Quantcast
Channel: ゴエモンのつぶやき
Viewing all articles
Browse latest Browse all 17470

障害者と壁つくらないで 義足利用40年以上の宮野さん

$
0
0
 日赤県支部の建物(千葉市中央区)内で運営されている義肢製作所は今月、開所六十周年を迎えた。技術の進歩や当人の努力で、体の不自由さを感じさせない利用者も少なくない。印西市で造園業を営み、製作所との縁が四十年以上に及ぶ宮野吉三郎さん(65)も、その一人だ。十八歳の時、右足をひざ下から失ったが、職業人として仕事に打ち込み、今では東京・浜離宮庭園の手入れも請け負うほどになった。「障害者と健常者の交流は自然体で。壁をつくらないでほしい」と話す。 

 一九六五年、農機具を操作中に重傷を負った。敗血症の恐れがあったため、右足を切断することになった。「泣く以外なかった」。前年、父親を亡くして家業の農業を継いでおり、家族の生活も背負っていた。


 「若かったので回復は早かった」というが、リハビリなどを経て、義足で歩けるようになるまで半年ほどかかった。「退院の翌日から仕事をしました」と振り返る。


 「農業よりは体の負担が少ない」と八九年、造園会社を設立する。仕事は独学で覚えた。せん定作業で木登りもごく普通にこなしてしまう。「東京・霞が関の並木の手入れをよくしました」と笑う。


 義肢は使っているうちに、むくみなど体の変化で痛みを覚えることがあり、ケアが欠かせない。「製作者と意思疎通をしなければ、ピタッと合わない。作り手の誠意があるからこそ、私は使いこなせているんですよ」


 「信頼してもらっていることは非常にうれしい」と製作所の小林恵司所長(54)。「ただ、普通は絶望感などを抱くはずなのに、全くハンディを感じさせないどころか、健常者以上にいろいろなことができる、やろうと意欲を失わないのが宮野さんのすごいところ」と続ける。


 宮野さんは今後、県支部の要請に応じて体験談を子どもたちに語っていく予定だ。「障害の程度にもよるけど、最初から『できない』『かわいそう』と決め付けるのではなく、結果的にできなければ応援するという姿勢で障害者と接することを教えたい」という。


 県支部によると、利用者らの要望に応じて、製作所に来てもらったり、義肢装具士が出向いたりする「出張・訪問相談」は二〇一一年度に三百八十二回。義足・義手など「補装具」の修理件数は百九十一件。新たに作ったのは二百八十二件に上った。


義肢装具士と対話を重ねながら、義足の調節をする宮野さん(右)=千葉市中央区で

東京新聞-2012年11月25日

Viewing all articles
Browse latest Browse all 17470

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>