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障害者雇用率制度が改正され

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 障害者雇用率制度が改正され、法定雇用率は2.2%となった。昨年4月からは雇用義務の対象に精神障害者が加わった。精神障害者の中に発達障害者も含まれる。 いったい企業はどう障害者を活用していけばいいのか。障害者個人はどうすれば企業で活躍できるようになるのか。この連載では障害者雇用に取り組む企業と、そこで働く人々の知られざる実態をレポートしていく。  今回、東京や神奈川の関東圏を中心に展開している「まいばすけっと株式会社」の障害者枠での就労者に話を聞いた。

 「まいばすけっと」は、イオングループが展開する都市型の小規模スーパーマーケットだ。2018年に東京都と神奈川県で700店を突破し、今後は2000店を目指しているという。
 実は障害者雇用に力を入れ始めたのは2015年から。2017年9月から働き始めた大谷実さん(仮名・27歳)は、品物を店内に陳列する「キャラバン隊」チームで働いている。チームは全員が障害者で、発達障害3名、知的障害1名、統合失調症1名、強迫性障害1名、不安障害1名の計7名で構成されている。

 「7年前、20歳のときに発達障害だとわかり障害者手帳をもらいました。それまでは躁になったり鬱になったり、気分の波が激しかったですね。思い起こせば中学のときからいろいろな病院に行っていました。中学校のとき、自分のことがどうしてもわからないというか、説明ができないことがあって悩んでいました。感情を上手にコントロールできなくて喧嘩になったりして、ますます状況が悪くなってしまったりしましたね」
■人間関係で無理をした結果、大学を中退

 中高一貫の進学校に進み、都内の私立大学に進学するが、大学1年のときに勉学と人間関係に苦しんで不適応を起こし、学校に通えなくなって中退してしまう。精神科を受診した結果、発達障害と診断された。
 「その当時、1人でいることがすごく怖かったんです。自分が障害者だったらみんなが離れていくんじゃないかっていう恐怖心もありました。だから大学では友達といるようにしたのですが、グループの友達が、『1人になっている子って、すごくかわいそうで浮いてる感じがする』とか陰口を言ってたんです。

 自分が言われたらどうしようという恐怖感で、そのグループ以外に対しても、必死に1人じゃないところを見せて、その輪に入るようにしていたんですけれども、だんだんと他人の顔色ばかりうかがっていることに疲れてしまって、そのうち大学の門のところで倒れてしまい、中に入れなくなったんです」
 医師の診断は、注意欠如多動性障害(ADHD)に自閉症スペクトラム(ASD)を併せ持っているとのことだった。
 発達障害はいくつか種類があるが、大きくは「自閉症スペクトラム障害(ASD)」「注意欠陥多動性障害(ADHD)」「学習障害(LD)」の3つに分類される。どの種類の発達障害なのかを見分けるために、さまざまな診断基準や指標が設けられている。とはいえ、その現れ方は人によって違っており、単独の障害として現れる場合もあれば、彼のように複数の障害を併存している場合もあるのだ。

 ADHDは、「不注意」「衝動性」「多動性」などの特性があり、「落ち着きがない」「よく考えずに行動する」「物をよくなくす」「忘れ物が多い」など、行動面に特徴がある。ASDの主な特性としては、「コミュニケーションの障害」「社会的なやり取りの障害」「こだわり行動」の3つがある。具体的には「社会的な人間関係を築くのが難しい」「他人とのコミュニケーションがとりにくい」「活動や興味の範囲が狭くこだわりが強い」などが挙げられる。

 結局、彼は大学中退後、障害者の支援施設を経て、いくつかの会社での実習を経験して「まいばすけっと」へ入社することができた。これらの特性を併せ持っていた場合、雇用を続けるのは非常に難しいという判断を下す企業もある中、彼はどのようなモチベーションで仕事をしているのだろうか。
 「最初に実習に行ったある会社で、最後の日に教育の担当者から『あなたにはお金なんか払いたくない』って言われたんです。他の人にも結構厳しいことを言う人だったんですけども、すごくショックだったですね。これまで生きてきたことはいったい何だったんだろうと考えました。その後も他の企業の実習も回ったんですが、自分はこれから本当にきちっと働いていけるのかと考えました。そこで僕は相手から来てくれてよかったと思ってくれる人になりたいと。そういう意識が大きくなったんです」

厳しい言葉に負けず、逆に糧にした大谷さん
 障害者雇用の場合、支援制度・助成措置として「職場実習」がある。彼の場合、最初の職場実習で厳しいことを言われ、また、言われたことを必要以上に強く受け取りやすいという特性もあるため、かなり深くヘこんでしまったという。しかし、その経験が糧となり、働く意欲が膨らんでいったようだ。
 「最初の頃は厳しいことも言われたため、きちっとしようと思って、自分の中ではだいぶ無理していたところもありました。その後、『まいばすけっと』の実習に行ったときに、まるで天国のように感じて、息をするのも楽だと感じましたね。働くことがうれしくて仕方ないっていう感じでした」

 周囲と協調しながら社会に貢献しているという実感が、何より自信になったという。今では家にいるよりも仕事をしていた方が楽に感じるという。働き始めたときは、週5日で1日6時間労働だったのが、今では週5日で8時間労働に増えている。
 しかし、発達障害ならではの苦悩も見え隠れする。仕事中に他の障害の同僚にイライラするときも多かったという。
 「僕が所属している陳列チームのキャラバン隊は、障害者雇用で入ってきた人たちなので、僕よりもすごく重い人とかもいます。仕事に対する取り組み方が自分と違うと、あの人はなんでああなんだろうと、それが不満として募ってしまったことがあります」

 チームなので連帯責任を意識するのは当たり前だが、ASDの特徴として、自分が納得したルールは、誰であっても守ることを要求するという特性が出ている。
 「例えば極端に作業する速度が遅かったり、力仕事が難しかったり、トイレや休憩のタイミングがわからない人がいると、イライラが募ります。僕たちは自分の作業が終わったら、他の人を手伝うのも仕事のひとつなのですが、できない人もいます。それでまたイライラが加わって、悩みの種になってしまうんです」

 大谷さんはある日、仕事を覚えるのが難しい同僚についに怒鳴ってしまったという。頭ではわかっているが、怒鳴ってしまった後で後悔し、その後相手に謝罪したという。ADHDの特性でもある衝動性が出てしまったのだが、この同僚は他の障害の特性で、何度も同じ確認行為を繰り返してしまうというのだ。
 「その後、許してはくれたんですが、リーダーに僕のことを怖いですよねって言われてしまって。怒鳴ってしまったことが大きな原因だったんだってわかったんです。仕事を続けていくうちに、自分にとってのハードルは、仕事よりも人間関係の方が大きなウェイトを占めているなと思いました」

 発達障害の人にとっては、仕事を覚えるだけで大変なことなのだが、チームでの作業となると、人間関係の構築という、未知の領域にも足を踏み入れなければならないのだ。
■自分の長所と短所を把握し、周知してもらう
 そこで経験からこれから就職しようと思っている発達障害の人たちへのアドバイスを訊いてみた。
 「まず自分の長所と短所を理解することが大切だと思います。長所をどの仕事に活かせるかを意識する。もしくは短所があるんだったら、その短所に対してどのような対策を自分でとっているか、事前に具体的に意識しておくと、その後で違ってくると思います。

 同時に職場はみんな初対面の人だから、前もって会社に伝えておかないと、周りの人たちは感じ取れずに、言ってくれないとわからない、ってなります。そのうえでいちばん自分に合った仕事を探してほしいと思います」
 発達障害を持っている人の特性の現れ方はそれぞれだ。個々の能力、親の育て方、周囲の理解や対応の仕方など、環境要因によっても大きく異なってくる。それらの相互作用によって生じる問題や解決方法については、正式な対応マニュアルがないのが実情で、個々の企業が取り組んでいかなければならない。同じ障害を抱えていても皆が同一ではないのだ。

 人間関係をうまく築けるかどうかは、企業側が発達障害の特性について、どれくらい数多くの症例を理解しているかによるところが大きいのである。

4/17(水)     東洋経済オンライン


日本視覚障害者柔道連盟とオフィシャルトップパートナー契約を締結

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 大和ハウスグループ株式会社フジタ(本社:東京都渋谷区 社長:奥村洋治)は、特定非営利活動法人日本視覚障害者柔道連盟(※1)(事務局所在地:東京都文京区 会長:竹下義樹、以下JBJF)との間で、「オフィシャルトップパートナー」の契約を締結しました。  当社は、「お客様と共に新たな価値を創り、活かし、高め、人が心豊かに生きる社会の実現を目指す」というグループ経営ビジョンのもと、総合建設業として建築、インフラ、まちづくりを手がけてまいりました
   JBJFが目指す「障がい者スポーツが今以上に広がっていき、関わる全ての人々を取り巻く環境をより向上させ、誰もが住みやすい社会づくりに繋げていくこと」は、グループ経営ビジョンにある「心豊かに生きる社会の実現を目指す」と合致するものであり、このたびその趣旨に賛同しJBJFとオフィシャルトップパートナー契約を締結するに至りました。
   フジタは、JBJFとともに、障がい者の柔道競技のさらなる普及と発展を応援してまいります。
※1 特定非営利活動法人日本視覚障害者柔道連盟について  視覚障がい者に対して、柔道の普及発展を促進する事業を行い、視覚障がい者の社会参加と自立を図り、もって視覚障がい者の人間形成に資することを目的として設立されました。   (URL: http://judob.or.jp/

2019/04/16     PR TIMES

障害者ドラマに託されたメッセージが聞こえる――ドラマ『パーフェクトワールド』

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 テレビなどのメディアで身体障害者を取り上げる場合、かなりデリケートな問題が起こりがちだ。

 2016年に放送された、『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)で、障害者のチャレンジ企画が実施された際、裏番組の『バリバラ~障害者情報バラエティー~』(NHK Eテレ)が、「障害者の取り上げ方が“感動ポルノ”になっているのではないか」という内容の放送をし、物議を醸したこともある。

 一方で、障害を持った人を描いたドラマは、これまでも数多くあり、ヒット作も多い。

 豊川悦司が聴覚障害のある画家を演じ話題となった、1995年の『愛していると言ってくれ』(TBS系)、同じく聴覚障害者をテーマにし、シリーズ化もされた酒井法子主演の『星の金貨』(日本テレビ系)、和久井映見が知的障害のある女性を演じた『ピュア』(フジテレビ系)など、いずれも、障害を持って生きることの難しさや葛藤などを描き、多くの視聴者の共感を得た。

 4月16日に第1話が放送された、『パーフェクトワールド』(フジテレビ系)も、その系譜の上にあるといっていいだろう。

 インテリア会社に勤める川奈つぐみ(山本美月)は、ある日、仕事の飲み会の席で、高校の同級生で初恋の相手でもある鮎川樹(松坂桃李)と再会する。

 高校卒業以来、11年ぶりの再会を喜び、昔の思い出話を口にするつぐみだったが、そこで樹が大学時代に事故に遭い、現在は車椅子での生活を送っていることを知らされる。

 つぐみの心には複雑な思いがうず巻く。懐かしさ、恋愛感情、そして「かわいそう」という気持ち。

 障害を持った人を見た時、安易な同情をするのは、相手に失礼なのではないかという思いが浮かんでくる。実際、「同情なんてしてほしくない」という人も多いだろう。ただ、湧き上がってくる感情をコントロールするのは簡単ではない。つぐみはそんな中で、どんな思いで樹と相対したらよいのか、迷っていたのだと思う。

 翌日、つぐみは樹に会いに行き、二人で街を見下ろせる高台に行く。そこで、学生時代の思い出話に花を咲かせ、一緒に美術展を観に行く約束をする。

 二人で出かけた美術展だったが、会場にはエレベーターが無く、展示室となっている2階に上がることができなかった。納得のいかないつぐみは、担当者に苦情を言う。しかし、樹は慣れた様子であきらめるのだった。

 足が不自由な人でも、一人で暮らしていけること、手だけを使って車を運転できること、排泄障害があること、死にたくなるほどの苦悩など、見ている人に、障害を持った人がどんなことで困り、生活をしているかを知ってもらう意味でも有意義な作品だと思う。どんなにバリアフリーの社会になっても、当事者でなければ気づかないことは、案外多いものだ。

 そんな時、東京で高校時代の同窓会が開かれる。一緒に行くことになったつぐみに、樹はあるお願いをする。それは、「恋人のふりをしてほしい」ということ。実は、樹には、高校時代から付き合っていた雪村美姫(水沢エレナ)という恋人がいた。しかし、樹が事故に遭った後、別れていたのだ。

 美姫を安心して結婚させるため、自分が幸せだということを見せたくて、つぐみに恋人のふりを頼んだ樹。その気持ちは、美姫に伝わったのだろうか?

 偶然トイレで遭遇したつぐみに、美姫は言う。「樹はパーフェクトだった。全てにおいて完璧な人だった」。

 ここで、タイトルにもなっている「パーフェクト」という言葉が出てくる。

 パーフェクトな人間、パーフェクトな世界。一体それはどんなものなのだろう。全てが思い通りになり、欠けたものや、悲しいことが何もない状態。そんなことを思いがちだ。でも、それはなんだか違う気がする。何かが欠けていても、悲しくても、それを受け入れ、優しさをもって生きていける世界。もしかしたら、それで十分「パーフェクト」と呼べるのではないだろうか。

 つぐみとともに美姫の結婚式を見に行った樹は、そこで過去を振り切り、前へと進む力を得るのだった。

 仕事にも熱心に取り組み、任されたコンペに向け、追い込みをかける中、樹は褥瘡により高熱を出して病院に運ばれてしまう。入院先のベッドでも仕事をしようとする樹を見かね、つぐみは作画を手伝うことになる。そのおかげもあって、コンペに通過し、二人は喜び合う。

 そこに、樹のヘルパーである長沢葵(中村ゆり)が入ってくる――。

 この作品は、昨年、杉咲花と岩田剛典の主演で映画化もされている。こちらは、設定された年齢が若いこともあり、ドラマよりも恋愛要素が強いものとなっていた。ただ、映画の内容の半分以上が、今回の第1話で描かれているため、ドラマの方は、より丁寧にこれからの展開を追っていくことができるだろう。

 公式ホームページには、「いつかこのドラマが、ただのありふれたラブストーリーになりますように」とある。車椅子を使っている、という障害が、生きていく上でのマイナスになるのではなく、社会に受け入れられるように、というメッセージだ。

 確かに、障害のことを除けば、ありふれた恋愛ドラマだ。松坂桃李と山本美月、美男美女のカップルが、困難を乗り越えて心を通じあわせていく。普通だったら、“遠距離”とか“すれ違い”とか“ライバルの妨害”などの形で描かれる困難が、“障害”というものに変わっているだけだ。

 この作品に限らず、障害者を描いたドラマが支持されるのは、決して「かわいそう」といって同情しているだけではないだろう。足が動かない、目が見えない、耳が聞こえない。でも、人が抱えてる“痛み”というのはそれだけではない。

 人とうまく接することができない、自分の能力や容姿にコンプレックスがある、貧困によって生活が苦しい。そんな多くの人が抱えている問題全てが、幸せに生きようとするための“障害”なのだ。障害に向き合い、乗り越えなければならないのは、体が不自由な人ばかりではない。そんな、作り手のメッセージが伝わってくるような話だった。

 今回ラストに登場した、ヘルパーの長沢に加え、つぐみに思いを寄せる元同級生・是枝(瀬戸康史)、同居する妹のしおり(岡崎紗絵)、そして故郷に住む父親(松重豊)などの感情が、次回以降、複雑に交錯していきそうだ。

 もちろん、恋愛ドラマとして普通に楽しめるものだと思うが、一歩踏み込んで、障害というものを知るための作品として見てみてはどうだろうか。

きっとそこには、新しい発見があり、人に寄り添う気持ちを持つことができるようになる気がする。

2019/04/17         日刊サイゾー

私は「誇りある障がい者」 遠回りして、そう思えるようになるまでのこと

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障がい者も健常者も同じ土台でいられる世界になる未来を望んでいる。

私が10歳か11歳だった頃、家族で記念写真を撮った時のこと。

私の首には呼吸を補助するための小型の白い装置、「気管カニューレ(気管切開チューブ。ここでは省略してチューブと呼ぶ)」を着けているんだけど、撮影が終わった時にフォト・エディターが、そこにぼかしを入れたほうがいいと提案してきた。

私は思わず「そんなの、ありえない!」と、少し声を荒げて彼に言った。

その時、私はまだ子供だったが、どこか屈辱的な気持ちと反抗心が入り混じった怒りを感じたことを覚えている。私は今までチューブを隠す必要などまったく無いと思っていたから。でも、フォト・エディターの提案は、私の思考に疑問を投げかけた。

    

私が10歳か11歳だった頃、家族で記念写真を撮った時のこと。

私の首には呼吸を補助するための小型の白い装置、「気管カニューレ(気管切開チューブ。ここでは省略してチューブと呼ぶ)」を着けているんだけど、撮影が終わった時にフォト・エディターが、そこにぼかしを入れたほうがいいと提案してきた。

私は思わず「そんなの、ありえない!」と、少し声を荒げて彼に言った。

その時、私はまだ子供だったが、どこか屈辱的な気持ちと反抗心が入り混じった怒りを感じたことを覚えている。私は今までチューブを隠す必要などまったく無いと思っていたから。でも、フォト・エディターの提案は、私の思考に疑問を投げかけた。

    「私は障がいを気にするべき?チューブをぼやかした方がいいかな?」

私は生まれた時から声帯麻痺により呼吸補助としてチューブを首に装着していた。

成長するにつれて、健常者の大人達はよく私に「首にカラフルなスカーフを巻いて見えないようにしたほうがいい」と言った。「そうすれば、チューブしてるなんて分からないよ」と、それがあたかも良いことかのように話した。まるで障がいは恥じるべきかのように...。

子供の頃は、今のように自分の障害に対するしがらみなど全く考えたことがなかった。それが私の生き方だったから。私は「自分の呼吸の音がうるさいことに恐縮せず、自信を持って生きていいんだ」と気付くまで、かなり時間がかかった。

現在、私は26歳。そして今、誇りを持って自分のことを障がい者だと言える。この障がいがあってこその私だと思えるからだ。

私は今、障がいを持ったジャーナリストとしての自分のストーリーを共有するため、そして他の記者たちに障がいをどう取り上げれば良いかを教えるため、世界中を旅している。

私が未だに覚えているのは、ジャーナリストを志す大学生たちに初めて講義を行った時のこと。私は自らの立場を利用して、障がい者を勇気付け、彼らが自分らしくいられて、自らの話を共有できる安全な空間を築くことができる、と気づいたのだ。

残念なことに、障がいについては今でも「克服するべきもの」とネガティブに捉えられているのが現状だ。依然として、私たち障がい者には「不足している部分を補わなければならない」というストーリーの前提がある。

でも、これが私たちの生き方であり、姿なのだ。

もし違うと言うならば、それは...特に治療法がない障がいをもっている人にとっては、私たちの価値はどれだけ健康かにかかっているということを示唆することになる。

現実は、この世は障がいを持った人々のために作られた世界ではない。アメリカの人口のおよそ4分の1が障がいを持っており、何千という異なる障がいや病気、そして精神疾患にわたる多様なコミュニティと歴史があるにも関わらず、だ。そのうえ、私たちはメディアやエンターテイメント、政治や労働力で、かなり過小評価されている。

しかも、障がい者差別は私たちの歴史や権利の消去にとどまらない。それは健常者の思考に深く植え付けられている。

具体的に例を挙げると、感動ポルノ(障がい者を感動ストーリーに仕立てること)はニュースなどで頻繁に取り上げらている。障がい者向け特殊教育プログラムは、常に打ち切りの危機にさらされている。そして私にとっては特に、障がい者向けの医療保険や宿泊施設を得るのに一苦労する。それは私が持っている障がい自体よりもややこしい。

健常者は障がい者に対して自分達に感謝すべきだと言うが、障がい者対応がなされている公共機関や社会への参画などは彼らからの贈り物や恩恵ではない。これらは基本的な人権だ。障がいはあらゆるストーリー、方針、会話や社会の一部でなければならない...なぜなら、私たちは既にそこに存在しているのだから。

だからこそ私は、このようなことを講義で伝えたり、障がいに関するトレーニングを主催したりするたびに、自分自身を「誇りある障がい者」と呼ぶようにしている。その理由は、私が若い頃には「誇り」と「障がい」の2文字を同じ文章の中で見たことが無かったから。「障がいを持つ誇り」などが存在することさえ知らなかったから。

そして多くの人にとって私の講義は、初めて障がいについて率直に、オープンに、そして悪びれず語られた話だったと思う。

私は障がい者コミュニティで出会った人たち...教育者、歴史家、作家、弁護士や活動家といった様々な人たちから、いつも感銘をうけている。それは私たちが、障がい者も健常者も同じ土台でいられる世界に対する、同じ情熱や緊迫感を持っているから。

私は今「誇りある障がい者」と名乗っているが、そのような呼び方が特別なことではない世界に住めることを望んでいる。私たちは、障がい者の描写や権利の問題ではなく、障がいが称賛されるような、包括的で公正な社会づくりに進む時だ。それは「今」だ。

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。

「私は障がいを気にするべき?チューブをぼやかした方がいいかな?」

私は生まれた時から声帯麻痺により呼吸補助としてチューブを首に装着していた。

成長するにつれて、健常者の大人達はよく私に「首にカラフルなスカーフを巻いて見えないようにしたほうがいい」と言った。「そうすれば、チューブしてるなんて分からないよ」と、それがあたかも良いことかのように話した。まるで障がいは恥じるべきかのように...。

子供の頃は、今のように自分の障害に対するしがらみなど全く考えたことがなかった。それが私の生き方だったから。私は「自分の呼吸の音がうるさいことに恐縮せず、自信を持って生きていいんだ」と気付くまで、かなり時間がかかった。

現在、私は26歳。そして今、誇りを持って自分のことを障がい者だと言える。この障がいがあってこその私だと思えるからだ。

私は今、障がいを持ったジャーナリストとしての自分のストーリーを共有するため、そして他の記者たちに障がいをどう取り上げれば良いかを教えるため、世界中を旅している。

私が未だに覚えているのは、ジャーナリストを志す大学生たちに初めて講義を行った時のこと。私は自らの立場を利用して、障がい者を勇気付け、彼らが自分らしくいられて、自らの話を共有できる安全な空間を築くことができる、と気づいたのだ。

残念なことに、障がいについては今でも「克服するべきもの」とネガティブに捉えられているのが現状だ。依然として、私たち障がい者には「不足している部分を補わなければならない」というストーリーの前提がある。

でも、これが私たちの生き方であり、姿なのだ。

もし違うと言うならば、それは...特に治療法がない障がいをもっている人にとっては、私たちの価値はどれだけ健康かにかかっているということを示唆することになる。

現実は、この世は障がいを持った人々のために作られた世界ではない。アメリカの人口のおよそ4分の1が障がいを持っており、何千という異なる障がいや病気、そして精神疾患にわたる多様なコミュニティと歴史があるにも関わらず、だ。そのうえ、私たちはメディアやエンターテイメント、政治や労働力で、かなり過小評価されている。

しかも、障がい者差別は私たちの歴史や権利の消去にとどまらない。それは健常者の思考に深く植え付けられている。

具体的に例を挙げると、感動ポルノ(障がい者を感動ストーリーに仕立てること)はニュースなどで頻繁に取り上げらている。障がい者向け特殊教育プログラムは、常に打ち切りの危機にさらされている。そして私にとっては特に、障がい者向けの医療保険や宿泊施設を得るのに一苦労する。それは私が持っている障がい自体よりもややこしい。

健常者は障がい者に対して自分達に感謝すべきだと言うが、障がい者対応がなされている公共機関や社会への参画などは彼らからの贈り物や恩恵ではない。これらは基本的な人権だ。障がいはあらゆるストーリー、方針、会話や社会の一部でなければならない...なぜなら、私たちは既にそこに存在しているのだから。

だからこそ私は、このようなことを講義で伝えたり、障がいに関するトレーニングを主催したりするたびに、自分自身を「誇りある障がい者」と呼ぶようにしている。その理由は、私が若い頃には「誇り」と「障がい」の2文字を同じ文章の中で見たことが無かったから。「障がいを持つ誇り」などが存在することさえ知らなかったから。

そして多くの人にとって私の講義は、初めて障がいについて率直に、オープンに、そして悪びれず語られた話だったと思う。

私は障がい者コミュニティで出会った人たち...教育者、歴史家、作家、弁護士や活動家といった様々な人たちから、いつも感銘をうけている。それは私たちが、障がい者も健常者も同じ土台でいられる世界に対する、同じ情熱や緊迫感を持っているから。

私は今「誇りある障がい者」と名乗っているが、そのような呼び方が特別なことではない世界に住めることを望んでいる。私たちは、障がい者の描写や権利の問題ではなく、障がいが称賛されるような、包括的で公正な社会づくりに進む時だ。それは「今」だ。

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。

3人のわが家再び 益城町の小嶺さん 区画整理解体覚悟の再建 「か・え・り・た・い」娘のため

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 熊本地震で被災し離れ離れになっていた一家が、再建した自宅に戻り、一緒に3年の節目を迎えた。熊本県益城町、小嶺隆さん(69)の3人家族。2度の震度7で自宅は全壊。夫婦は仮設住宅に住み、障害がある次女は福祉施設で暮らした。念願のわが家は、県が2028年3月の完了を目指す28・3ヘクタールの土地区画整理事業の区域内。「復興は遠いなぁ」

 同町でラジコン模型店を営む。次女の典子さん(40)は、高校生の頃に外傷性くも膜下出血で右半身がまひした。1997年に新築した2階建ての自宅兼店舗はバリアフリー化し、エレベーターも付けた。何とか暮らしていけるようにと。

 3年前、そんな生活は奪われた。4月14日夜の前震。一家は自宅で被災し、車いすの典子さんはドアの下敷きになっていた。発語が難しい娘に「大丈夫か」と声を掛けると「おー」と返事があった。すぐに助け、外に逃げた。16日未明の本震後は避難所暮らしに。夫婦で典子さんを介助したが、限界があった。

 翌5月、同県山鹿市の障害者福祉施設のスタッフから声を掛けられ、典子さんは施設へ。夫婦は8月中旬に木山仮設団地に移った。娘に会いに行けるのは月2回ほど。顔を見せると笑顔になり、帰りは寂しげだった。「か・え・り・た・い」と漏らし、以前より痩せた娘。「早く連れて帰らんと」。思いは募った。

 自宅再建のため、店にあったプラモデルやドローンなど無事だった商品をインターネットで売ってもらい、お金に換えた。10年前に始めたスクールバスの運転手も続けた。17年1月には、仮設の「いくばい益城笑店街」に店も出した。

 自宅敷地は同町木山地区。土地区画整理の事業区域に入るのは分かっていた。解体せざるを得ないかもしれない。「もっと待てば良いのに」とも言われたが、いつまで? 住民合意が得られ、住宅再建が可能になるのは最短でも来年6月から。少しでも早く、娘を安心させたかった。

 昨年8月末、自宅が完成し、9月に典子さんが帰ってきた。車いすで移動ができる広い廊下、手すりも付けた。平屋になり以前より狭くなったが「家族3人で住めて幸せ」と笑う。再建に後悔はない。

 コーヒーを飲み、おしゃべりをする。やっと戻った何げない日常。でも5年後、10年後は? 安住の家は、まだ遠い。

3人のわが家再び 益城町の小嶺さん 区画整理解体覚悟の再建 「か・え・り・た・い」娘のため

自宅の庭に作った花壇にはチューリップが咲いた。リハビリを兼ねて外に出る(左から)小嶺さんと典子さん、妻のひろ子さん

 身体障害者福祉法は1949年(昭和24年)にできた法律で、視覚障害者の認定はこれによって行なわれます。今日まで何度か改正は行われましたが、視力と視野によってしか視覚障害が認定されないという基本は変わっていません。

 一見、合理的なように見えますが、救済されるべき人が救済されない現状があることは間違いありません。法律施行から約70年の間に、医学も、社会環境も、人々の考え方も大きく変化しているので、仕方がないといえばその通りです。

 例えば、このコラムでも何度か取り上げた「眼球使用困難症候群」は、視機能自体はよくてもそれを使用するのが困難な場合の総称です。

 医学的事例としては、勝手にまぶたが閉じて自在に開けられない眼瞼(がんけん)痙攣(けいれん)や開瞼(かいけん)失行(しっこう)、高度のまぶしさが常在する羞明(しゅうめい)症候群がまず挙げられます。これらは事実上の視覚障害で、原因は脳の誤作動だと考えられています。また、脳機能を不可逆的に損なう脳炎、変性疾患や脳腫瘍などによる眼球運動の異常も、日常生活で目を使うことを著しく困難にします。

 さらに、視力視野はよくても、字がゆがんだり躍ったりしてしまうために読むことに困難を感じる読字障害(ディスレクシア)などもこの症候群に入れることができます。

2019/04/18          西日本新聞朝刊=

屋内農園型障がい者雇用支援サービス「IBUKI」6月3日(月)

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ダイバーシティ&インクルージョン~新しい障がい者の働き方~

障がい者雇用支援コンサルティングを行う株式会社スタートライン(本社:東京都三鷹市、代表取締役:西村賢治)は、屋内農園型障がい者雇用支援サービス 「IBUKI(読み:イブキ)」について、 2019年6月3日(月)に、神奈川県海老名市に第6FARM をOPENいたします。                        

  障がい者雇用については2018年4月の法定雇用率2.2%への引き上げにより、企業の対策が急務となっている中、特に「障がい者にどのような業務を任せるか(職域開拓)」という声を、当社が障がい者雇用支援コンサルティングを行う中でも非常に多く頂いており、障がい者雇用が難しいとされるひとつの要因となっております。
上記のような企業の課題に対して、農業を活用した障がい者雇用が新たな雇用手段の1つとして注目されており、当社では、障がい者がより長く安心して働くことができるサポート付きの就業環境を備えた、屋内農園型の障がい者雇用支援サービス「IBUKI」を2017年8月に開始いたしました。   屋内農園型障がい者雇用支援サービス「IBUKI」の概要 当社が運営するIBUKIは天候の影響を受けない安全な屋内農園で、導入企業が主に知的障がい者や精神・発達障がい者を雇用し、約50種類のハーブ、葉物野菜、エディブルフラワーの栽培が業務となっている障がい者雇用支援サービスです。栽培した作物は、自社の福利厚生として社員へ配るほか、ハーブティー等に加工され、企業のノベルティなどのブランディングツールとしても活用されています。 (サービスの詳細はこちら:https://start-line.jp/business/ibuki
農作業は土や植物に触れることで精神の安定にもつながり、それぞれの障がい特性に合った仕事ができるという点で、障がい者に適している仕事のひとつと考えられています。IBUKIでは主に、障がい特性上作業系の業務にて能力を発揮することができる知的障がい者や精神・発達障がい者が勤務されています。本サービスは、当社にて屋内農園(就業環境)と、障がい者へのサポート体制をセットで提供しており、企業にとっても障がい者雇用を促進しやすいサービスとなっております。

働く様子イメージ

働く様子イメージ

成果物イメージ

成果物イメージ

第6FARM 概要 名称:IBUKI EBINA FARM 所在地:〒243-0424 神奈川県海老名市社家924番地

IBUKI外観イメージ

IBUKI外観イメージ

2017年8月のサービス開始から、これまで計5拠点を開設し、今回の第6FARMについても既に企業様からのご予約を頂きおかげさまですべて満室となっております。また、引き続きご予約もいただいているため、2019年7月を目途に第7FARMの開設準備もスタートいたしました。 IBUKIに込めた想い 「息吹」には、冬が終わり植物や生き物が一斉に息吹を吹き返し、活動的になり始める様を表しています。また、「育つ」「活気がある」「希望を与える」「元気づける」「明るくする」「刺激を与える」等のイメージもあり、働く障がい者に「働く喜び」を感じていただきたいとの想いを込めています。

障がい者雇用支援コンサルタント

障がい者雇用支援コンサルタント

当社はこれからも「関わるすべての人に働く喜びを」を企業理念とし、より多くの障がい者が輝ける仕事の選択肢を広げ、日本の障がい者雇用の発展に寄与してまいります。 株式会社スタートラインについて URL   https://start-line.jp/
「関わるすべての人に働く喜びを」の企業理念のもと、2009年創業以来、障がい者の就労、雇用の領域において、「採用」と「雇用後の定着」に重きを置き、サテライトオフィスサービスを運営。2016年2月に障がい者向け就職サイト「MyMylink」、2017年8月に屋内農園型障がい者雇用支援サービス「IBUKI」、2018年10月に「インクルMARUNOUCHI」、同年11月に「企業向けカスタマイズ研修」など、障がい者採用・雇用支援の領域でのサービスメニューを拡充しております。
■会社概要 【商号】株式会社スタートライン 【創業】2009年12月 【所在地】東京都三鷹市上連雀1-12-17 三鷹ビジネスパーク1号館3F    

医療的ケア児を支援

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県がコーディネ-ター養成

  鼻から胃に入れたチューブで栄養をとるなどの医療的ケアを日常的に必要とする「医療的ケア児」への包括的な支援のため、和歌山県は関係機関の調整を行う「コーディネーター」の養成に乗り出した。医療的ケア児は県内に推計で約100人いるとされる。県は2018年度からコーディネーター養成研修を始め、20年度までに県内で8人の配置を目指す。

 来年度までに8人

  医療的ケア児は、難病などのために医療行為などのケアを受けながら生活する子どもたち。支援に関わる機関が病院や学校、福祉施設など広範囲に及び、包括的な支援が必要とされる。

 厚生労働省の研究班による調査によると、0~19歳の医療的ケア児は全国で約1万7千人(16年)、県内では108人(同)と推計される。16年の児童福祉法改正で、医療的ケア児が明記され、支援が自治体の努力義務になった。しかし、看護師らの配置のための費用面などから保育所や学校の受け入れが難しいといった課題もある。

 

  県によると、コーディネーターは医療的ケア児についての知識を持ち、経験を積んだ保健師や看護師らを想定。本人や家族から、ケアや経済面などのニーズを聞き取り、多職種にまたがる専門機関の情報共有の中心的な立場になったり、サービス利用の計画策定などに関わったりする。

 

  県は、昨年12月から今年2月にかけてコーディネーターの養成研修を初めて実施。研修最終日の2月3日には東部コミュニティセンター(和歌山市寺内)で医療的ケア児の支援に関わる相談支援専門員や看護師ら約60人が参加した。研修では、事例から必要な支援計画をグループで討論する演習などが行われた。参加した保健師、田中七生さん(53)=高野町=は「専門職同士のネットワークを作ることが、支援では重要だと感じた」と話した。

 

 県は20年までに和歌山市や西牟婁圏域など県内8圏域に1人ずつ、コーディネーターを配置する計画のほか、関係機関の連携を図るため圏域ごとに協議の場を設置する予定。県の担当者は「医療的ケア児の存在を知ってもらうとともに、実態把握を進め、県内で支援の土壌をつくっていきたい」と話す。

 

やっとここまで うれしい

 受け入れ事業者も増やして

 

◇全国重症心身障害児(者)を守る会県支部長 高垣千恵さん

 全国重症心身障害児(者)を守る会県支部の支部長で、障害者の訪問介護などの事業所を運営する高垣千恵さん(60)=有田川町=は、コーディネーター養成の開始について「(支援が)やっとここまで進んだかと思うとうれしい」と思いを語り、長男翔平さん(32)との生活を振り返った。

 

 翔平さんには脳性まひがあり、チューブで胃に水分などを入れる注入、たんやつばの吸引、床ずれしないように体位を変えるケアなどが必要で、かつて自宅で高垣さんが24時間体制でケアにあたった。病院など、どこに出かける時も同行が必要。社会と隔絶されたような生活に煮詰まり、誰に相談して良いのか分からず追い詰められることが多かったという。「コーディネーターのような専門的な知識を持つ人に相談できたら、精神的な負担は減った」と話す。

2019年4月18日     朝日新聞

 

 高垣さんは、翔平さんを4歳から平日昼に通園施設に通わせることができた。「昼に働きに出ることもでき、子どもと良い意味で距離を持つことができ余裕ができた」と振り返る。「コーディネーター養成と同時に、医療的ケア児を受け入れる事業所を増やすことも必要。医療的ケアが当たり前な世の中になってほしい」と高垣さんは願う。 

朝日新聞    2019年4月18日

 

兵庫県20年度の教員採用試験 905人募集、年齢制限撤廃

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 兵庫県教育委員会は、5月から募集を開始する2020年度の教員採用試験について、19年度より50人多い905人を募集すると発表した。募集規模は例年5月に公表していたが、優秀な人材を集めようと1カ月前倒しした。

 学校種別では、小学校=340人▽中学校250人▽高校=170人▽特別支援学校=50人▽養護教諭=40人▽栄養教諭=15人-など。小学校は前年度比10人減とした一方、中学校は30人増、特別支援学校も20人増とした。

 20年度試験では、多様な社会人経験がある人材を集めようと、年齢制限を撤廃する。障害者特別選考では、これまでは身体障害に限定していたが、今回から障害の種別を問わないことにした。

 19年度の教員採用試験では855人を募集。5726人が受験し、853人が合格した。受験倍率は6・7倍だった。

 募集要項は今月22日から配布。願書受け付けは5月7~17日。第1次選考は7月6日に集団面接、同21日に筆記試験がある。

2019/4/17    神戸新聞NEXT


選手の背中押す“パラリンアート” 丸山桂里奈も絵で「なでしこ」にエール

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 今秋はラグビーワールドカップ、来年は東京五輪パラリンピックと、スポーツの国際イベントが日本で続く。多くの人がスポーツの魅力にふれる機会が増える。

【写真】過去の受賞作品(©株式会社共同通信社)。

 そのスポーツの魅力を「SOMPO パラリンアートカップ」(主催・障がい者自立推進機構)の受賞作品は余すところなく伝える。いずれも障害のある当事者が自由な発想から描いた作品。毎回斬新な視点と表現で、審査員を務めるアスリートたちを驚かしている。パラリンピック競技を描いた受賞作品は、本物のパラ競技に負けない躍動感、迫力に満ちている。

 パラリンアートカップは障害者支援を目的に07年に始まり、今年で4回目。新たな視点でスポーツの魅力を発信する催しとして定着し、今年もスポーツテーマに全国の障害者から作品を募り、12月に表彰式を開く。

 東京都内で4月16日開かれた、この催しの開催概要発表の記者会見には、いずれも審査員を務める元サッカー日本代表で日本障がい者サッカー連盟会長の北澤豪さんや元ラグビー日本代表で日本ラグビーフットボール選手会代表理事の畠山健介さん、元バスケットボール日本代表渡邉拓馬さんや、日本プロサッカー選手会の小池純輝副会長東京ヴェルディ)、竹田忠嗣監事(FC岐阜)のスポーツ関係者のほか、漫画家高橋陽一さん、書家・金澤翔子さん、女優・若月佑美さんがそれぞれあいさつし、スポーツ界をアートの側面から盛り上げる作品の応募に期待を寄せた。

 この記者会見に特別ゲストとして登場した元なでしこジャパンの丸山桂里奈さんは、北澤さんとのトークで会場を盛り上げた後、なでしこジャパンの活躍を願って描いた得意の絵を披露。「障害者の方が描いてくれたスポーツの絵は選手の背中を押してくれる」とたくさんの作品応募を呼び掛けた。

 今年のパラリンアートカップは、秋開催のラグビーワールドカップとともに、来年の東京五輪パラリンピックに向け、スポーツ熱だけでなく障害者が活躍できる懐の深い多様な社会への関心を高めてくれるはずだ。

なでしこジャパンの活躍を願って描いた絵を説明する丸山桂里奈さん

2019/04/17     OVO[オーヴォ]

車椅子の女性副大統領来日 アルゼンチンのガブリエラ・ミケティ副大統領

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 「2回目となる世界障害者サミットを6月にブエノスアイレスなどで開催するんです」。南米アルゼンチンのガブリエラ・ミケティ副大統領(53)が誇らしそうに語った。

 1994年に自動車事故で足が不自由になって以来、車椅子で生活する。国会議員などを経て、2015年に副大統領に就任した。

 

毎日新聞 2019年4月18日 東京夕刊

 

「共に生きる」が当たり前に

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やまゆり園事件から3年

 障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件が発生から今年で3年目を迎える。同園は事件が起きた緑区千木良の施設から、2017年4月に横浜市港南区の芹が谷に仮移転。事件直後から「この先どうなってしまうのかと、職員や利用者、ご家族の方全員が不安の中を過ごした」と振り返る。

 事件が起きたのは16年7月26日。同園の元職員による凶行だった。利用者19人の尊い命が奪われ、職員を含む27人が負傷。動機が「優生思想」などの障害者への差別心だったことが、大きな議論を巻き起こした。
 当日、午前3時過ぎに連絡を受け、現場に駆け付けた。「気持ちの整理がつかなかった。あの感情は言葉にできない」。職員たちも続々と集まり、被害を免れた利用者を誘導。自身は警察やマスコミの対応にも追われ、翌日の深夜まで息つく間もなかった。100人以上の利用者は体育館や被害のなかったフロアでの生活を強いられ、環境の変化に戸惑い、現場は混乱。体調を崩し、日常生活ができない人も増えたがどうすることもできず、不安定な日々は仮移転まで9カ月続いた。

入倉かおるさん(61)=芹が谷園舎で津久井やまゆり園園長2009年から同園に勤務し、16年に園長に着任。現在は同園芹が谷園舎にて施設管理、運営などを行う

共存できる社会へ
 芹が谷に仮移転後、環境が再び変わり、落ち着かない利用者も多かったが、徐々に新しい生活に馴染んでいった。だが傷は癒えたわけではなく、「3年経つからといって記憶が薄らぐことはない。夏が近づくにつれ、気持ちが乱れる職員もいる」
 事件後、施設のあり方を含めて批判にさらされた同園。自身も差別解消に向け長きにわたり一歩ずつ取り組んできたにも関わらず、元職員が起こした凶行により園の姿勢すらも否定された。「障害者差別をなくすために社会全体で積み上げてきたものが、あの事件で全部だめになってしまった気がした」。しかし利用者や家族の声に耳を傾けてきた、これまでの歩みが間違っているとは思わない。「差別解消に何も取り組んでいなかったと言われるがそれは違う。『これからも施設で暮らしたい』という方のために尽くし、希望に添う施設運営をしていく」と決意を固めた。
 21年に千木良の施設の建て替えが完了する予定で、その後は芹が谷と両拠点となる。「今後も福祉に携わるものとして障害者が地域に当たり前に生活し、共存できる社会をめざしていきたい」

2019年4月18日    タウンニュース

先端技術で生活豊かに 川崎区で来月 電動車いす世界大会

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 身体障害者が日常生活で直面する課題を、先端技術を使って解消しようとする競技大会「サイバスロン」の電動車いす部門が五月五日、川崎市川崎区の市スポーツ・文化総合センター(カルッツかわさき)で開かれる。国内外の大学やベンチャー企業などのチームが、段差やスラローム(ジグザグ)などの課題に挑む。 (大平樹)

 サイバスロンの公式ホームページによると、大会は二〇一六年にスイスで第一回が開かれ、電動義手や義足など六部門で競った。二〇年にスイスで予定される第二回を前に、一九年は一部門ずつの競技大会を川崎の他に、ドイツやオーストリアで行う。川崎大会は、サイバスロンを提唱したスイス連邦工科大チューリヒ校や川崎市、川崎商工会議所などでつくる実行委員会が主催。

 市の担当者によると、首都圏で会場を探していたスイス側から開催の打診があった。市も、二〇二〇年の東京五輪・パラリンピック大会に向けて障害者が暮らしやすいまちづくりを進めていることから、共催を決めた。国内から千葉工業大や慶応大理工学部、東大とトヨタの合同チームなど五チーム、海外からロシアやギリシャのベンチャー企業など四チームの計九チームが参加予定。

 川崎大会では、各チームごとに肢体障害者が車いすに乗り、スラロームですり抜けたり、斜面や階段を乗り越えたりするほか、車いすに乗ったままロボットアームでドアを開けて通過するなどの課題で競う。課題をクリアするのにかかった時間より、正しく安全に乗り越えたかどうかを重視して採点する。

 市オリンピック・パラリンピック推進室の担当者は「障害者を支援する技術開発に興味を持ってもらうきっかけになれば」と話し、観戦を呼び掛けている。観戦は無料だが、「サイバスロン車いすシリーズ」の公式ホームページから事前登録が必要。問い合わせは、同室=電044(200)0160=へ。

2016年にスイスであった前回大会の様子(川崎市提供) 

2019年4月18日      東京新聞

幸せとは?「障がい者が主力の会社」で起こった奇跡

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「障害者の雇用の促進等に関する法律」の制定により、大企業を先頭に障がい者の雇用は徐々に増加している。しかしながら、法定雇用率を達成している企業は未だ全体の4割に留まっているという。本連載では、小松成美氏の著書『虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡』より一部を抜粋し、障がい者を積極的に採用し、「日本でいちばん大切にしたい会社」として知られる、日本理化学工業で働く人々の姿を紹介する。本記事では、同社を支える障がい者社員の能力について見ていく。

研ぎ澄まされた能力で、商品の品質維持を支える

◆知的障がい者が戦力となる会社 

障がい者が製造を支える日本理化学工業には、いろいろな症状の人がいる。本田さんは「自閉症的傾向」と診断されているが、知的機能の障がいはさまざまだ。厚生労働省の公式サイトには「平成17年度知的障害児(者)基礎調査結果の概要」として、以下のような記述がある。

 1 知的障害

 「知的機能の障害が発達期(おおむね18歳まで)にあらわれ、日常生活に支障が生じているため、何らかの特別の援助を必要とする状態にあるもの」と定義した。

 なお、知的障害であるかどうかの判断基準は、以下によった。

 次の(a)及び(b)のいずれにも該当するものを知的障害とする。

 (a)「知的機能の障害」について

 標準化された知能検査(ウェクスラーによるもの、ビネーによるものなど)によって測定された結果、知能指数がおおむね70までのもの。

 (b)「日常生活能力」について

 日常生活能力(自立機能、運動機能、意思交換、探索操作、移動、生活文化、職業等)の到達水準が総合的に同年齢の日常生活能力水準(別記1)のa、b、c、dのいずれかに該当するもの。(※別記1省略)

 2 知的障害の程度

 以下のものを、基準として用いた。

 *知能水準がI~IVのいずれに該当するかを判断するとともに、日常生活能力水準がa~dのいずれに該当するかを判断して、程度別判定を行うものとする。その仕組みは図1のとおりである。

小松 成美     2019.4.

映画監督 宍戸大裕さん(37) 障害者の自立生活追う

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どこに向かって歩くのかは、彼らが決める。人生は「道草」だ。

 重度の知的障害者が親元や施設を離れ、自立生活を送る日々を追ったドキュメンタリー映画「道草」が関西で上映され、「重度障害者も適切な支援さえあれば地域で暮らせるのだ」と共感を呼んでいる。自主上映の輪も各地で広がる。宍戸大裕監督(37)は「選びたい道を自分で決められる生き方を大切にしたい。その思いを、題名に込めた」と話す。

  映画「道草」に込めた思いを語る監督の宍戸大裕さん   毎日新聞    2019年4月17日

タクシー割引、精神障害者受けにくく 宮城県事業者ゼロ

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 宮城県内で、精神障害者がタクシー料金の割引を受けにくい状態に置かれている。タクシー事業者は身体・知的障害のある乗客には料金を1割引きしているが、精神障害者への割引認可を得ている事業者はゼロ。家族会は「なぜ精神障害者だけ対象外なのか」と反発する。

 総務省東北管区行政評価局によると、県内187事業者のうち、精神障害者への料金割引の認可を国から受けた事業者はない(2018年3月末時点)。福島県もゼロだ。認可を受けずに割引する事業者もいるとみられるが、実態は不明という。

 割引認可を得た事業者の割合は、山形県1・2%、岩手県7・2%など、東北6県全体では13・5%にとどまる。全国では20%程度だという。

 障害者のタクシー割引は1990年に始まった。障害者の自立と社会参加を進めるため、当時の運輸省(現国土交通省)が、まず身体障害者への割引を求める通知を出した。そのすぐ後に知的障害者も対象に。運転手が身体障害者手帳療育手帳を確認し、事業者側の負担で1割引きにしている。

 だが、精神障害者への適用は遅れ、2006年になって厚生労働省国交省に協力依頼を出した。行政評価局は、こうした精神障害者への取り組みの遅れが現状に影響しているとみている。

 宮城県精神障がい者家族連合会(仙台市)の笠神勝男会長は「家族も高齢化で運転しづらくなり、通院にタクシーを使う機会も増えている。他の障害と平等に扱い、精神障害者の外出を後押ししてほしい」と訴える。

 国交省は18年11月、改めて事業者の協力を求める通達を出した。東北運輸局の担当者は「今後、精神障害者への適用拡大を働きかける」。県タクシー協会の千葉美記専務理事は「協会内で検討したい」と話した。

2019年4月18日        朝日新聞


ソウル市「歩道設備の改善時は障害者と同行」

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ソウル市は、障害者と一緒にソウル市内のすべての歩道を直接歩きながら施設を整備すると、17日明らかにした。2017年基準でソウル市内の歩道は、総延長が1669キロとなっている。
障害者と健常者がペアになって歩きながら、歩行に支障を来す事項を見て改善するようにする方式だ。1自治区当たりに1、2組を投入して、一日に3~4キロを歩く予定だ。障害者の総人数と類型別障害者はソウル市と契約を交わした韓国障害者協会で選定している。
ソウルを江北(カンブク)圏と江南(カンナム)圏に分けて、毎年圏域別に交互に行い、2年周期で全数調査を行う予定だ。今年は江北圏の総延長866キロを対象に、今月から始めて8月まで終了し、9月から指摘された不便情報を元に整備していく計画だ。
歩行環境改善事業の時は、設計と工事段階から担当公務員が障害者、専門家と検査チームを立ち上げて参加する。以後、国土交通部指定の外部専門機関が交通弱者の移動利便性を総合評価する「バリアフリー生活環境(BF)」の認証を受けさせる計画だ。
キム・イェユン記者 yeah@donga.com

ソウル市は、障害者と一緒にソウル市内のすべての歩道を直接歩きながら施設を整備すると、17日明らかにした。2017年基準でソウル市内の歩道は、総延長が1669キロとなっている。

Posted April. 18, 2019       東亜日報

桐生の障害者施設の職員が400万円着服

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 桐生市社会福祉協議会は17日、運営する障害者支援施設「桐生みやま園」(同市川内町)の40代の経理担当の男性職員が、施設で制作した販売品の売上金などから現金計約400万円を着服したとして、懲戒解雇処分とした。

 同会によると、男性は昨年1月から今月まで、現金で受け取っていた売上金などを46回にわたって預金口座に入金していなかった。着服した現金は競艇、パチンコ、マージャンなどギャンブルに使ったという。

 男性本人からの報告で、8日に発覚した。15日時点で約175万円が返済されており、12月27日までに完済予定。

 笠井秋夫会長は「信頼を損ねる事態を招いたことに対し、深くおわびする。再発防止に努める」との謝罪コメントを発表した。

2019.4.18        産経ニュース

「介助者が入れず観劇できない」車椅子ユーザーが切実な訴え

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城田優まで届き出演舞台のルールが変わる

介助者が会場に入れないなど、観劇にまつわる車椅子ユーザーの不便さを訴えるTwitter投稿が拡散している。投稿は俳優の城田優のもとまで届き、城田が動いたことで出演舞台「ピピン」の入場ルールが変更となった。

IMY(山崎育三郎、尾上松也、城田優)などが出演する会場に1人で入ることがあるという車椅子ユーザーは、観劇にまつわる不便さをTwitterに投稿。車椅子で観劇するには予め申請が必要で、当日会場に入るまで車椅子スペースの場所もわからないという。さらに、チケットがない介助者は入場できず、代わりにスタッフが着席などを手伝うことになるとのこと。しかし、身体の状況を知らないスタッフに手伝ってもらうのは怖く、介助者分のチケット代も払えず観劇を諦めることになると綴っている。最後にこの車椅子ユーザーは、「障害のあるなしに関わらず誰もが不安なく気軽に楽しく、人に優しいルールの中で観劇できるようになってほしい」と訴えた。

この投稿は2万回以上リツイートされ城田のもとまで拡散。城田は15日に、「全ての方が”平等”にエンターテイメントを楽しめるように”人に優しくない、凝り固まったルール”は、どんどん無くして行ければと強く思います。一人一人の思いやりの声は、重なる事で大きな力となり、きっと少しずつこの世界を、より良いものへと変えていけると信じています」とコメントした。

この2日後の17日、城田は主演を務めるブロードウェイミュージカルピピン」の入場ルール変更を告知。「全会場にて”座席に座らない介助者の方に限り”チケットが無くても、一時入場できることになりました!様々なケースに備え、現場では臨機応変に対応し、随時、問題を解決していければと思います。皆様、一人一人の思いやりに、心から感謝します」と報告した。

これを受けて発端となった車椅子ユーザーは、「本当にお礼の言葉が見つかりません。喜んでは壁にぶち当たる日々でした。『人』として真摯に向き合ってくださったことに感謝です」「迅速に対応していただけたスタッフさん達にお礼申し上げます」と投稿。このほかにも、城田や「ピピンスタッフの行動には称賛の声が多数寄せられている。

2019/04/18       BIGLOBEニュース

病、それから 脊髄腫瘍で下半身に障害 東京電機大助教・井上淳さん

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日常の不便がエネルギー 自然歩行に近くなる装具開発 実用化しないと駄目

     大学で福祉機器の研究開発に取り組む井上淳さん(36)は、20歳の時、脊髄(せきずい)腫瘍というまれな病気で下半身に障害を負った。膝から下の感覚がないため、歩くのにつえを使い、つまずき防止の装具を着けている。まひがある人たちが生活で感じるさまざまな不便を工学で何とかしたい。そんな思いが研究の原動力だ。

     大学1年の冬。模型同好会の部屋に「続きは明日」と作りかけのプラモデルを置いて帰ったんです。 

  研究室の井上淳さん。パソコンの前だけでなく、自宅で風呂に入りながらも研究のアイデアを考えるという   毎日新聞         2019年4月18日    

点字ブロック上の看板に衝突・負傷 障害者と設置会社和解

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 点字ブロック上に置かれた看板に衝突しけがを負ったとして、横須賀市在住の目の見えない女性(48)が、看板を設置した横浜市の舗装工事会社に計約580万円の損害賠償を求めた訴訟は18日、横浜地裁(葛西功洋裁判官)で和解が成立した。会社側は解決金として200万円を支払い、再発防止に努めるとした。
 訴えによると、女性は2016年7月14日、同市のバス停付近の歩道をつえで確認しながら歩行中、道路の舗装工事を通知する看板(縦150センチ、横100センチ)に衝突し転倒。両足首を捻挫するなど全治8カ月の重傷を負った。看板は点字ブロック上に停車したトラックに立て掛けられていた。
 原告側は、現場付近は福祉施設が多数存在し、会社側は特に安全に配慮すべきだったと主張。後遺症により仕事ができなくなったなどとして慰謝料も求めた。和解条項で会社側は、安全確保が不十分だったことを認めた。
 女性は神奈川新聞の取材に「判決内容はうれしいが当然ではという気持ちもある。点字ブロックに気をつけてもらえるよう社会に発信できればいい」と話した。

神奈川新聞      2019年04月18日

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