2年前に病気のため66歳で他界した田川市川宮、元高校教諭、福山博子さんが、遺言で自宅を田川地区で障害者のグループホームなどを運営する社会福祉法人つくしの里福祉会(樋口和男理事長)に寄付した。「障害のある人のために役立ててほしい」との遺志に沿ったもので、自宅は障害者の就労支援などの相談に応じる「相談支援センター」として7日、オープンした。
支援センター管理者の木村良成さん(45)によると、福山さんは旧・県立田川商業高校(現在は閉校)などに勤め、53歳ごろの1999年に脳梗塞(こうそく)で倒れた。左半身にまひが残り、独り身だった福山さんは2002年にバリアフリーの自宅を現在地に新築。職場復帰はかなわなかったが、温厚で趣味の折り紙などを楽しんでいた。
自宅の寄付は福山さんの田川商時代の教え子が現在、つくしの里の職員として働いていることから、病後に田川商時代の同僚と一緒につくしの里の施設を訪れるうち、後援会やボランティアの活動を通じて寄付を思い付いた。他界後、同僚らの尽力で実現したという。
自宅は木造平屋(建築面積82・5平方メートル)。車いすが入る広々としたトイレや、玄関にはスロープや手すりなどがそのまま残り、改修工事は庭を車4台分の駐車場にしただけ。
木村さんは「福山さんは病床で『早く自宅に帰りたい』と言っていたが、その願いもかなわなかった。せめて、遺志をしっかり守り通せるよう、障害者の立場にたったアドバイスをしていきたい」と話している。支援センターはつくしの里の関係者以外も利用でき、職員2人が対応する。問い合わせは支援センター0947・85・8858。
毎日新聞 2014年08月09日 〔筑豊版]
支援センター管理者の木村良成さん(45)によると、福山さんは旧・県立田川商業高校(現在は閉校)などに勤め、53歳ごろの1999年に脳梗塞(こうそく)で倒れた。左半身にまひが残り、独り身だった福山さんは2002年にバリアフリーの自宅を現在地に新築。職場復帰はかなわなかったが、温厚で趣味の折り紙などを楽しんでいた。
自宅の寄付は福山さんの田川商時代の教え子が現在、つくしの里の職員として働いていることから、病後に田川商時代の同僚と一緒につくしの里の施設を訪れるうち、後援会やボランティアの活動を通じて寄付を思い付いた。他界後、同僚らの尽力で実現したという。
自宅は木造平屋(建築面積82・5平方メートル)。車いすが入る広々としたトイレや、玄関にはスロープや手すりなどがそのまま残り、改修工事は庭を車4台分の駐車場にしただけ。
木村さんは「福山さんは病床で『早く自宅に帰りたい』と言っていたが、その願いもかなわなかった。せめて、遺志をしっかり守り通せるよう、障害者の立場にたったアドバイスをしていきたい」と話している。支援センターはつくしの里の関係者以外も利用でき、職員2人が対応する。問い合わせは支援センター0947・85・8858。
毎日新聞 2014年08月09日 〔筑豊版]