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代表最年少の安達選手、ゴールで世界4位貢献 「4年後はエースで」 /島根

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 8月にブラジルで開かれた知的障害者サッカーの世界選手権大会。日本は過去最高となる4位の成績を収めた。代表18人のうち、最年少で選ばれた県立松江養護学校1年、安達寛人選手(15)=松江市大庭町=もレギュラーとして出場し、見事にゴールも決めた。

 大会は、国際知的障害者スポーツ連盟が1994年から4年に1度開いている。日本は02年から出場し、今大会までの最高成績は10位だった。

 安達選手は技術とスピードのある中盤の選手。今春、代表に初めて招集された。8月12日、初戦となるブラジル戦を前にスタメンを告げられた。「すごい重圧を感じた」。初めて着るブルーの代表ユニホームに、喜びと緊張が込み上げてきた。

 初戦は体が重く、思い通りのプレーはできなかったが、日本は2−2での引き分けに持ち込んだ。次のポーランド戦は敗れ、初めての決勝トーナメント進出がかかったドイツ戦を迎えた。

 安達選手は3試合連続で先発出場し、チーム4点目のゴールを決めた。ゴールネットを揺らした後、仲間たちも駆け寄ってきた。「やっとチームの一員になれた」と振り返る。試合は7−0で勝利した。

 決勝トーナメントでは、大会を3連覇することになるサウジアラビアに惜敗。最終的に4位で終えた。3試合を観戦した安達選手の父、広美さん(44)は「選ばれただけで驚いたのにゴールまで決めるとは。頼もしくなった」。島根県選抜チームの監督で、県立益田養護学校教諭の木次雄作さん(39)は「彼の実力なら活躍できると思っていた。これからはサッカーだけでなく、苦手な分野にも挑戦してほしい」と話す。

 安達選手は8月26日に帰国し、翌日には練習を再開した。大会では世界トップレベルの技術や体格差を肌で感じたといい、「次は自分がエースになり、チームを引っ張る存在になりたい」と4年後のロシア大会に意気込む。

 一方、知的障害者サッカーを取り巻く環境は依然として厳しい。日本知的障がい者サッカー連盟(東京都)によると、選手たちは今回、遠征費30万円を自己負担し、代表のユニホームも新調できなかったという。選手の強化費も十分でなく、スポンサーの獲得も課題だ。同連盟の天野直紀理事長は「メディアにも取り上げられ、頑張っている姿を見てもらえた。でも知的障害者への社会的な認知度はまだ高くない。サッカーをきっかけに、多くの人に理解してもらいたい」と話している。

毎日新聞 2014年09月20日 地方版


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