障害者、ひいては、だれもが利用することのできるホテルの姿を考えてきました。
軸は2つ、“情報”と“客室の造りや数”についてです。
そのなかで何度も、情報がない・部屋数が少ないと述べてきました。
今回は、その裏にある矛盾と根拠に迫ってみようと思います。
話題の中心となっているのは、UD(ユニバーサルデザイン)ルーム。
この設置数には、2006年に施行されたバリアフリー新法にもとづく、お約束があります。
客室の総数に応じて一定数の設置が義務づけられていて、下限が設けられているのです。
その下限は、以下の式から求められます。
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簡単に言えば、50室以上の客室があるホテルには、UDルームが必ず1室ある!ということになります。
意外と多いなぁ、と思ったのは、私だけでしょうか。
2006年以降に新築されたものに限られますが、それでも“法律”という、お約束の力は大きいものです。
ここで、ひとつの矛盾に気が付いてしまいました。
まぁまぁ数があるはずなのに、その情報が見当たらないことです。
みんなが約束を守っているのなら、もっと表に出てきていてもよいと思いませんか?
なにかの情報を得ようとしたとき、いまや、第一の窓口はインターネットと言えるでしょう。
そこに情報がないということは、そのもの自体が存在しないと認識されてもおかしくはありません。
なぜ、公表しないのか?
その推測は、ホテルの保身・謙遜、障害者の傲慢さや高望みが絡み合った、複雑な問題なのだと思います。
今度は、基本に立ち返ってみましょう。
そもそも、UDルームには、どれくらい需要があるのでしょうか?
数が少ないということは、必要とされていないことの表れ!?
障害や加齢で身体に不自由があることで、その部屋を必要とする人は、日本にどのくらいいるのだろうか。
総務省統計局のデータと内閣府の障害者白書から調べてみました。
日本の総人口に対して、身体障害者5.8%+高齢者24%=約30%。
なんと、日本にいる人の約3分の1!
この数字だけを見ても、需要がないとは言えなさそうです。
では、ホテルや旅館を利用するときの状況を、思い浮かべてみましょう。
ひとり旅よりも、家族や友人・恋人など、複数人での利用が大半を占めているように思います。
旅行会社・JTBの調査によると、家族連れの割合は7割近くにもなるそうです。
その中に、ひとりでも身体の不自由な人がいるとしたら、その人も泊まることのできる宿をさがすはずです。
もし、宿泊施設がUDルームを持ち合わせていなかったら・・・。
あったとしても、適切な情報公開がされていなかったとしたら・・・。
人口の3分の1におよぶ身障・高齢者+同行者――それだけの数のお客さまを逃してしまう、とも考えられます。
そんなこと、ビジネス的に見てもナンセンス。
超高齢社会に足を踏み入れた日本にとって、真剣に考えたほうがよい問題なのではないでしょうか?
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そこで、私からの提案です。
“部屋・お風呂・トイレの入口は段差なし”を、全客室へ徹底してしまえばいいのです。
その上で、前出のUDルーム数なら、きっと、数が少ない!なんて苦言を呈する人はいなくなるでしょう。
というのも、障害者の大半は、フル装備のUDルームを必要としていないからです。
以前、「車いすで泊まれますか?」という私の問いに対して、「歩けますか?」という、一見とんちんかんな逆質問をされたことがあると、《44》に書きました。
このやりとりは、まさに超高齢社会がもたらしたものと言えるでしょう。
足腰の効かなくなった高齢者は、長距離歩行の補助として車いすに乗っていることがよくあります。
でも、まったく歩けないわけではないので、車いすのままでは行けない段差などに出くわすと、すっくと立ち上がって歩き出す――
ホテルの方も、そのような状況を耳に入れたり目にしたりする機会がふえたことから、「歩けますか?」という確認が経験上、身に付いたのだと察します。
“段差なし”は、障害のある人にはプラスで、健康な人にもマイナス要素がなく、手軽におこなえる工夫です。
しかし、そこから得られる恩恵は、計り知れません。
人は、皆、いずれ年老いてゆくものです。
もちろん、後ろ向きな意味ではなく、だれもが避けることのできない定めでもあります。
とはいえ、健康なときにはピンとこないのも、当然かもしれません。
“福祉”や“障害”、“バリアフリー”、“ユニバーサルデザイン”等々・・・。
きっと、多くの人にとっては、「他人事」なのでしょう。
でも、決してそうではないと、私は思います。
あなたにも、あなたの大切な人にもかかわる、身近なことなのです。
とくに、建物や設備は、そう簡単に形を変えることはできません。
自分が、大切な人が、困ってから考えはじめるのでは遅すぎます。
だからこそ、はじめから、さまざまな人のことを想って造る必要があるのです。
そこには、自分と違う立場の人を想像する力と当事者意識が欠かせません。
みんなが「自分事」と思えたときに初めて、大きな原動力が生まれるような気がします。
では、バリアフリー、ユニバーサルデザインに完璧はない。
それなりに使える部屋が、たくさんあった方がよい。
バリアもバリアフリーも、ありのままの情報を公開する→利用者が判断できるようになる。
UDルームにも、多様性があっていい。
そういえば、オリンピック・パラリンピックから派生した、この話題。
いつの間にか、その陰がなくなってしまいました・・・。
でも、忘れてはいません。テーマが、宿泊施設と交通インフラだったことを。
次回からは、交通インフラについて考えます。
樋口彩夏 (ひぐち・あやか)
1989年、東京生まれ。埼玉・福岡育ち。いつも外を走り回っていたお転婆娘が、14歳・中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症しました。
抗がん剤、重粒子線、移植などの治療を終えたものの副作用や後遺症のために9年間、入退院の繰り返し。その影響で下半身不随となり、車椅子で生活をしています。「普通の生活」に戻りつつある今、「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に模索を続けています。
朝日新聞 -2014年1月29日
軸は2つ、“情報”と“客室の造りや数”についてです。
そのなかで何度も、情報がない・部屋数が少ないと述べてきました。
今回は、その裏にある矛盾と根拠に迫ってみようと思います。
話題の中心となっているのは、UD(ユニバーサルデザイン)ルーム。
この設置数には、2006年に施行されたバリアフリー新法にもとづく、お約束があります。
客室の総数に応じて一定数の設置が義務づけられていて、下限が設けられているのです。
その下限は、以下の式から求められます。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

簡単に言えば、50室以上の客室があるホテルには、UDルームが必ず1室ある!ということになります。
意外と多いなぁ、と思ったのは、私だけでしょうか。
2006年以降に新築されたものに限られますが、それでも“法律”という、お約束の力は大きいものです。
ここで、ひとつの矛盾に気が付いてしまいました。
まぁまぁ数があるはずなのに、その情報が見当たらないことです。
みんなが約束を守っているのなら、もっと表に出てきていてもよいと思いませんか?
なにかの情報を得ようとしたとき、いまや、第一の窓口はインターネットと言えるでしょう。
そこに情報がないということは、そのもの自体が存在しないと認識されてもおかしくはありません。
なぜ、公表しないのか?
その推測は、ホテルの保身・謙遜、障害者の傲慢さや高望みが絡み合った、複雑な問題なのだと思います。
今度は、基本に立ち返ってみましょう。
そもそも、UDルームには、どれくらい需要があるのでしょうか?
数が少ないということは、必要とされていないことの表れ!?
障害や加齢で身体に不自由があることで、その部屋を必要とする人は、日本にどのくらいいるのだろうか。
総務省統計局のデータと内閣府の障害者白書から調べてみました。
日本の総人口に対して、身体障害者5.8%+高齢者24%=約30%。
なんと、日本にいる人の約3分の1!
この数字だけを見ても、需要がないとは言えなさそうです。
では、ホテルや旅館を利用するときの状況を、思い浮かべてみましょう。
ひとり旅よりも、家族や友人・恋人など、複数人での利用が大半を占めているように思います。
旅行会社・JTBの調査によると、家族連れの割合は7割近くにもなるそうです。
その中に、ひとりでも身体の不自由な人がいるとしたら、その人も泊まることのできる宿をさがすはずです。
もし、宿泊施設がUDルームを持ち合わせていなかったら・・・。
あったとしても、適切な情報公開がされていなかったとしたら・・・。
人口の3分の1におよぶ身障・高齢者+同行者――それだけの数のお客さまを逃してしまう、とも考えられます。
そんなこと、ビジネス的に見てもナンセンス。
超高齢社会に足を踏み入れた日本にとって、真剣に考えたほうがよい問題なのではないでしょうか?
Image may be NSFW.
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そこで、私からの提案です。
“部屋・お風呂・トイレの入口は段差なし”を、全客室へ徹底してしまえばいいのです。
その上で、前出のUDルーム数なら、きっと、数が少ない!なんて苦言を呈する人はいなくなるでしょう。
というのも、障害者の大半は、フル装備のUDルームを必要としていないからです。
以前、「車いすで泊まれますか?」という私の問いに対して、「歩けますか?」という、一見とんちんかんな逆質問をされたことがあると、《44》に書きました。
このやりとりは、まさに超高齢社会がもたらしたものと言えるでしょう。
足腰の効かなくなった高齢者は、長距離歩行の補助として車いすに乗っていることがよくあります。
でも、まったく歩けないわけではないので、車いすのままでは行けない段差などに出くわすと、すっくと立ち上がって歩き出す――
ホテルの方も、そのような状況を耳に入れたり目にしたりする機会がふえたことから、「歩けますか?」という確認が経験上、身に付いたのだと察します。
“段差なし”は、障害のある人にはプラスで、健康な人にもマイナス要素がなく、手軽におこなえる工夫です。
しかし、そこから得られる恩恵は、計り知れません。
人は、皆、いずれ年老いてゆくものです。
もちろん、後ろ向きな意味ではなく、だれもが避けることのできない定めでもあります。
とはいえ、健康なときにはピンとこないのも、当然かもしれません。
“福祉”や“障害”、“バリアフリー”、“ユニバーサルデザイン”等々・・・。
きっと、多くの人にとっては、「他人事」なのでしょう。
でも、決してそうではないと、私は思います。
あなたにも、あなたの大切な人にもかかわる、身近なことなのです。
とくに、建物や設備は、そう簡単に形を変えることはできません。
自分が、大切な人が、困ってから考えはじめるのでは遅すぎます。
だからこそ、はじめから、さまざまな人のことを想って造る必要があるのです。
そこには、自分と違う立場の人を想像する力と当事者意識が欠かせません。
みんなが「自分事」と思えたときに初めて、大きな原動力が生まれるような気がします。
では、バリアフリー、ユニバーサルデザインに完璧はない。
それなりに使える部屋が、たくさんあった方がよい。
バリアもバリアフリーも、ありのままの情報を公開する→利用者が判断できるようになる。
UDルームにも、多様性があっていい。
そういえば、オリンピック・パラリンピックから派生した、この話題。
いつの間にか、その陰がなくなってしまいました・・・。
でも、忘れてはいません。テーマが、宿泊施設と交通インフラだったことを。
次回からは、交通インフラについて考えます。
樋口彩夏 (ひぐち・あやか)
1989年、東京生まれ。埼玉・福岡育ち。いつも外を走り回っていたお転婆娘が、14歳・中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症しました。
抗がん剤、重粒子線、移植などの治療を終えたものの副作用や後遺症のために9年間、入退院の繰り返し。その影響で下半身不随となり、車椅子で生活をしています。「普通の生活」に戻りつつある今、「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に模索を続けています。
朝日新聞 -2014年1月29日