障害の有無に関係なく、誰もが同じように生活できる社会の実現を目指し、自ら学習障害があることを公表し、障害者の生きやすい社会づくりに取り組む教師がいる。
◆年に60回講演
岐阜特別支援学校教諭、神山忠さん(48)=岐阜市=。県内外で医療、福祉、教育関係者や保護者らに向け、発達障害への理解を促す講演を年間50〜60回行う。文部科学省から読み障害がある子どものためのデジタル教科書などの開発の委託を受けたほか、国土交通省のユニバーサルデザイン検証委員として公共施設の使いやすさを検証するなど、自らの体験を反映させている。
文字を文字として認識しづらかったり、文字と音とを結び付けられなかったりする「ディスレクシア(読み障害)」の特性に、神山さんは小学生のころから悩まされ続けてきた。
教科書が読めないせいで級友からいじめを受け、「まだそんなところを読んでいるの」という教師の発言に傷ついた。感情が爆発し、拳を振り上げたこともある。非行に走り、居場所のない時期もあった。
◆「自分だってやればできる」
高校卒業後、「自分のことを誰も知らない場所でやり直したい」と陸上自衛隊に入隊。4年間の隊生活で、気持ちに変化が起こった。上官の手本や口頭伝達による実践的な教育が自分に合うことに気づき、知識や技術をぐんぐん吸収した。「自分だってやればできる」と自信を取り戻し、「勉強ができない子の気持ちが分かる先生になろう」と教師の道を志した。
厳しい訓練の傍ら、夜間の短期大学に通い、教員免許を取得。3年がかりで採用試験を突破し、1989年から教員として歩み始めた。
職場では自らが学習障害者であることは隠していた。職員会議の資料を朝までかかって解読。生徒に向き合える喜びはあったが、ストレスが募る日々。2003年、神奈川県横須賀市の国立特別支援教育総合研究所での研修中、膨大な文字資料の読み込みに行き詰まったことが公表するきっかけになった。
勇気がいったが公表したことで読み上げソフトの使用が認められ、研修仲間も支援してくれた。職場でも資料をデータでもらえるようになった。
◆「居住地交流」にも力
神山さんは学習障害の子どもが年々増加傾向にあるのは、今の教育のせいだと指摘する。「勉強を重視する傾向が強く、社会の求める学力水準が高くなっている。どんどんきつくなるふるいの目に、障害のない子もストレスを抱えている」と問題意識を語る。
今後目指すのは障害があっても生きやすい社会の実現。障害のある子どもと社会とのつながりを確保するため、特別支援学校の児童生徒が本来通うはずだった、地元の小中学校の授業や行事に参加する「居住地交流」にも力を注ぐ。
「当事者の視点で社会にバリアフリー、ユニバーサルデザインを浸透させていくことが自分の役目」と目を輝かせる。
記者のひとこと
教員の多くは、自分の好きなことや得意なことを専門とし、「学ぶ楽しさを伝えよう」と教師の道を志す。神山さんはその逆だ。一番苦手な「文字を読むこと」がつきまとう職業を選び、教壇に立っている。「できない悩み」に共感し、解決策を一緒に考えてくれる先生がいてくれるだけで、どれほど教室は居心地が良くなることだろう。強い使命感を持って神山さんがまき続ける温かなまなざしに満ちた社会づくりの種が、地域に根を下ろしていけばいいと思う。
![]()
自らの障害を公表し、障害者の視点で生きやすい社会の実現を啓発する神山忠さん=各務原市蘇原東島町、東海中央病院
岐阜新聞 - 2014年01月28日09:30
◆年に60回講演
岐阜特別支援学校教諭、神山忠さん(48)=岐阜市=。県内外で医療、福祉、教育関係者や保護者らに向け、発達障害への理解を促す講演を年間50〜60回行う。文部科学省から読み障害がある子どものためのデジタル教科書などの開発の委託を受けたほか、国土交通省のユニバーサルデザイン検証委員として公共施設の使いやすさを検証するなど、自らの体験を反映させている。
文字を文字として認識しづらかったり、文字と音とを結び付けられなかったりする「ディスレクシア(読み障害)」の特性に、神山さんは小学生のころから悩まされ続けてきた。
教科書が読めないせいで級友からいじめを受け、「まだそんなところを読んでいるの」という教師の発言に傷ついた。感情が爆発し、拳を振り上げたこともある。非行に走り、居場所のない時期もあった。
◆「自分だってやればできる」
高校卒業後、「自分のことを誰も知らない場所でやり直したい」と陸上自衛隊に入隊。4年間の隊生活で、気持ちに変化が起こった。上官の手本や口頭伝達による実践的な教育が自分に合うことに気づき、知識や技術をぐんぐん吸収した。「自分だってやればできる」と自信を取り戻し、「勉強ができない子の気持ちが分かる先生になろう」と教師の道を志した。
厳しい訓練の傍ら、夜間の短期大学に通い、教員免許を取得。3年がかりで採用試験を突破し、1989年から教員として歩み始めた。
職場では自らが学習障害者であることは隠していた。職員会議の資料を朝までかかって解読。生徒に向き合える喜びはあったが、ストレスが募る日々。2003年、神奈川県横須賀市の国立特別支援教育総合研究所での研修中、膨大な文字資料の読み込みに行き詰まったことが公表するきっかけになった。
勇気がいったが公表したことで読み上げソフトの使用が認められ、研修仲間も支援してくれた。職場でも資料をデータでもらえるようになった。
◆「居住地交流」にも力
神山さんは学習障害の子どもが年々増加傾向にあるのは、今の教育のせいだと指摘する。「勉強を重視する傾向が強く、社会の求める学力水準が高くなっている。どんどんきつくなるふるいの目に、障害のない子もストレスを抱えている」と問題意識を語る。
今後目指すのは障害があっても生きやすい社会の実現。障害のある子どもと社会とのつながりを確保するため、特別支援学校の児童生徒が本来通うはずだった、地元の小中学校の授業や行事に参加する「居住地交流」にも力を注ぐ。
「当事者の視点で社会にバリアフリー、ユニバーサルデザインを浸透させていくことが自分の役目」と目を輝かせる。
記者のひとこと
教員の多くは、自分の好きなことや得意なことを専門とし、「学ぶ楽しさを伝えよう」と教師の道を志す。神山さんはその逆だ。一番苦手な「文字を読むこと」がつきまとう職業を選び、教壇に立っている。「できない悩み」に共感し、解決策を一緒に考えてくれる先生がいてくれるだけで、どれほど教室は居心地が良くなることだろう。強い使命感を持って神山さんがまき続ける温かなまなざしに満ちた社会づくりの種が、地域に根を下ろしていけばいいと思う。

自らの障害を公表し、障害者の視点で生きやすい社会の実現を啓発する神山忠さん=各務原市蘇原東島町、東海中央病院
岐阜新聞 - 2014年01月28日09:30