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Channel: ゴエモンのつぶやき
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障害者が働く「ねば塾」代表取締役、笠原愼一さん /長野

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◇社会参加を助けて35年−−笠原愼一さん(62)=佐久市

 佐久市鳴瀬に1978年、障害者と健常者が共に働く場所「ねば塾」を開設した。最初は障害者2人と土木作業などをしたが、安定的な収入を得て経済的に自立するため、廃油利用の無添加せっけん製造を始める。苦労の末、塾は個人事業から93年に有限会社となった。今では社員44人(うち障害者22人)、商品は150種以上、売上高2億円の規模に成長した。

 工場には大きな機械を導入し、原料は植物油を使うようにもなったが、障害者が各自の個性を生かした手作業を続けている。せっけんは大手メーカーにはない手作り感と「白雪の詩」などのユニークな名前で知られるようになり、大手雑貨店など全国で販売されている。「素人だったので、経験者に製造法を教わるなど多くの人に世話になった」と振り返る。

 佐久市出身。群馬県立藤岡工業高校卒業後に大手電子部品製造会社に入社したが、佐久市の工場勤務中に障害者施設指導員の中学時代の先輩と出会い、障害者と関わり始める。「自分は工場の歯車の一つ」との思いもあり、退職して上田市の知的障害者授産施設設立運動に従事。74年に設立されると生活指導員になった。

 だが、そこで「施設は嫌だ。外で働きたい」という障害者の思いを知る。社会で働いて得た収入で暮らす。そんな当たり前の生活を実現するため、ねば塾を設けた。「ねば」は障害者が社会に「根」を張る「場」という意味。始めてみると、「思っていた以上に彼らには力があった」という。

 ねば塾には現在、事務所や工場のほか、障害者社員の共同生活住居3カ所があり、18人が暮らす。塾は当初から行政の福祉的補助金は受けずに、障害者が給料で預貯金ができるまでになった。

 障害者の社会参加を助けて約35年、「歩んだ道に悔いはない」と語る。6月4日には社会福祉功労者として知事表彰を受けた。今後の課題の一つは障害者の高齢化。「病気を患う人もいる。高齢になっても暮らしていけるように道筋をつけていきたい」

 塾敷地内の自宅で暮らし、妻と次男も塾の運営に携わる。ねば塾とは別に、障害者作業施設の運営をするNPO法人「傘の会」理事長も務める。

毎日新聞 2014年06月30日 地方版

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