◇再び走れる喜びを サポートの充実を願い
幼い時に脚を切断した女性が試作のスポーツ用義足を使い、数歩走れた時に流した涙−−。国内スポーツ用義足製作の第一人者で、1991年に切断障害者のためのスポーツクラブ「ヘルスエンジェルス」を設立した臼井二美男さん(58)にとって、活動の原点は約25年前の出来事だ。「走ることが自信につながる。失ったものを取り戻す喜び、感動がある」。思いは今も変わらない。
車いすを使用する障害者の国際スポーツ大会は、76年から視覚障害者と切断障害者も出場できるようになった。85年、大会の愛称「パラリンピック」が正式名称に。参加対象者と種目が増え、欧米では軽くて丈夫なスポーツ用義足の研究・開発が盛んになった。
臼井さんが、現在の公益財団法人鉄道弘済会義肢装具サポートセンター(荒川区)に入ったのは28歳の時。人手不足だったセンターに請われ、即入社が決まったものの義足作りはまったくの素人。働きながら覚えたという。
スポーツ用義足の製作を始めたのは89年。通常の義足は外装をかぶせて脚の形そっくりに作るが、スポーツ用はむき出し。足部はJの形に湾曲した板バネが主流で、反発力を利用して跳んだり走ったりする。最もこだわるのが脚の切断部を包む「ソケット」だ。わずかでもずれがあると、走るどころか痛くて歩けない。ユーザーの声を何度も何度も聴いて、ミリ単位で調整していく。「世界に同じ義足は一つもない。そこが難しさ」と語る。
2000年のシドニーパラリンピック。臼井さんは、日本で初めてスポーツ用義足を使用した走り高跳びの鈴木徹選手(33)らをサポートした。04年アテネ大会では走り幅跳びの佐藤真海選手(31)の義足を担当。08年北京、12年ロンドン大会もメカニックとして同行した。
一線を走り続ける臼井さんの背中を追う若者がいる。斎藤拓さん(30)はシドニー大会での臼井さんと鈴木選手を特集したテレビを見て、この世界に飛び込んだ。同じ頃、山梨大で機械工学を学んでいた沖野敦郎(あつお)さん(35)は「好きな陸上競技と自分の専門分野の両方を生かせる仕事がある」ことを知った。2人は義肢装具士の専門学校を経てセンターに就職。現在はヘルスエンジェルスで選手のサポートを続けている。
20年東京五輪、パラリンピック開催が決まった。しかし、国内の障害者アスリートは、五輪を目指す一握りのトップ選手に比べ、恵まれた環境にいるとは言えないのが現状だ。例えば、スポーツ用義足(膝上切断)の価格は1足100万円前後。日常生活用と違って保険は適用されない。
「障害者がスポーツを続けるには経済的、精神的な安定が必要」。そう話す臼井さんは義足製作だけにとどまらず、選手に職業訓練校を紹介したり、就職相談に乗ったりしている。「スポーツ用義足や車いすを購入する選手の負担を減らす仕組みができるといい。6年後の東京開催が練習場所やサポート態勢の充実につながってほしい」。臼井さんたちの切実な願いだ。
毎日新聞 2014年01月05日〔都内版〕
幼い時に脚を切断した女性が試作のスポーツ用義足を使い、数歩走れた時に流した涙−−。国内スポーツ用義足製作の第一人者で、1991年に切断障害者のためのスポーツクラブ「ヘルスエンジェルス」を設立した臼井二美男さん(58)にとって、活動の原点は約25年前の出来事だ。「走ることが自信につながる。失ったものを取り戻す喜び、感動がある」。思いは今も変わらない。
車いすを使用する障害者の国際スポーツ大会は、76年から視覚障害者と切断障害者も出場できるようになった。85年、大会の愛称「パラリンピック」が正式名称に。参加対象者と種目が増え、欧米では軽くて丈夫なスポーツ用義足の研究・開発が盛んになった。
臼井さんが、現在の公益財団法人鉄道弘済会義肢装具サポートセンター(荒川区)に入ったのは28歳の時。人手不足だったセンターに請われ、即入社が決まったものの義足作りはまったくの素人。働きながら覚えたという。
スポーツ用義足の製作を始めたのは89年。通常の義足は外装をかぶせて脚の形そっくりに作るが、スポーツ用はむき出し。足部はJの形に湾曲した板バネが主流で、反発力を利用して跳んだり走ったりする。最もこだわるのが脚の切断部を包む「ソケット」だ。わずかでもずれがあると、走るどころか痛くて歩けない。ユーザーの声を何度も何度も聴いて、ミリ単位で調整していく。「世界に同じ義足は一つもない。そこが難しさ」と語る。
2000年のシドニーパラリンピック。臼井さんは、日本で初めてスポーツ用義足を使用した走り高跳びの鈴木徹選手(33)らをサポートした。04年アテネ大会では走り幅跳びの佐藤真海選手(31)の義足を担当。08年北京、12年ロンドン大会もメカニックとして同行した。
一線を走り続ける臼井さんの背中を追う若者がいる。斎藤拓さん(30)はシドニー大会での臼井さんと鈴木選手を特集したテレビを見て、この世界に飛び込んだ。同じ頃、山梨大で機械工学を学んでいた沖野敦郎(あつお)さん(35)は「好きな陸上競技と自分の専門分野の両方を生かせる仕事がある」ことを知った。2人は義肢装具士の専門学校を経てセンターに就職。現在はヘルスエンジェルスで選手のサポートを続けている。
20年東京五輪、パラリンピック開催が決まった。しかし、国内の障害者アスリートは、五輪を目指す一握りのトップ選手に比べ、恵まれた環境にいるとは言えないのが現状だ。例えば、スポーツ用義足(膝上切断)の価格は1足100万円前後。日常生活用と違って保険は適用されない。
「障害者がスポーツを続けるには経済的、精神的な安定が必要」。そう話す臼井さんは義足製作だけにとどまらず、選手に職業訓練校を紹介したり、就職相談に乗ったりしている。「スポーツ用義足や車いすを購入する選手の負担を減らす仕組みができるといい。6年後の東京開催が練習場所やサポート態勢の充実につながってほしい」。臼井さんたちの切実な願いだ。
毎日新聞 2014年01月05日〔都内版〕