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Channel: ゴエモンのつぶやき
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ブラインドテニス:音頼り、ラリー海越え 誕生から30年

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 ◇11月に国際交流会 費用ネットで募る

 日本で生まれた視覚障害者のスポーツ「ブラインドテニス」が今年、誕生から30年を迎えた。「パラリンピックの正式種目に」と夢見た競技の考案者は志半ばで事故に遭って亡くなったが、愛好家は徐々に増えて海外の十数カ国にも普及した。11月には初めて海外選手を招いて国際交流会を開く。

 ブラインドテニスは1984年、埼玉県立盲学校(現・県立特別支援学校塙保己一<はなわ・ほきいち>学園)の生徒だった武井実良(みよし)さんが考案した。バドミントンと同程度の大きさのコートで、音のするボールを3バウンド以内に相手コートに打ち返す。視覚障害者向けの球技の大半はボールを転がすが、音でボールの位置や伸び具合、高さを読んでラケットを振る。難しい技術が要るが、「空中のボールを打つなんて諦めていたからこそ、ラケットに当たると気持ちがいい」と桂田元太郎・日本ブラインドテニス連盟会長(42)=神戸市=は語る。

 ボールの音が聞こえる静かな環境に練習場所が限られるなど、普及に難しさもある。それでも体験会や口コミでじわじわと広まり、全国約300人がプレーするようになった。

 しかし、2011年、悲劇に見舞われる。競技の“父”である武井さんが駅のホームから転落し、電車にはねられ42歳で生涯を閉じたのだ。自身も05年にホームから落ちて電車にひかれ背骨と太ももを折った桂田さんは、「あんな恐怖を味わうのは私が最後でいいと思っていたのに、誰も考えつかなかった文化を生んだ人が命を落とした」と嘆く。

 武井さんの夢は、ブラインドテニスを全国障害者スポーツ大会やパラリンピックの正式種目にすることだった。介助者の手を借りずにコートを走り回れる競技の魅力は今、韓国や英国などにも広まっている。今年2月には、世界共通ルールを検討する初の国際会議が米国で開かれた。日本連盟は会議で初代会長国(任期1年)に選ばれ、11月1〜3日、埼玉県所沢市の国立障害者リハビリセンターで国際交流会を開く。

 連盟は国際交流会の開催費を、インターネットで不特定多数から寄付を募る「クラウドファンディング」で集めている。1口500円から専用ウェブサイト(http://camp-fire.jp/projects/view/1167)で、10月20日まで。

 

サーブの練習をするブラインドテニスの愛好家たち=神戸市西区で2014年9月13日

毎日新聞 2014年09月18日 14時29分


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