車いすの障害者たちがテニスを楽しむ「仙台オープン」が20周年を迎えた。資金難に陥ったこともあったが、関係者の尽力で大会は継続。今年は全国から40人が選手として出場したほか、2日にあった一流選手のレッスンでは障害者も健常者も一緒に汗を流した。
「ナイスショット!」。仙台市泉区の市泉総合運動場。ピンク色のラケットで球を打ち返した子どもに、ネットの向こうから声がかかった。声の主はパラリンピックを2連覇した国枝慎吾選手。20周年を記念した特別レッスンだ。
声をかけられた小学校5年生の石岡由衣さん(10)は「ラリーができるようになった」。国枝選手は「テニスは障害者と健常者が同じコートで打ち合えるのが魅力です」と話した。
仙台オープンは、国際テニス連盟の公認大会として1995年に始まった。公認大会は全国7都市で開かれているが、仙台は東北と北海道では唯一の開催地だ。運営に携わる斎藤久さん(60)は「95年より前も大会は開いていたが、公認大会になったことで選手のレベルが上がった」と振り返る。
10年ほど前には一部のスポンサーが降り、運営資金が減った。スタッフの交通費を自腹で賄ってもらったり、弁当代を節約したりしてしのいだ。
苦境を乗り越えたのに出場者は減っている。95年の大会は約160人が出たが、今大会は40人。運営責任者の加藤和孝さん(49)は「レベルが上がり、余暇として楽しむ人が出場しにくくなったのかも」。
それでも20回すべてに出た人が3人いる。その一人、福島県いわき市の平沢幸治さん(48)は「仲間の大会に来ないわけにはいかない。運営にはきつかった時期もあっただろうが、よく頑張った」と感謝する。
幼い子どもたちが親と一緒に見に来てくれるようにもなったことも公認大会の強みだという。加藤さんは「将来は外国人選手にも参加してもらえるような、もっとレベルの高い大会にしたい。そして車いすテニスという競技を大勢の人に知ってもらいたい」と話す。(
2014年8月3日03時00分 朝日新聞
「ナイスショット!」。仙台市泉区の市泉総合運動場。ピンク色のラケットで球を打ち返した子どもに、ネットの向こうから声がかかった。声の主はパラリンピックを2連覇した国枝慎吾選手。20周年を記念した特別レッスンだ。
声をかけられた小学校5年生の石岡由衣さん(10)は「ラリーができるようになった」。国枝選手は「テニスは障害者と健常者が同じコートで打ち合えるのが魅力です」と話した。
仙台オープンは、国際テニス連盟の公認大会として1995年に始まった。公認大会は全国7都市で開かれているが、仙台は東北と北海道では唯一の開催地だ。運営に携わる斎藤久さん(60)は「95年より前も大会は開いていたが、公認大会になったことで選手のレベルが上がった」と振り返る。
10年ほど前には一部のスポンサーが降り、運営資金が減った。スタッフの交通費を自腹で賄ってもらったり、弁当代を節約したりしてしのいだ。
苦境を乗り越えたのに出場者は減っている。95年の大会は約160人が出たが、今大会は40人。運営責任者の加藤和孝さん(49)は「レベルが上がり、余暇として楽しむ人が出場しにくくなったのかも」。
それでも20回すべてに出た人が3人いる。その一人、福島県いわき市の平沢幸治さん(48)は「仲間の大会に来ないわけにはいかない。運営にはきつかった時期もあっただろうが、よく頑張った」と感謝する。
幼い子どもたちが親と一緒に見に来てくれるようにもなったことも公認大会の強みだという。加藤さんは「将来は外国人選手にも参加してもらえるような、もっとレベルの高い大会にしたい。そして車いすテニスという競技を大勢の人に知ってもらいたい」と話す。(
2014年8月3日03時00分 朝日新聞