折々にご紹介してきた障害者の通所施設「大阪ひかり作業所」(大阪市生野区)から、定期的にニュースレターが届きます。いつもは一読したらお便りファイルに挟むのですが、5月25日号だけは手元に置いていました。末尾に訃報が載っていたからです。
〈大阪ひかり作業所の仲間であり、昨秋から療養されていた川端修司さんが5月23日、ご逝去されました。享年56歳でした。その足跡は、ひかりの歴史でもありました〉
これは――。34年前に作業所をスタートさせ、今も理事長を務める川端朝子さん(85)の、息子さんのことでした。
知的障害と足のマヒがある修司さんは、このような施設がほとんどなかった時代に養護学校(現在は特別支援学校)高等部を卒業、その後の行き場がありませんでした。
当時、いつまでも寝ている修司さんを起こそうとして、「起きて何するのん」と言い返されたのを、朝子さんはよく覚えています。
「この子らに働く場を」。川端家を含む3家族が中心になって設置運動を始め、1978年に作業所はスタートしました。毎日仲間と過ごし、修司さんはうれしそうでした。
今では利用者は21人になりました。何度かの引っ越しを経て、資金を集めて土地を買い、施設を建て、社会福祉法人格を取ってケアホーム2か所も開設しました。「親亡き後も安心して暮らせる場所を」というのが、皆の悲願だったからです。修司さんも昨春、親元を離れて入居しました。
しかし、程なく修司さんは、「歯が痛い」「耳が痛い」と言い始めます。耳鼻科などでは原因がわからず、暮れになって後頭部にがんが見つかったときには、手術ができない状態でした。
最期はご自宅で迎えましたが、お葬式の後、朝子さんは「早い段階で詳しく調べてもらうよう言っていれば」という後悔にさいなまれ、寝付いてしまったそうです。
それでも、こうしてご紹介ができるのは、朝子さんが少し元気を取り戻し、理事長の仕事に戻られたからです。修司さんの歩みとともに作業所は成長しましたが、運営は厳しく、利用者が手にする給料もわずか。「私にも、できることがまだあると思って」と。施設の仲間からは、「修ちゃんのお母さん」と声がかかります。よく笑って周囲を明るくした修司さんの思い出は、なくなりません。
きょうは、お便り紹介らしくなくてすみません。大阪ひかり作業所とは、日曜便の前身の「泉」時代からのおつきあいです。その起点となった川端さん親子の営みに、敬意を表したいと思いました。
11日は、天気がよければ作業所のバザーだそうです。この新聞を持って訪ねてきます。
(2012年11月11日 読売新聞)
〈大阪ひかり作業所の仲間であり、昨秋から療養されていた川端修司さんが5月23日、ご逝去されました。享年56歳でした。その足跡は、ひかりの歴史でもありました〉
これは――。34年前に作業所をスタートさせ、今も理事長を務める川端朝子さん(85)の、息子さんのことでした。
知的障害と足のマヒがある修司さんは、このような施設がほとんどなかった時代に養護学校(現在は特別支援学校)高等部を卒業、その後の行き場がありませんでした。
当時、いつまでも寝ている修司さんを起こそうとして、「起きて何するのん」と言い返されたのを、朝子さんはよく覚えています。
「この子らに働く場を」。川端家を含む3家族が中心になって設置運動を始め、1978年に作業所はスタートしました。毎日仲間と過ごし、修司さんはうれしそうでした。
今では利用者は21人になりました。何度かの引っ越しを経て、資金を集めて土地を買い、施設を建て、社会福祉法人格を取ってケアホーム2か所も開設しました。「親亡き後も安心して暮らせる場所を」というのが、皆の悲願だったからです。修司さんも昨春、親元を離れて入居しました。
しかし、程なく修司さんは、「歯が痛い」「耳が痛い」と言い始めます。耳鼻科などでは原因がわからず、暮れになって後頭部にがんが見つかったときには、手術ができない状態でした。
最期はご自宅で迎えましたが、お葬式の後、朝子さんは「早い段階で詳しく調べてもらうよう言っていれば」という後悔にさいなまれ、寝付いてしまったそうです。
それでも、こうしてご紹介ができるのは、朝子さんが少し元気を取り戻し、理事長の仕事に戻られたからです。修司さんの歩みとともに作業所は成長しましたが、運営は厳しく、利用者が手にする給料もわずか。「私にも、できることがまだあると思って」と。施設の仲間からは、「修ちゃんのお母さん」と声がかかります。よく笑って周囲を明るくした修司さんの思い出は、なくなりません。
きょうは、お便り紹介らしくなくてすみません。大阪ひかり作業所とは、日曜便の前身の「泉」時代からのおつきあいです。その起点となった川端さん親子の営みに、敬意を表したいと思いました。
11日は、天気がよければ作業所のバザーだそうです。この新聞を持って訪ねてきます。
(2012年11月11日 読売新聞)