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渡り廊下の先に:ルポ・八幡支援学校/7 ほーちゃん、ありがとう /京都

 ◇抱いた重さに命感じ

 岩橋穂昂(ほたか)君(7)は生後2日目から約1カ月、NICU(新生児集中治療室)で治療を受けた。母美穂さんは、障害という現実になかなか向き合えず、産婦人科を退院しても穂昂君の病院に足が向かなかった。

 代わりに父親の賢知(よしとも)さん(46)が母乳を病院に運んだ。医師の宣告前に、インターネットなどで調べてダウン症らしいと分かった。「自分が障害児の親になるなんて、想像すらしてませんでした。毎日病院に通うのも子供に会いたいというより、義務として行く感じだった」

 半月ほどたったある日、病院で穂昂君を抱いてミルクを飲ませた時、小さな体がとても重く感じられた。心のわだかまりが、ぱんとはじけた。「この子の重さに命を感じて。ごめんな、という気持ちになった。それが僕の、大きな転機でした」。ダウン症の穂昂君を父親として受け止めようと、心が固まった。

 医師から告げられたのは退院直前だった。説明の言葉は頭を素通りし、すぐには受け入れられなかった美穂さんだが、小学1年生だった長男賢直(よしなお)君(13)の姿に励まされた。「弟が生まれて、ほたかっていうねん」。近所の人にうれしそうに話していた。「穂昂が退院してくると、私に『ほーちゃんの世話、一緒にしような』と言ってくれた。そやな、と思いました」

 ダウン症の子は顔に共通の特徴がある。美穂さんは外出の時、人目を気にしてベビーカーにフードを付けた。だが、次第に「何を言われてもいい」と思えるようになった。それでも、長男のラジオ体操に穂昂君を連れていった時のこと。「知り合いのお母さんたちが、穂昂を見て、なんか見てはあかんものを見てしまった感じで、なんて言っていいか分からんようにならはった」。悲しいのか悔しいのか、自分でも分からない。帰宅した途端、涙があふれた。

 こうした周囲の反応は、障害者と接する機会が少ないことが原因ではないかと賢知さんは思う。穂昂君の小学校入学を前に「普通学級に入れてほしい」と希望したが、地元の教育委員会は「支援学校の方が合っています」と説明した。支援学校を選ぶしかなかった。【野宮珠里】=毎週水曜日掲載

毎日新聞 2013年04月10日 地方版

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