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Channel: ゴエモンのつぶやき
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被災障害者に自立生活を、阪神の活動「教科書」に

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 阪神大震災から17日で丸18年。震災直後から神戸を拠点に障害者の自立支援活動をリードしてきた男性が昨年病に倒れ、亡くなった。故人の思いは後進に受け継がれ、東日本大震災の被災地でも脈々と息づいている。

 ハンチング帽をかぶった人なつっこい男性の遺影を車いすに乗った障害者ら約130人がじっと見つめた。学生時代にたまたま障害者と出会って以来、障害者支援に半生をささげた団体職員、大賀重太郎さん(享年61)を偲ぶ会が昨年10月、神戸市で開かれた。東日本大震災で被災した障害者を支援するボランティアも大勢駆け付けた。

 1995年1月、阪神大震災の朝、大賀さんは兵庫県姫路市の自宅にいた。「身動きできない障害者がたくさんいるはず」。つながりやすい公衆電話に通って障害者の安否確認などに奔走、自宅を拠点にワープロ通信でファクスを送り続けた。

 「無事か?だいじょうぶか?」。頭文字を取って「OZの箱」と名付け毎日発行した通信は何度も転送され、全国約100カ所の施設や個人宅に届いた。半月後には「被災地障害者センター」を立ち上げて行き場を失った障害者を探し出し、ボランティアの若者らと24時間介護をした。

 「『復興じゃない。震災前より良くしていくんや』が口癖でした」。ファクスをきっかけに神戸市を訪れ、今も同市長田区で障害者支援に携わる毛利須磨子さん(41)は振り返る。「障害者は仲間。困っている人を探して、困っていることを聞くんや」。若いボランティアに大賀さんはいつもこう語りかけた。

 障害者の避難生活を間近で見た大賀さんは95年5月、兵庫県と神戸市に復興計画への要望書を出した。「障害当事者と共同でニーズ調査を」「仮設住宅の段差やトイレは高齢者や障害者の生活が前提になっていない」――。こうした声が少しずつ行政に届き、復興の過程で駅のバリアフリー化などが実現していった。

 そして16年後に起きた東日本大震災。阪神大震災を機に障害者の自立を支援してきたNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)を中心に、のべ100人を超える障害者がヘルパーを伴って東北を訪れた。

 東北の被災地では7カ所で「被災地障害者センター」が立ち上がり、障害者の生活相談や送迎を手掛ける。ゆめ風基金の橘高千秋事務局長は「大賀さんを中心にやってきたことが今の活動の教科書になっている」と話す。

 2004年、大賀さんは交通事故で高次脳機能障害になり、晩年は障害者施設「ひびき福祉会」(兵庫県姫路市)などに役員としてたまに顔を出すのが精いっぱいだった。昨年7月、食事をのどに詰まらせて急逝した。

 「被災地に行きたいんや」。昨春、同会の後藤由美子理事長(54)は大賀さんの絞り出すような声を聞いた。「東北が気になって仕方ないのに、自らも障害者になり体が動かず悔しそうだった。これからも活動を続けることが大賀さんの願い」と空を仰いだ。

日本経済新聞-2013/1/17 6:04

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