3年前に19歳で亡くなった知的障害者の山本健太郎さん=新城市鰹淵=の追悼絵画展「けんたろう展〜いつもいっしょに」が24日、豊橋市八町通3丁目のギャラリー「公園通り」で始まった。生きた証しとして健太郎さんが書き残した作品の中から20点を展示されている。企画した母親の緑さん(48)は「健太郎のことを思い出し、見た人が温かい気持ちになってくれれば」と話す。
健太郎さんは軽い知的障害があり、地元の小学校から豊川養護学校へ進んだ。卒業後、新城市内の小規模作業所「レインボーはうす」で働いた。半年後、持病のてんかん治療で、手術中に脳内出血を起こして2010年11月に亡くなった。
健太郎さんが絵を描き始めたのは小学1年生のころ。障害がある子の親が集まって会をつくり、画家の荻野佐和子さんから毎月1回、指導を受けるようになったのがきっかけ。
「自分が興味を持ったことは、とことんやる子でした」と緑さん。
毎日のようにスケッチブックを広げ、大好きな車や電車の絵を鮮やかな色で描き続けた。描きためたスケッチブックは数十冊にもなった。
2年に1度、障害者の仲間たちと作品展を開いてきた。亡くなって3年になることから、緑さんが「健太郎のことを思い出してほしい」と、初めて本格的な個展を企画し、半年前から準備を進めてきた。
会場では、健太郎さんの作品をプリントしたTシャツの注文も受け付ける。
緑さんは「本当に絵が好きな子でした。供養の意味も込め、みなさんに見てもらえれば健太郎も喜んでくれると思う」と話す。
絵画展は28日まで。入場無料。問い合わせはギャラリー「公園通り」(0532・54・5988)。
朝日新聞-2013年7月25日
健太郎さんは軽い知的障害があり、地元の小学校から豊川養護学校へ進んだ。卒業後、新城市内の小規模作業所「レインボーはうす」で働いた。半年後、持病のてんかん治療で、手術中に脳内出血を起こして2010年11月に亡くなった。
健太郎さんが絵を描き始めたのは小学1年生のころ。障害がある子の親が集まって会をつくり、画家の荻野佐和子さんから毎月1回、指導を受けるようになったのがきっかけ。
「自分が興味を持ったことは、とことんやる子でした」と緑さん。
毎日のようにスケッチブックを広げ、大好きな車や電車の絵を鮮やかな色で描き続けた。描きためたスケッチブックは数十冊にもなった。
2年に1度、障害者の仲間たちと作品展を開いてきた。亡くなって3年になることから、緑さんが「健太郎のことを思い出してほしい」と、初めて本格的な個展を企画し、半年前から準備を進めてきた。
会場では、健太郎さんの作品をプリントしたTシャツの注文も受け付ける。
緑さんは「本当に絵が好きな子でした。供養の意味も込め、みなさんに見てもらえれば健太郎も喜んでくれると思う」と話す。
絵画展は28日まで。入場無料。問い合わせはギャラリー「公園通り」(0532・54・5988)。
朝日新聞-2013年7月25日