をしよう!」「モルモットとのふれあい」「磯のいきものとのふれあい」「虫となかよし」「移動水族館がやってくる」「どうぶつフェイスペインティング」「どうぶつの毛皮をさわってみよう」などが予定されている。

 参加対象は、「身体障害者手帳」「療育手帳」「精神障害者保健福祉手帳」「小児慢性疾患受給者証」を持っている人と、その家族。事前申し込みは、不要。問い合わせは、多摩動物公園(電話042-591-1611)まで。

[2017.5.5   ワールドペットニュース

世田谷区、視覚障害者の通勤支援 昨夏の事故受け

 世田谷区は4月から、転入してきた視覚障害のある区民を対象に通勤時の付き添い支援を実施している。昨夏、盲導犬を連れて帰宅中に駅ホームから転落して亡くなった同区の会社員品田直人さん(当時55)の事故を受けた対応で、新たな支援の対象に加えた。

 品田さんは昨年8月、港区の東京メトロ銀座線青山一丁目駅のホームで職場から帰宅中、事故に遭った。

 世田谷のNPO団体で活動する茅野建文さん(70)は事故後、保坂展人区長に「盲導犬を連れていても百%安全とはいえない。仕事でも活用できるガイドヘルパーが不可欠」と手紙を送り訴えていた。

 この手紙などが契機となり、区は視覚障害者への支援の規定を改正。病院や買い物などに限っていた付き添いサービスを、4月から通勤時にも利用できるようにした。今のところ対象となるのは、区内に転入して間もない住民で、3カ月程度ヘルパーの同行サービスなどを受けられるという。

 茅野さんは、事故前の昨年春に支援活動の一環で、品田さんと銭湯に同行した経験がある。先月28日、区内でNPO団体が開いた、視覚障害のある人に暮らしやすいまちづくりを考える会合で、品田さんとの思い出を語った。銭湯では、品田さんにロッカーの位置や料金の支払い方を説明した。「礼儀正しい人柄が印象的だった。事故を絶対に無駄にしたくないと心に刻んだ」と語った。

 この日は品田さんの妻の直美さん(53)も出席。「世田谷区は一歩前進したと聞いた。主人の事故が視覚に障害がある人たちも暮らしやすい社会づくりのきっかけになってほしい」と話した。

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写真・図版
 

参加者を前に亡くなった品田直人さんとの思い出を語る茅野建文さん

2017年5月6日   朝日新聞

広がれ「ヘルプマーク」

内部疾患や、目や耳が不自由といった一見して気付きにくい障害のある人が、周囲に支援を求めやすくなる「ヘルプマーク」。10都府県が配布したり、導入を予定したりしており、助け合いの印として広がりを見せている 。

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時事通信   5月6日

夫に食事与えなかった妻を逮捕 大阪

 寝たきりの夫に食事を与えず殺害したとして、大阪府警高槻署は6日、大阪府高槻市城南町1、パート、為清(ためきよ)信子容疑者(73)を殺人の疑いで逮捕した。同署によると、為清容疑者が6日朝に署を訪れ、「認知症の夫の介護に疲れて4、5日面倒を見ていない。死んでいると思う」と自首してきた。容疑を認めているという。

 逮捕容疑は4月下旬から、自宅で寝たきりの夫悌璋(よしあき)さん(76)に食事を与えず、殺害したとしている。同署によると、夫は寝室のベッドの横にあおむけで倒れていた。毛布が掛けられ、目立った外傷はなかった。夫婦は2人暮らしで、夫は昨年から認知症が悪化し、ほぼ寝たきりになったという。死後数日が経過しているとみられ、8日に司法解剖して死因を調べる。

毎日新聞   5月6日

「ヒカリノカフェ」1年、地域の新たな拠点に 大田原

 【大田原】蜂巣の「ヒカリノカフェ蜂巣小珈琲(こーひー)店」(川上聖子(かわかみしょうこ)施設長)は4月、オープン1周年を迎えた。口コミや多彩な催しで、障害のある人たちが働くカフェや併設施設に1年間の目標2万人を上回る計約2万8千人が訪れ、地域の新たな拠点となっている。川上施設長は「昨年は試行錯誤が多かったが、今年からはより地域に開かれた活動をしていきたい」と話している。

 旧蜂巣小を利用した同カフェは、社会福祉法人エルム福祉会が運営。障害者就労継続支援事業(A・B型)を行い、現在は知的や精神の障害があるスタッフ23人が働いている。当初限定30食だったランチは、スタッフの技術向上などにより毎日80食以上を提供できるようになった。

 木造校舎を再利用した温かみのある雰囲気やスタッフの接客などが会員制交流サイト(SNS)を通した口コミなどで人気を集め、カフェだけで年間2万人が訪れたという。

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多くの人が訪れるヒカリノカフェ蜂巣小珈琲店

5月7日    下野新聞

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