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Channel: ゴエモンのつぶやき
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NPO法人文福(9) 優しければいいのか

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 障害者の自立を目指すNPO法人に勤める筆者は「障害者である」というだけで称賛する風潮に首をかしげる。「福祉の人は優しい」「障害がある人は心がきれい」…。それこそ彼ら自身を見ようとしない「差別」ではないか、と気づかせてくれる。

 連載の第五回で「福祉の人は優しいらしい」と書いた。「らしい」とは当然「ホント?」が隠れているわけなのだが。優しい人は確かに良い。でも、優しければ、なんでもいいのか? そもそも優しいって何?

 私が幼かったころ、障害者は「居る者は居る」であって、特段何かしてあげなければならない人ではなかった。今は、障害者を「何かしてあげなければならない人」にしてはいないだろうか。

 それは歴史的な結果でもある。いったん社会から排除してしまったため、社会は障害者に対する自然な姿勢を失ってしまった。姿勢を緩やかに変えていく時間も失った。

 この空白を埋めるため、今、私たちは必死に優しく振る舞っていないだろうか。

 障害者は称賛される。絵を描いた、詩を書いた、ひとりで道を歩くだけのことさえ素晴らしい。健常者の作品なら中の下程度でも、障害者の作品なら上の上。もともと、それ以外のランクがないかのようだ。

 障害が付加価値としてその人の価値を高めるとしたら、それはむしろ差別だ。障害者を称賛する健常者の声が聞こえると、「誰の何」を見ていますかと問いたくなる。

 障害者は優しいという人もいる。差別され、生きる苦しさを知っているから、優しいと。私は映画「フォレスト・ガンプ」が嫌いだ。ガンプの全く欲のない姿が好きになれない。理想を障害者に押し付けているように見える。

 障害者だって欲はある。人の好き嫌いもある。差別意識がないとも限らない。だから「人」なのだ。

 大人になれば善悪を理屈で判断できるようになるのは、健常者も障害者も同じというだけ。誰でも優しさと腹黒さを併せ持っている。だから面白く付き合えるのだとも思う。

 優しさには「良い優しさ」と「悪い優しさ」がある。優しくしている瞬間には良く思えても、長い目で見ると違うこともある。「優しい時代」は生きにくい。


重度訪問介護従事者養成研修「ザ・カイジョ」の研修風景=富山市で(NPO法人文福提供)

 (NPO法人文福・堀田正美)

中日新聞-2012年10月23日

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