東日本大震災により非常時、障害者に立ちはだかるバリアーが顕在化した。避難所で邪魔者扱いされたり、情報過疎に陥ったりするケースもあった。先天性障害のため車いす生活を送る伊藤清市さん(39)=仙台市青葉区=は、バリアフリー化への助言などを行う同市のNPO法人ゆにふりみやぎ理事長。災害時における障害者のノーマライゼーションについて語り合う「障がい者グラフィティ」で、中心的役割を果たす。
◎震災時障害者の「不便」記録
<仮設生活、困難>
「仮設住宅は障害者にはとても使いづらい。風呂場の段差は大きく、トイレは狭くて車いすでは一苦労。阪神大震災のとき、仮設住宅のバリアフリー化が指摘されたのに、基本的に改善されていない」
青葉区のせんだいメディアテークで10月16日にあった13回目の障がい者グラフィティ。伊藤さんは仮設住宅を訪ねた感想をこう述べた。
グラフィティはメディアテーク、ゆにふりみやぎなどの主催。毎月第3火曜、メディアテーク7階のスタジオに障害者支援に携わる人を招き、伊藤さんらが「あのとき」について1時間半ほど語り合う。この日のゲストは、障害者が使いやすい住宅に詳しい建築士の男性だった。
一般公開されているほか、収録された映像はメディアテークのウェブサイト上で見ることができる。
<まだマイナー>
きっかけは、伊藤さんがメディアテークの担当者から震災時の状況をインタビューされたことだった。
肢体不自由者は健常者と同じようには避難できない。障害者同士でなければ分かり合えないこともある。記録、保存して後世に残すとともに、災害発生時は障害者自らがどのように行動すべきかを考えなければいけないと、思い立った。
ゆにふりみやぎは公共、民間施設のバリアフリー化のアドバイスなどを手掛ける。理事長として、震災時の活動の記録は義務にも感じた。
「普段は介助なしで暮らせる人でも、災害時は状況が一変する。『どうにかなる』という意識では、どうにもならない」と強調する。
例えば、車いす利用者がビルやマンションの2階以上にいたなら、エレベーターが動かないと自力では外に出られない。主な移動手段であるマイカーはガソリン不足で動かせず、伊藤さんは給水場所に行くのも困難だった。
聴力障害者は情報過疎に陥った。停電でテレビはつかず、ラジオは役に立たない。携帯電話の充電もままならず、ワンセグも見られないケースが多かったという。
伊藤さんは「バリアフリーやノーマライゼーションという言葉はメジャーになったが、障害者はまだまだマイナーな存在なんです」と残念そうに語る。
<自 障害者側にも反省すべき発的行動を>
点はあると感じている。
1970年代、全国に先駆けて仙台で障害者自立運動が始まったとき、障害者自身が積極的に声を上げた。はびこる偏見との闘いでもあった。
今は法律が整備されて生活環境が整ってきたため、多くの障害者は「何となく事足りている状態」(伊藤さん)。社会に向かい、バリアーの存在を訴えようとする障害者は、少なくなっているとみる。
「事足りている障害者はもっと障害が重い人の立場になって考えたり、震災時のことを思い出したりしながら、自発的に行動していくべきだと思う。そうしないと真のバリアフリーは実現できない」
首都直下地震や南海トラフ巨大地震の発生などが予測されている。震災時の状況を地道に記録することが、宮城県だけでなく他地域の障害者の参考になると信じている。
河北新報-2012年11月10日土曜日
◎震災時障害者の「不便」記録
<仮設生活、困難>
「仮設住宅は障害者にはとても使いづらい。風呂場の段差は大きく、トイレは狭くて車いすでは一苦労。阪神大震災のとき、仮設住宅のバリアフリー化が指摘されたのに、基本的に改善されていない」
青葉区のせんだいメディアテークで10月16日にあった13回目の障がい者グラフィティ。伊藤さんは仮設住宅を訪ねた感想をこう述べた。
グラフィティはメディアテーク、ゆにふりみやぎなどの主催。毎月第3火曜、メディアテーク7階のスタジオに障害者支援に携わる人を招き、伊藤さんらが「あのとき」について1時間半ほど語り合う。この日のゲストは、障害者が使いやすい住宅に詳しい建築士の男性だった。
一般公開されているほか、収録された映像はメディアテークのウェブサイト上で見ることができる。
<まだマイナー>
きっかけは、伊藤さんがメディアテークの担当者から震災時の状況をインタビューされたことだった。
肢体不自由者は健常者と同じようには避難できない。障害者同士でなければ分かり合えないこともある。記録、保存して後世に残すとともに、災害発生時は障害者自らがどのように行動すべきかを考えなければいけないと、思い立った。
ゆにふりみやぎは公共、民間施設のバリアフリー化のアドバイスなどを手掛ける。理事長として、震災時の活動の記録は義務にも感じた。
「普段は介助なしで暮らせる人でも、災害時は状況が一変する。『どうにかなる』という意識では、どうにもならない」と強調する。
例えば、車いす利用者がビルやマンションの2階以上にいたなら、エレベーターが動かないと自力では外に出られない。主な移動手段であるマイカーはガソリン不足で動かせず、伊藤さんは給水場所に行くのも困難だった。
聴力障害者は情報過疎に陥った。停電でテレビはつかず、ラジオは役に立たない。携帯電話の充電もままならず、ワンセグも見られないケースが多かったという。
伊藤さんは「バリアフリーやノーマライゼーションという言葉はメジャーになったが、障害者はまだまだマイナーな存在なんです」と残念そうに語る。
<自 障害者側にも反省すべき発的行動を>
点はあると感じている。
1970年代、全国に先駆けて仙台で障害者自立運動が始まったとき、障害者自身が積極的に声を上げた。はびこる偏見との闘いでもあった。
今は法律が整備されて生活環境が整ってきたため、多くの障害者は「何となく事足りている状態」(伊藤さん)。社会に向かい、バリアーの存在を訴えようとする障害者は、少なくなっているとみる。
「事足りている障害者はもっと障害が重い人の立場になって考えたり、震災時のことを思い出したりしながら、自発的に行動していくべきだと思う。そうしないと真のバリアフリーは実現できない」
首都直下地震や南海トラフ巨大地震の発生などが予測されている。震災時の状況を地道に記録することが、宮城県だけでなく他地域の障害者の参考になると信じている。
河北新報-2012年11月10日土曜日