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震災2年、小山慶一郎が聞く“障害者の声”

 東日本大震災から丸2年が経過した2013年3月11日。小山慶一郎キャスターは、町を一望できる岩手・大槌町の高台に立っていた。

 小山キャスター「ここ大槌町では、約1200人が津波などの犠牲になりました。その中には100人近くの障害者の方がいたといいます」

 大槌町は、岩手県の被災地のなかでも、町全体が壊滅的な被害となった地域のひとつ。津波が押し寄せる中、体が不自由な人々は、どうすれば逃げられるのだろうか。小山キャスターは2月、岩手・山田町を訪れ、車いす生活を送っている女性(55)と、その兄(57)を取材していた。

 小山キャスター「体はどういう状態なのですか?」

 女性「常に痛いです。足とかチクチクして痛いです」

 この女性は、約10年前にリウマチを発症。足はほとんど動かず、車いすでの移動しかできないという。現在は、兄とともに、震災後は寝たきりとなった認知症の父親の看病をしながら暮らしている。兄も緑内障で片方の目しか見えない状態だ。2年前、津波に襲われた時は、家の中にいたという。

 小山キャスター「3月11日に地震が起きた当時はどうでしたか」

 女性「すごい横揺れの地震になったから、戸を開けて『兄ちゃーん!兄ちゃーん』と助けを求めました」

 地震が発生した直後、兄は、体が不自由な彼女を家の外へと連れ出した。自宅から海までの距離は約500メートル。当時、津波は家の手前まで迫ってきており、女性は、兄に車いすを押してもらいながら、高台へ向かう坂を急いだ。しかし、わずかの坂であっても、車いすで進むのは容易ではない。近所の人の手を借り、ようやく100メートルほど離れた高台にあがることができたという。わずかな距離でも誰かの助けがなければ逃げられない現実―彼女は当時の避難行動を再現しながらこう語った。「障害を持った人たちは、(こういう風に)逃げられないってことになるのかなと思って。逃げたくても逃げられないって…」。この女性と兄は、今も不安をかかえたまま、海のそばで暮らしている。

 岩手県の調査によれば、津波などによる県内の死者・行方不明者は、5,823人(2013年2月時点)。そのうち障害者は439人(2012年8月時点)で、逃げ遅れたことが原因で亡くなった人もいたという。

 障害者を取り巻く厳しい現実―小山キャスターは、生まれつき耳が聞こえず、岩手・釜石市でひとり暮らしをしている女性(78)も訪ねていた。小山キャスターは、手話を交えて話しかける。

 小山キャスター「地震のときはどうしていたのですか?」

 女性(手話)「3時ごろに大きな地震があって怖かったです」

 小山キャスター「そのときは、どこにいたのですか?」

 女性(手話)「家にいました」

 地震発生直後、彼女は近くに住む妹に連れられて避難所に向かったという。しかし、3月11日の夜、釜石市は停電に見舞われた。暗がりの中では、周りとの意思疎通を図るのが難しかったという。

 小山キャスター「周りの人とのコミュニケーションは?」

 女性(手話)「難しかったです。コミュニケーションができなくて大変だったし、苦しかった」

 震災当日の夜、彼女が体験した暗がりの中での苦しみとはどんなものだったのだろうか。小山キャスターの取材中、彼女は部屋の電気を消し、停電時のようすを再現した。

 小山キャスター「(電気を消した状態で)今、ほとんど見えないですよね。手話も見るのが難しいですよね」

 暗がりの中で、本人は手話を使っているのかもしれないが、その様子はほとんどわからない。周囲の音が聞こえない彼女は、避難所の状況を読みとることができなかったという。家から持参していた懐中電灯で、筆談を試みたそうだが、見えにくかったそうだ。消していた電気を、再び彼女がつけた―

 小山キャスター「やっぱり暗いと見えないですね。難しいですね」

 女性(手話)「苦しいです」

 耳が聞こえない人(手話や筆談に頼る人)にとって、暗がりは言葉を失うのと同じことだ。震災時にどうやって情報を得ればいいのか、彼女は今も不安をかかえている。

 震災から2年がたった今、新たな悩みを抱えた人もいる。岩手・大船渡市の更地となった一角で、自宅のあった場所を指さす男性(59)がいた。震災前は、ここでマッサージ店を営んでいたという。彼は目に神経の障害があり、夜はほとんど目が見えないという。2年前の津波で自宅兼店舗を流され、現在は、仮設の店舗で仕事を再開している。しかし2013年の11月で2年間の契約が切れるという。彼は、この仮設店舗から出ていかなければならないのではないかと心配している。

 この男性は、仮設住宅で、障害がある妻(56)と暮らしている。彼女はわずかに光を感じる程度で、ほとんど目が見えないという。そのため、彼が食事などの面倒をみている。「これからどうなるのかを考えてはいますけど、それが実現するかどうかは、なかなか大変です」と、彼は不安を漏らす。目が見えず、体の不自由な妻に寄り添いながらどう生きればいいのか―悩みを抱えた障害者が今も多くいるのが被災地の現状だ。

 小山キャスターは、取材時に感じた課題をこう指摘する。

 小山キャスター「障害者の方が、いざという時にどう行動していいかわからなかったという点が問題だと感じます。こうした障害者が取り残されないようにするには、どこに誰がいるのかという名簿が重要になります」

 実は震災後、さまざまな福祉団体が障害者の安否確認やサポートをしようとしても、名簿が不十分で、支援が行き届かなかった問題もあったという。内閣府は、今後、自治体に名簿作りなどを急がせる方針を示している。また、被災地からは、行政に頼るだけではなく、普段から助けてもらえるコミュニティを作っていくことが重要だとの意見もある。

 小山キャスター「今回、被災した障害者の方の経験を、次に生かしていくことが大切だと感じました」

 今もほとんど建物がない大槌町の沿岸部を背に、小山キャスターはそう締めくくった。

日テレNEWS24-< 2013年3月15日 21:55 >

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