Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 17470

考えれば考えるほど、むずかしい問題

すっかり春らしい陽気になってきました。
いつの間にか、近所の桜が満開になっていて、びっくり!
いよいよ、4月。新年度ですね。
別れがあれば、出会いもある――
一日一日を大切に積み重ねていきたいものです。

さて、もうすこし、障害者スポーツについて考えてみたいと思います。
《54》でオリンピックとパラリンピックの統合、《55》で障害者スポーツの放送が少ない理由について、思うところを書きました。
2つのコラムと最近の出来事をきっかけに、いくつか疑問に思ったことがあります。
あまりにもスポーツに疎いので、結論は出ませんでした。
かなりグダグダですが考察の一部を挙げるので、みなさんも一緒に考えてみてください。

五輪とパラリンピックの統合、ひとつの大会にするだけでいいの?

2つのスポーツ大会は、健常者と障害者、それぞれ別々に行なわれています。
それを、1つの大会に統合してもいいのでは?
お互いが競うのには無理があるから、種目として、健常者・障害者を分ければいいのではないだろうか、と書いたのは私です。
しかし、その裏には迷いがありました。
オスカー・ピストリウスのように、障害者でありながら五輪の基準をも満たし、対等に競い合った事実があるからです。
健常者・障害者の隔てなく競ってこそ、本当の統合ではないだろうか、という問いです。
私の中では、両者が「競える」に40パーセント、「競えない」に60パーセントの割合で分かれています。
人生の先輩である、障害者プロレスラー兼プロハンドサイクリストは、言いました。
“「競える」ようにならなければいけない。”

ふむふむ、それも一理あるように思います。
そのためには、障害者スポーツの技術向上が不可欠でしょう。
これに関しては、他国と比べて公的支援がいちじるしく少ない状況を考えたら、十分過ぎる、という話も聞きます。
今以上の成果を出すためには、国費を投じて取り組むしかないだろうというのが、外から見ていて思うことです。

——健常者と障害者がおなじ競技で競う上での、公平性について

それぞれのルールの下で競うのだから、競技をする上で力の差があってはいけません。
健常者・障害者の区別をしない競技を設けたとして、公平さは保てるのでしょうか?
想像のおよぶ範囲で、既存の競技を分けてみました。


【 健常者 > 障害者 】
水泳……両下肢切断とかだと水の抵抗は減るが、推進力では健常者にかなわないと思う。
馬術……体幹の安定性による影響が大きそう。
シッティングバレー……座れば一緒、と言えるかもしれないけれど、移動するとき動く足を使いたくなると思う。私だったら、立ってボールを取りにいっちゃいそう。


【 健常者 < 障害者 】
ゴールボール、ブラインドサッカー……目隠しがルールなら、普段から目の見えない分、感覚が研ぎすまされた障害者が有利だと思う。
走る系、跳ぶ系……義足の性能によっては、人間以上のスピードや跳躍が期待できそう。長距離は、マラソンのタイムを見ると健常者より車椅子のほうが倍くらい早い。短距離は、スピードに乗るまでに時間を要する車椅子が劣るかも。


【 健常者 ≒ 障害者 】
車椅子バスケ、車椅子テニス、チェアスキー、アイススレッジホッケー、ハンドバイク等の車椅子系……みんな競技用の車椅子に乗ってしまえば、足が使えないという点で同じ状況になる。でも、健常者の場合、車椅子に座っていても、足の踏ん張りが利く・体幹機能があるという点で差が生じるのかな?まぁいっか、ということで、この枠に。
射撃、アーチェリー……なんとなく支障はなさそう。

こうやって分けてみると、競技そのものの統合は、やっぱり難しそうだなぁと思ってしまいました。
でも、車椅子系の競技は、健常者・障害者ミックスでも、できそうな気がします。
現に、車椅子バスケには、健常者が車椅子に乗ってバスケをする人たちの集まりがあります。
それはそれで面白いのかなと思うのは、私だけでしょうか?

——どこまで統合したらいいのだろう?
健常者のオリンピック
身体障害者のパラリンピック

この2つを統合しよう!と言ったのはいいけれど、他にもオリンピック的な位置付けの大会があるのをご存知ですか?
聴覚障害者のデフリンピック
知的障害者のスペシャルオリンピックス

4つの大会とも、名称がなんとなく似ています。
IOC(国際オリンピック委員会)は、オリンピック由来の名称を使うことを、他3大会にだけ許しているそうです。
しかし、デフリンピックとスペシャルオリンピックスの存在を、どれほどの人が認知しているでしょうか。
五輪とパラリンピック以上の、大きな開きがあるように思えてなりません。

パラリンピックとデフリンピックの在り方、私は不思議に思います。
聴覚障害も身体障害の一部と考えると、デフリンピックとして独立している理由が分からないのです。
情報伝達、コミュニケーション手段の違いから、大会運営に支障があったのでしょうか?
大会の発足当初、目指すところに相違があったのでしょうか?
どうやら歴史的背景があるようですが、今に適したカタチはどんな姿なのだろう?と考えてしまいます。

でも、4つも一緒に開催するのは、いろいろな意味で大変だろうなぁというのが、正直なところです。
せめて、身体と知的という障害区分にもとづいて、下記の2つなのかなぁと。
オリンピック+パラリンピック+デフリンピック
スペシャルオリンピックス

う〜ん、考えれば考えるほど、むずかしい問題に思えてきます。
開催期間や運営を1つにする、大会の統合。
じゃあ、どこまで一緒にやれるのか。

障害の有無を超えた、競技の統合。
その意義や、公平性を保ったカタチは見つけられるのか。

みなさまは、どう思いますか?

樋口彩夏 (ひぐち・あやか)

1989年、東京生まれ。埼玉・福岡育ち。いつも外を走り回っていたお転婆娘が、14歳・中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症しました。
抗がん剤、重粒子線、移植などの治療を終えたものの副作用や後遺症のために9年間、入退院の繰り返し。その影響で下半身不随となり、車椅子で生活をしています。「普通の生活」に戻りつつある今、「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に模索を続けています。

朝日新聞 2014年4月 2日

Viewing all articles
Browse latest Browse all 17470

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>