「喜楽庭(きらくてい)」。静岡市にある古民家を改装したデイサービス施設で、お年寄りや幼児、障害者が一緒になって足湯に漬かったり、体操したりしていた。名前の通り、和気あいあいとした雰囲気だ。
利用者だけではない。ここでは百十人いる働き手も、中学卒業後に進学や就職できない子、精神疾患を抱える人、八十歳を超えた人などさまざまだ。
「よそで働けない人は断らない」。運営するNPO法人「活き生きネットワーク」理事長、杉本彰子(しょうこ)さんは言い切る。
「初めは下を向いたままだった子も、ここで働き、重い障害がある人や高齢者から『ありがとう』と喜ばれるうちに、自分の価値を見いだしていく」
静岡駅近くの商店街で育った。家業は魚の仲卸。両親に祖父母、兄一家も含めた九人家族で、おいやめい、近所の子どもたちの面倒も見てきた。
二十五歳で結婚。だが、建設会社で働き詰めだった夫は三年八カ月後のある朝、布団の中で冷たくなっていた。社宅を出て、幼い娘二人を養うため働きに出た。
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足湯に入る高齢者や小さな子どもたちに笑顔で話しかける杉本さん(左から2人目)と望月さん(同3人目)=静岡市葵区の喜楽庭で
引っ越し先のマンションで出会ったのが、離婚し、やはりシングルマザーの望月洋子さん。子ども同士が保育園の同級生で、互いの事情がよく理解できた。残業や、子どもの具合が悪い時に、子どもを預け合うようになった。
望月さんは「病児保育が見つからず、会社も辞めざるを得なかった。そんな時、彰ちゃんが相談に乗り、助けてくれた。姉のようだった」と振り返る。
困った経験がある二人は、他人の困り事も見過ごすことができなかった。地域の働く母親らの相談に乗り、助け合う活動を始めた。活動は家事、育児だけでなく、高齢者、障害者支援へと拡大。障害児の母親が子どもを預け、自らもここでヘルパーとして働くといったように、利用する側と支援する側の隔てがないネットワークができた。
決められたサービスだけでなく、急な出張の際の子どもの預かりや入院中の付き添い、犬の散歩、時には庭の草むしりも引き受ける。いろんな仕事があるから、どんな人も、自分に合った働き方を見つけられる。
喜楽庭の庭では、スタッフと利用者が一緒に花の世話をする。夏は子どもたちがビニールプールで遊び、お年寄りが見守る。そんな庭の光景を、末期がんの人がベッドに横たわって眺めている。「みんなと一緒にいたい」と、亡くなる直前までやってきた人も。
「大家族のような雰囲気。私も困った時があったから、支え合える。そばにいてくれる人がいるから、力が湧いてくる」と杉本さん。「みんな、いろいろ背負ってうちに来る。どこかに、ここに居場所がある」
◆結び目
写真
杉本さんが10代のころに参加した青少年赤十字の恩師、橋本祐子(さちこ)さん(故人)の言葉がNPOの研修室に掲げられている。夫の死後、たまらず夜中に電話するとこう励まされ、後日、届いたはがきにもこの言葉が。うれしくて、鏡の前で笑顔を作ると、長女も「お母さん、元気になったね」と喜んでくれた。私が笑顔だと、皆も喜ぶ。その思いで、つらい時も前向きになれた。NPOの名前の由来だ。
中日新聞 : 2014年1月5日
利用者だけではない。ここでは百十人いる働き手も、中学卒業後に進学や就職できない子、精神疾患を抱える人、八十歳を超えた人などさまざまだ。
「よそで働けない人は断らない」。運営するNPO法人「活き生きネットワーク」理事長、杉本彰子(しょうこ)さんは言い切る。
「初めは下を向いたままだった子も、ここで働き、重い障害がある人や高齢者から『ありがとう』と喜ばれるうちに、自分の価値を見いだしていく」
静岡駅近くの商店街で育った。家業は魚の仲卸。両親に祖父母、兄一家も含めた九人家族で、おいやめい、近所の子どもたちの面倒も見てきた。
二十五歳で結婚。だが、建設会社で働き詰めだった夫は三年八カ月後のある朝、布団の中で冷たくなっていた。社宅を出て、幼い娘二人を養うため働きに出た。

足湯に入る高齢者や小さな子どもたちに笑顔で話しかける杉本さん(左から2人目)と望月さん(同3人目)=静岡市葵区の喜楽庭で
引っ越し先のマンションで出会ったのが、離婚し、やはりシングルマザーの望月洋子さん。子ども同士が保育園の同級生で、互いの事情がよく理解できた。残業や、子どもの具合が悪い時に、子どもを預け合うようになった。
望月さんは「病児保育が見つからず、会社も辞めざるを得なかった。そんな時、彰ちゃんが相談に乗り、助けてくれた。姉のようだった」と振り返る。
困った経験がある二人は、他人の困り事も見過ごすことができなかった。地域の働く母親らの相談に乗り、助け合う活動を始めた。活動は家事、育児だけでなく、高齢者、障害者支援へと拡大。障害児の母親が子どもを預け、自らもここでヘルパーとして働くといったように、利用する側と支援する側の隔てがないネットワークができた。
決められたサービスだけでなく、急な出張の際の子どもの預かりや入院中の付き添い、犬の散歩、時には庭の草むしりも引き受ける。いろんな仕事があるから、どんな人も、自分に合った働き方を見つけられる。
喜楽庭の庭では、スタッフと利用者が一緒に花の世話をする。夏は子どもたちがビニールプールで遊び、お年寄りが見守る。そんな庭の光景を、末期がんの人がベッドに横たわって眺めている。「みんなと一緒にいたい」と、亡くなる直前までやってきた人も。
「大家族のような雰囲気。私も困った時があったから、支え合える。そばにいてくれる人がいるから、力が湧いてくる」と杉本さん。「みんな、いろいろ背負ってうちに来る。どこかに、ここに居場所がある」
◆結び目
写真

杉本さんが10代のころに参加した青少年赤十字の恩師、橋本祐子(さちこ)さん(故人)の言葉がNPOの研修室に掲げられている。夫の死後、たまらず夜中に電話するとこう励まされ、後日、届いたはがきにもこの言葉が。うれしくて、鏡の前で笑顔を作ると、長女も「お母さん、元気になったね」と喜んでくれた。私が笑顔だと、皆も喜ぶ。その思いで、つらい時も前向きになれた。NPOの名前の由来だ。
中日新聞 : 2014年1月5日